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鬱病、花を思う

2005年に発売された「おいでよどうぶつの森」を未だにDSでプレイしている私。最近仲良しで写真までくれたサバンナさんというシマウマの住民が私の“うなげろりん村”から引っ越しをしてしまっていて、とてもショックだった。

彼女は自宅周辺に花を増殖するタイプの住民で、彼女の家周りに行くのが自然と楽しみになっていたのだ。唯一交配でしか生まれない紫色のチューリップを咲かせてくれたのも彼女だった。寂しい。

こう思うと、私が寂しいのはサバンナさんではなく、花なのではないかと思ってきた。自宅に花瓶などはないが、レストランや喫茶店でテーブルに生花が挿してあるととても素敵な店だと思う。すぐGoogle先生に画像検索をお願いし、どの花が正解かとスマホをスクロールしていると、スタッフの方が「こちら、千日紅って言うんです」と秘密を教えてくれる時の悪戯っ子のように小声で微笑みながら教えてくれる。花はときめきも運んでくれるのだ。花の魔力はすごい。

最後に花を買ったのはいつだっただろうか。お世話になっている女性の先輩のお誕生日祝いだったかもしれない。恋人以外にプレゼントを渡す場合は必ず消えるものを選ぶというマイルールを課している私は、ボディケア、茶葉、お菓子など選択肢が一年ごとに確実に一つずつ消えていく中で、とある年に花束を贈った。秋生まれの先輩だったので、季節の花束をお願いしたところ、見たことのない不思議な色の花や赤い実などがラッピングされ、なかなか瀟洒な花束だった。花束を持って電車に乗ったが、花束を持っている人間は貰った側か贈る側かの判断が難しいから、私が貰ったような感覚にもなり、なんだか気分が良かった。

母や祖母と散歩をしていた時なども、道に咲く花の名前をポンポン話していたように思う。花を知っている人はたくさんの季節を目を凝らして生きてきた人なのだろうか。今までは花よりもっと大事なことがあったが、年に2つずつくらい花を覚えていくのもいいかもしれない。サバンナさんの引っ越しからそんなことを思った朝だった。

明日も自分に優しくできますように。

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