「手」

両親のいない姉と弟がいました。
7つ歳が離れた姉は親代わりのように弟の面倒を見ていました。
弟は口煩い姉を少々疎ましく感じながらも、弟の自分を大学進学させるために姉自身の進学を諦めていたことに感謝していました。
反面 弟は、年頃の姉が自分自身より周りを気使うことに申し訳ない気持ちも抱いてました。

姉のミハルは25歳にしてすっかり家事も手馴れた手つきでこなしてます。流行りのネイルもすることないその手は紛れもなく「働く手」でした。

弟のサトルは洋食屋でバイトを始めました。会社からまっすぐ帰宅する姉のミハルには少しばかり鬱陶しさも感じ始めていました。しかし優しいサトルは口に出せませんでした。

親代わりに余念のないミハルはサトルのバイト先に挨拶に行くとまで言い出しました。サトルが「しなくてもいいから」と言うのに出向いてきたのです。

突然の訪問に店長のカワムラは 気前よく 応じてくれました。

「ごめんください。弟がいつもお世話になってます。」
声の主は
長い黒髪の艶やかな頰の少女でした。まっすぐな瞳でこちらを見つめます。生物学的には「女性」の年齢ですが、年頃の女性特有の色香がきれいさっぱりと忘れ去られているようでした。
それなのに、手は不釣り合いに年齢を重ねてきた風格がありました。
カワムラには、何も知らないような顔と裏腹に その手が人知れぬ思いを一気に引き受けているような気がしました。
でも帰ってゆく後ろ姿は25歳の女性の姿そのものでした。

ミハルが小学生の時、両親は交通事故で亡くなりました。母は出かける時に言いました。
「ミハルはお姉さんだから サトルの面倒も見てね。出かける時は手を離さないでね。」
母の最後の言葉でした。

その言葉通りに ミハルは サトルを気にかけてきました。だから 突然吹いてきた北風がいきなりドアを閉めようとした時、小さなサトルを守ろうと指でドアを支えて左手の中指を怪我しました。今でも少し曲がった中指は真冬の寒い日に少し痛くなります。この痛みと共に亡き母の言葉が反芻されるのです。

一方、カワムラは数年前に両親を亡くしていますが、過干渉な親を亡くしてから自由を楽しむ生き方を選びました。いかに楽しく生きていくかが理想であり、恋愛も面倒になったら終了にし新たな女性を見つけていくことを繰り返してました。
明るく笑ってやり過ごしていれば どうにかなるという単細胞的な思念で人間関係を上手く切り盛りしていました。

カワムラの育った家庭は共働きでした。両親ともに教師でした。小さい頃、熱を出して保育園を休む事になっても母は1日仕事を休むだけで2日目以降はカワムラ1人で家に取り残されました。台風のきたある日、暗い天気と相まって子供のカワムラは酷く心細くなりました。
母は1日目だけ休むルールで職務を全うします。2日目は必ずカワムラを独りにして出勤するのです。
そのある日、カワムラは分かっていたけれど
「お母さん、行かないで、おウチにいて!」と母の手を掴んでしまったのですが、母はにべもなくその手を振り払い出勤していきました。

サトルがバイトに慣れてきた頃、カワムラが手を怪我する事態が発生しました。洋食屋ですから料理をつくる手が使えないのは大問題です。サトルが手伝ってましたが手際よくスピーディにはいかず、事情を知ったミハルが手伝いに来ることになりました。慣れた包丁さばきや材料の分量を感覚で見当つけるカンの良さにカワムラは驚きました。

あっという間に閉店の時間になりました。

ミハルが帰り際に思い出したように
カワムラの怪我した手をとりました。
そして、ミハルは目を閉じて右手の人差し指と小指を伸ばしてカワムラの手にかざして
目を閉じて何やら呟きました。

「怪我が早く良くなるおまじないです。
失礼します。」
そう言うと ぺこりとお辞儀をして帰って行きました。

カワムラは 親しくもないミハルに手をとられながら、引っ込めず呆然とされるがままになりました。

そして去ってゆくミハルの後ろ姿を小さくなるまで見つめていました。

*コルナのおまじない(古代ヨーロッパ)

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