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HYBEオタクが語る、LE SSERAFIMのファッション

デビュー前から、コンセプトフォトやパフォーマンス衣装が良くも悪くも話題になりがちな、LE SSERAFIM。制作側が一貫した意図を持っていることは想像がつくものの、なぜ否定的な意見が後を立たないのか、私なりに考えてみました。

1.LE SSERAFIM Debut concept

不名誉なあだ名(あえて具体的な事は書きません)を付けられたデビューコンセプトですが、一体何を表現していたのでしょうか。

出典: https://weverse.io/lesserafim/media/2-118619?hl=ja
出典: https://weverse.io/lesserafim/media/2-118619?hl=ja

テニスラケットを持って、テニスウェア風の衣装やタイトなワンピースを着用したこのコンセプト、使われているブランドは、PRADAalexanderwangが目につきます。
調べてみると、PRADAのクリエイティブディレクター、ミウッチャ・プラダはインタビューでいかにして女性らしさを力強さに変えるのかに関心がある、と話しており、alexanderwangは、女性が徐々に自立していく過程をファッションのテーマの一つとしているブランドです。

これらのブランドは、KPOPアイドルの衣装としては定番と言っても良い程大人気なブランドですが、これらの衣装を着用して、その文脈を借りてきている一面もあるのではないでしょうか?
また、女性らしさをどのように扱うのか、という点は、ガールクラッシュという概念が定番になったKPOP界においても重要なテーマだと思います。特に、LE SSERAFIMは女性らしさの中でもセクシーさの中にある女性の力強さや自立した態度を拾い上げることを目指しているのは言うまでもありません。個人的には、こういったセクシーさにある文脈を無視してセクシー=性的消費の容認と捉えることには賛同できません。一方でそのセクシーさを女性の力強さとして表現することに100%成功しているとも言えないのが現状だとも思います。

次に、衣装に関連して、ポージングやデビューEPのデザイン、CASTING CALLとLE SSERAFIM 2022 "FEARLESS" SHOWといった映像を見ても「ファッション」がテーマになっていることが分かります。LE SSERAFIMのクリエイティブディレクターである、NU KIMことキム・ソンヒョン氏はこのテーマについて、インタビューで「堂々として自伝的だ」という雰囲気を強調するために採用したと話しています。

"ファッション"のどこが「堂々として自伝的だ」と言えるのか、と考えてみると、私の感覚としては、大抵の場合、広告としてモデルが着用する露出の多い服装は、扇情的ではなく無機質な印象を与えます。オンラインショップを見ても、ファッションショーを見ても、均等に並べられて無表情なのが人間味が無いように感じられるのだと思います。そもそも、服の宣伝が目的であって、ポルノ的な消費が目的ではないですし、選ばれた人がランウェイを歩くことを「堂々とした」姿として表すのはよくある方法です。この感覚をそのままLE SSERAFIMのテーマにも持ってこようとしたのではないかと思います。

さらに、KPOPアイドルのモード志向についてはこの方がブログがとても面白く、参考になります。

ファッションにおけるモードの姿勢は、KPOPアイドルの常に新しく、流行に乗っていて、さらに唯一無二だと思わせる奇抜さが必要、という環境ととても親和性が高いです。

ここまで、なぜ所謂ガールクラッシュな文脈の中に、セクシーさを登場させるのかについての説明と所感を連ねましたが、次はなぜそれが揶揄される結果となったのかについて考えようと思います。

まず、単純にセクシーさにある力強さの文脈を読み取らなかった人が多かったからという事は挙げられるでしょう。人の感性は多様なものですし、それまでLE SSERAFIMが意図した文脈でのセクシーさに出会った事が無ければ、単純に扇情的なセクシーとして捉えてしまいます。アイドルは性的消費されるもの、という感覚が染み付いている人も少なくないはずです。

次に、LE SSERAFIMはこの時点でメンバーが公開されただけで、誰も楽曲の方向性やメンバーのキャラクターについては知らなかったから、という事も挙げられます。さらには、サクラとチェウォンがIZ*ONE出身で、清純派なイメージが強かったことも大きいでしょう。これは、制作陣の思慮不足といえる部分でもあると思います。要はバランスですよね。いくら真っ当な意図があったとしても伝わらなければ元も子もないと思います。何よりメンバー自身がどのように消費されるかという非常にセンシティブな部分に関わります。受け入れられる程度のセクシーさ、力強さの為だと誤解の余地のないセクシーさ、といった間を取るのも、デビューコンセプトとしては正解の一つだったのではないかと思います。

最後に挙げておきたいのは、未成年のメンバーもいたという点です。この点を気にした人が多かったのかは分かりませんが、私は気になりました。未成年に性的に消費される可能性の高いコンセプトをさせるのは慎重になった方が良い思います。未成年の扱い方については、KPOPの制作側と一般的な感覚にズレがあるような気がしてならないです。

LE SSERAFIMのセクシーさを用いるコンセプトについて、私が思う事は、受け取り手は視野を拡げる必要があるし、「女性はセクシーに見えるのを好むものだけど、それはあなたとF***したいという意味じゃない」というケイトブランシェットの言葉を思い出してほしい、という事と、制作側が意図を持ってコンセプトを作ったら、反応には責任を取らないというスタンスを改善すべき、という事です。後者については、先述したNU KIMが別のインタビューで、「意図していない反応(過剰にセクシュアルだ)を得たならば、それはメンバーたちが持つ魅力なんだ」といった発言をしたことや、ミンヒジンとイルカ誘拐団によるOMGの演出を通じて感じた事です。

制作側が意図していることは、私にとっても非常に魅力的で興味深く、今後の展開にも期待しているものですが、その一方で受け取り手の価値観やアイドルの立場の現状を考慮して欲しい所です。

2.デビューEP"FEARLESS"のコンセプトフォト、Blue Chypre

続いて、先述した基本的な立場に則ってこちらのコンセプトフォトについても考えたいと思います。

出典: https://weverse.io/lesserafim/media/2-282622?hl=ja

これは、"The great mermaid"の歌詞を知らなければ、ほとんどの人が単純にセクシュアルなコンセプトだと思うでしょう。それをデビューEPでやってしまうのは、正直先走ってしまったとしか思えません。あえて、性的消費のためのセクシーではない要素を見出すならば、彼女たちの鋭い視線と、画像上部と下部のメッセージでしょう。KPOPファンとしての私の視点では、過去のセクシーコンセプトグループの衣装とは異なる方向性であることは、まあ分かる、という点も一応あります。

このコンセプトフォトを見て考えさせられたのは、「アイドルのセクシーさは自立した性の表現になり得るのか」という事です。自立したポジティブな性的表現をする歌手として思い浮かぶのは、マドンナやレディー・ガガ、ビヨンセ、最近だとカーディBやメーガン・ザ・スタリオン辺りです。彼女たちのセクシーさだって、100%意図通りに消費されている訳ではないでしょう。まして、あくまで男性にプロデュースされた女性アイドルという構造の中で、どこまで自立した性の表現として評価できるのでしょうか。

もちろん、全くの無意味な表現だとは思いません。実際に、ユンジンやチェウォンのキャラクターにはハマっていますし、カズハの身体的な魅力(筋肉)とも相性が良く、総じて魅力的に映っていると感じます。現在のLE SSERAFIMならば、度を超さなければ受け入れられる土台が出来上がってきたのだろうとも思います。

一方で、KPOPの中に過去のビリー・アイリッシュのような身体を見せないフェミニズムがほとんどないのも気になります。ダンスのラインを美しく見せるためにはタイトであったり露出があったりする方が良いというのは分かりますが、コンセプトフォトは別物です。無いからダメと言いたい訳ではなく、ある程度既存の価値観に応えながらのガールクラッシュなんだな、その割にはセクシーなら振り切る事もするんだね?という、意地悪な感想を持ったまでです。

奇抜でないといけないのに、凝り固まった価値観にも囚われている、というKPOPの現状を垣間見るような作品だな、と思います。

3.UNFORGIVENの振付と衣装

端的に言うと、UNFORGIVENの中でチェウォンとカズハに這う振付があるのに、胸元が見える衣装にするのはなぜ?という文句が言いたいです。どう考えても、そこは振付だけで十分であって、彼女たちの表現は胸元が見えようと気にしない!という領域に至っているとは思えません。(振付師が勝手に作った振付通りに踊っているだけで、自発的なパフォーマンスではないので。)というか、それをして良いのは自ら意図を持ってセクシーなパフォーマンスをする人たちだけです。

こういった面から見るLE SSERAFIMの表現は、制作側が作った「堂々と自立した女性が自分らしさを見せる」方法としてのセクシーさを自分のものにしようと合わせにいっているものだと感じます。「提示されたコンセプト←メンバーのキャラや表現」といったイメージです。特に、ユンジンやチェウォンのキャラクターなども、コンセプトの正当性として制作側からすればラッキーなものなんだろう、という印象を受けます。その点に関しては、お互いWin-Winでやればそれで良いと思います。ただ、表現としてはその雰囲気が表れている、とは感じます。
また、この辺りのコンセプトの消化の仕方はBTSと似ている気がします。コンセプトが上手くハマると本人のキャラと一体化して消費され、説得力がある分人々を熱狂させると思います。そして、RED VELVETやTXTのようなビジュアルのポテンシャルでコンセプトを消化して、キャラクター性としては全くのフィクションである事が目に見えるスタイルの逆だと感じます。

最後に、LE SSERAFIMの魅力は、この問題含みのセクシーなコンセプトを乗り越えて、「堂々として自伝的な」姿を見せてくれる部分にあると思います。私自身は、彼女たちのセクシーさで見せる力強さや自由の表現を魅力的に感じています。今回はそれだからこそ、受け手と作り手がそれぞれ考えるべき課題を自分なりに整理したいと思い、noteを書いてみました。今後、セクシーな方向性も彼女たちの真の魅力ともっと融和していく事を期待します。

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