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アジアはなぜこんなに広いのか?

「蝦夷(えぞ)」とは、北海道の昔の呼び方だ。
と、なんとなく思いがちだ。
 
しかしもともとは、大和朝廷に従わない東国の民が住む地域を指す言葉であり、最初は箱根の山から東側、関東地方から向こう全般を指していた。
 
その辺りが征服されてからは、東北地方から北を指すようになり、最後に北海道が残り、その呼び名が定着したという訳である。
 
昔はGoogleMapなどなく、自分たちが知る範囲から向こうはどうなっていて、どこまで続いているのかなど、よく分かっていなかった。
だから箱根の山を指差して、「あれから先は蝦夷」と決めると、それが具体的にどこまで続いているのか考えぬまま、すべて「蝦夷」とひとくくりにして、理解されていたのである。
 
山の向こうの土地を、一つの言葉で片づけてしまうのは、地図のない時代の人間にとって、まあ仕方のないことだ。
 
海の向こうの外国の土地についても、同じような言い方があった。
「から」という言葉である。
 
唐揚げや唐辛子など、「唐」という言葉には、日本にはもともとなかったもの、という語感がある。
今の「洋」という言葉に近い。
 
昔の中国に唐という国があったことも関係していると思われるが、どうやらそれだけではないようだ。
 
「から」について、辞書にはいくつかの意味が出ている。
一、朝鮮半島南部の、洛東江流域一帯にあった小国家群の総称。加羅。任那。
二、転じて、広く朝鮮や中国をさし、中世以降は南蛮などの外国を指すこともあった。韓・唐・漢。
(日本国語大辞典、他)
 
「からくに」は、韓国とも、唐国とも漢字をあてる。
スペインやポルトガル由来のものも、「唐物(からもの)」として扱われていた。
「から」とは、端的に言うと外国のことなのである。
 
最初は、対馬の先の釜山のあたりを指す言葉であった。
当時の日本人にとって、そこが外国のすべてだった。
 
その先がどうなっており、どこまで続くのかなど、考える術もなかった。
だからそこを「から(加羅)」と呼ぶようになると、そこから先はすべて「から」となった。
 
これは朝鮮半島も、その先の中国大陸も、さらにその先のインド、さらにはるか先のヨーロッパ諸国なども含め、すべてが「から」となることを意味した。
 
しかしもともと「から」とは、朝鮮半島南部の、釜山のあたりを指す言葉だった。
 
さて、ここまで来てやっと本題に入る。
「アジア」という言葉についてである。
 
アジアはアジア人、アジア大陸という言葉があるように、現代の意味においては、東は日本から西はトルコ、南はインドまで、たいへん範囲の広い言葉となっている。
 
しかしもともとは、ローマの属州のひとつの名前に過ぎなかった。
日本の都道府県の感覚に近い。
 
アジアは、アナトリア半島の一番西にあり、イタリア半島から見て、ギリシャのすぐ隣にある、異民族の州という性格を持つ言葉であった。
 
1世紀のアジアと現代のアジア。
その範囲はまるで異なってしまっている。
ここまで大きくなってしまったのはなぜだろう?
その謎を解くのは、それほど難しいことではないように思う。
 
恐らく、ローマ人やギリシャ人たちが、海の向こうの土地を素朴に「アジア」と言っていたのがきっかけであろう。
 
ローマ人や、後のヨーロッパ人たちは、エーゲ海の向こうにある東方の土地をすべて「アジア」という一言で片づけて理解していた。
今あるような地図のない時代において、それは無理からぬことであった。
 
しかしそれは、その土地がどこまで行っても「アジア」であることを意味した。
これによりメソポタミアも、インドも中国も、そして日本も、すべてアジアに含まれることになった。
 
時を経て、あまりにも意味が広がり過ぎて混乱を招くようになったため、もともとのアジアを「小アジア」と呼んで区別するようになった。
 
そしてその後の歴史において、ヨーロッパ人が世界史で力を持つようになると、彼らの言い方が世界中で定着するようになった、ということだと推察できる。
 
ヨーロッパから見て近いところにあるバルカン諸国・トルコ・シリアなどを「近東」、それより少し先のイランやイラク、イスラエルなどを「中東」、大陸の東の端のあたりを「東アジア」、そして日本を「極東」と呼ぶが、これらはすべてヨーロッパ目線の言い方である。
 
このような呼び方について、もう今さら変えることはできないだろう。
あまりにも定着してしまっているからである。
 
しかしアジアはもともと、ギリシャから見て海の向こうにある、ごく狭い地域を指す言葉に過ぎなかったことは、覚えておいても良いだろう。
 
 
 
 
 

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