高須院長とひまそらあかねさんのやりとりについて思うこと

高須医院長とひまそらあかねの絡みについて思うところをつらつらと書いてみます。外野が良し悪しを論じることでも無いかなとは思いますが、自分の考えを整理する練習として作成した駄文です。

先に伝えておくと、僕は都民ではないので都知事選への選挙権はなく、ただ候補者としてはひまそらさんを応援しています。くちこみも、ネットで知り合った何人かと職場のパートのおばちゃんにひまそらさんを知ってるか、と話した程度です。
もしひまそらさんが出ていなかったら、田母神さんを応援してただろうなあ、とは思います。あいちトリエンナーレの大村知事リコール運動では、高須院長の心意気に賛同をしていました。そういう人間が書いた文章であることをお含みおきください。

7/3、高須クリニックの高須克弥院長と都知事選に立候補しているひまそらあかねさんが、X(Twitter)上で軽く?ぶつかり合う一幕がありました。

ことの発端は、高須克弥院長のご子息である高須幹弥さんが、誤情報を伴うひまそらさんに関する動画を配信したことです。
動画はすでに削除されていたため内容は確認できませんが、事実誤認があった、都知事選においてネット戦略オンリーで戦っているひまそらさんにとってはいささか見過ごすことのできない内容だった模様です。
ひまそらさんは当然ですが謝罪と訂正を求めます。ここで、ご本人だけではなく、親である高須克弥院長にもその矛先を向けます。

普通ならば、成人した大人のやらかしをその親にどうにかしろというのは無理筋な話です。
しかし、今回に関していえば、

•誤情報の拡散によるイメージダウンを謀ったのが対立陣営の家族であること
•保守を名乗っている人間が軒並み普段の言動からかけ離れた行動に出ていること
•松本人志さんの無罪を願い、復帰を願っている最中、ひまそらさんの裁判の行方について報じたX(Twitter)をリポストしていること、選挙広報誌で田母神さんとひまそらさんが並んで1ページ目に表示されていることがあるにも関わらず、高須克弥院長がひまそらさんの存在を知らないというのは無理があるのではないか?ということ

があり、ひまそらさんの嘘つきを許せない性質とビジネス保守が許せないための積極的な防衛行動になったのだと思います。

正直、ひまそらさんも高須院長もともに個性が強いので、どちらが正しい、悪いを外野が論じることはできないとは思います。
僕はこの件、二人の言い分を聞いていると、どちらにもお互いの理があり、それが相入れないからぶつかった、というふうに捉えています。
そこに良し悪しを唱えるつもりはないです。

しかし、高須克弥院長は、あいちトリエンナーレにおける表現の不自由展で、当時の愛知県大村秀章知事に対するリコール署名運動で、何故か記者が取材に来ても一向に記事が取り上げられない、記事広告すら断られたという苦い経験があるはずです。そして、今回は、これはひまそらさんに限らずですが、不自然なまでにテレビで都知事選が取り上げられていません。
いつも都知事選の前ってこんなにおとなしかったっけ?思います。
今の高須院長にとってあのリコール運動がどういう位置付けなのかはわかりません。単純にリコールが成立しなかったという事実以上の事情があるのかもしれませんが、それは当事者ではない自分にはわからないです。

ただ、まさに自分にとって譲れない義憤が、メディアに不自然に取り上げられない現象によって押さえつけられるという痛みを、他ならぬ高須院長が一番よく知っているのではなかったか。自分が応援している田母神さんが有力候補として取り上げられているから、その痛みを忘れてしまったのか。それが残念でなりません。

なんとなくゆるくイメージしている高須院長なら、

僕は田母神さんを応援しているから表立って応援はできないけど、お互い何故か肝心な時に新聞から無視されていますです広報誌の1ページ目でお隣同士だったご縁です。本当に国のことを考えているなら僕らは同志です。最後まで頑張りましょう。

くらい言える余裕があって欲しかったなあ、とは思います。
ファンタジーがすぎるし、外野の勝手な願望の押し付けです。地下にモビルスーツを隠してるくらい言ってくださいレベルの子供のいちゃもんでしょう。すみません。
でも、そういう世界線を見てみたかったなあ、とは思います。

この都知事選の局面で、田母神さん陣営がひまそらさんを支援ともとれる行動をとるメリットがないのも理解しています。
ひまそらさんは自分が許せないものにとっては老若男女関係なしに礼儀を欠いたとみえる対応をします。だから許せないというのもすごくわかります。

ただ、仁義礼知信でいえば、礼の前に仁や義がきています。そして、ひまそらさんはこの選挙において、まさに義によって立った人です。礼儀がなってなくとも、仁や義が大きな人にこそ、報われる世の中であってほしいなあ、と思います。礼儀を軽んじていいという意味ではないですが。

これは応援でもなく、批判でもなく、ただの願望の垂れ流しでしかありません。ここまで読んでくださった方。モヤモヤしている気持ちを吐き出しただけの駄文にお付き合いいただきありがとうございました。

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