我が家のお正月・2024(Ⅱ)
1月2日には娘たち2家族が来宅する。お昼前には来宅するのでランチとディナーを用意しなければならないが、お節や祝膳の支度は暮れのうちに用意万端整えてあるので、お正月テレビでタレントの晴れ着姿を見ながら娘たちの来宅を待つ。
半世紀以上続ける我が家の祝膳は、実家で経験したスタイルそのままだ。
とりあえず、ランチはお雑煮とお漬物ですませ、夕方からお屠蘇でその年の安寧を願ったのち、食事をする。
最近ではお屠蘇で祝う家庭は全く少なくなってしまったらしく、スーパーに行き、「屠蘇散ありますか?」と聞いても「屠蘇散・・・??」と知らない店員もいるほどだ。数年前までは屠蘇散は味醂や日本酒に付録でついていたし、実家にいた頃にはお酒屋さんが暮に配達に来る時、必ず置いて行った
ものだ。お屠蘇は特に美味しい物でもないし、まして子供にアルコールは
飲ませられないので、やめてしまう家庭がほとんどのようだ。
私は日本に伝わるこうした慣習を美しいと思うし、子供や孫にもぜひ知識
としてだけでも受け継いでもらいたくて、何十年も続けている。
ほとんど自己満足のレベルかもしれない。
コロナになる前までは、お屠蘇の盃を年の小さい順から回して飲んだもの
だが、コロナ以降はそれぞれの盃を用意して、新年の挨拶をしている。
孫の小さい頃は盃を手に不思議そうに中を覗き込み、すこーし舐めておかしな顔をするのも可愛らしく家族で笑ったものだ。少し成長してきてからはその由来や屠蘇散の中身を説明したりと・・・どこまで伝わっているものか心許ないが、普段家族で改まってご挨拶をする機会も少ないので、一年に一度こうしてお互いの健康と幸せを願うのは、お婆婆にとって心温まる嬉しい
機会だ。
若い頃に高山の骨董店で手に入れた五段のお重箱に詰めるのは、一通りの
お節料理や若い人向けのローストビーフ、ミートローフ、煮豚といったところだ。実を言えば年末が近づき、「あ〜今年もお節料理作りが待ってるわ」
と、温泉や京都での年越しに憧れたりするのだが、家族が集ってくれると
思うと、体が動き出してキッチンに立ち続けることになる。
こうして普段から娘家族が来宅すると、買い物、料理と張り切ってしまうのは、皆が美味しいといってくれる言葉に舞い上がっているからに他ならない。
たまに、「今日は外食」と外食して帰宅した孫から「次はおばあちゃんの料理が食べたい」などとLINEが来たりすると、もうお婆婆はメロメロ、次回は
またまた張り切ってしまうのだ。
お土産用に余分に作っておいたミートローフや、漬物、お節の残りなどを手に娘たちが帰宅した翌日は、漆器類の始末だ。一応洗って乾かしてある漆器類を一つ一つ清拭き(きよぶき)し、薄紙に包んでそれぞれの箱に収めると、これで今年のお正月も終わりと一段落する。
ちなみにきよぶきは食器をきれいに洗った後、乾いた布でさらに拭く事を言い、漆器の際は布は柔らかい絹を使う。清拭と書いて送り仮名がない時はせいしきと読み、病人の体を清めることを言うらしい。
この度、この文章を書くにあたって、母が使っていた言葉をそのまま深く
考えないで使っていたので、調べてみて得た知識だ。
昔は松の内はお年賀のお客様があり、その間はお正月食器は使うので松の内が明けると、母がたくさんの漆器を持ち出し、陽の当たる暖かい廊下で
陽射しを背にせっせと漆器を吹き上げていた様子を思い出す。
この日の夕方、羽田空港でJAL飛行機と海上保安庁のヘリコプターの
追突事故があり、まるで映画かと思うような映像がテレビに映り、皆無言でテレビに吸い付けられた。昨日の能登半島地震に続いてこの事故・・しかもヘリコプターは能登に救援物資を運ぶ予定だったという。
なんと言う事だろう!!
これ以上の事故がないよう、ただただ祈るばかりだ。
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