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彼との関わり

前回のノートで彼との出会いについて話をした。
今回はそれから現在までの関わりを書く。
この話の前提で今後の記事を作成する予定なので、書き記しておきたい。
離婚や不貞に嫌悪感がある方は読み進めるのをご注意頂きたい。

自分は高校進学後、県外の大学に進学した。一方で彼は特殊な職業を選び、以前のようにこちらから気軽に連絡をすることが難しくなった。
そんな中でも、時々彼から集団生活で仲良くなった人たちとの写真や憧れの航空機に乗った窓から見える空の写真などがメールで送られてきた。
自分も、いつ返事が来るかはわからないが、大学祭の舞台にてメイド姿で司会をした写真や他大学と合同で美術展をした写真など、自分が彼に見て欲しかったものを送りつけた。
お互い、一方的に相手に知って欲しいものを送り合う、そんなやり取りを続けながら、年に数回ある彼の貴重な自由時間にはお互いに会いに行った。
自分は大学一年目に、値段の安さから女子寮に入っていたが、彼はその美しい顔立ちを利用して女装して会いに来てくれたりもした。
今思い返すと彼は一切好意を言葉にしないものの、自分は相当大事にされていたのだろう。

地元で会うことも度々あった。
ただ、面白いことに地元で会う時には自分が大体泣いてるタイミングで会おうと連絡が来るのだった。
教育だけには熱心な親に泣かされている時、高校時代の部活のOB会に嫌々呼ばれて惨めな思いをしている時。
そんな時に限って前触れもなく彼から「今地元帰ってるけど、会えない?」と連絡があって、年季の入ったジープで迎えに来てくれた。
私を落ち着けるためタバコを一本分けてくれ、ドライブに行き、彼のお気に入りの竹林が綺麗な公園で川を眺めたり星を眺めたりしながら自由に話をしたい方が話をして過ごした。
この在り方は中学の時のままでとても居心地が良かった。
ただ、やはり関係を結んだ後からは身体接触は多くなった。
どちらともなく手を繋いだり、相手に寄りかかったり。
そうしているうちに、彼が私の頭や背中を優しく撫でてキスをして行為が始まることもあれば、私が彼の太ももを撫でさすった際に「勃っちゃった」と顔を赤らめて彼が言って、覆い被さることで始まることもあった。
なし崩し的に行われる行為だったが、悪い気はせず、どちらかと言うと彼に求められていると感じて嬉しかった。
しかし、言ってみれば何の関係性も明言されていない中での行いである。
私から彼に好意を伝え、それはloveであり、明確な彼女と言う位置付けが欲しいと発する事はあったが、その度に彼はこの関係性を命名できないと苦い顔で言った。
それは関係性が変わる事で、今後もし不和が起こった際に今までの状態へ戻ることのできない恐れから彼は関係性を定義できなかったのかもしれない(後日、話をした際に数人付き合った女性が居たと語ってくれたが、別れた際には顔も名前も覚えてない人がたくさんいて、居酒屋で隣の席に座った程度だが相手から交際を申し込んで来た(なんせ彼は顔がいい!その上、低音で落ち着いた声だ!)くらいに関係性が薄いほど付き合いやすいのだと話していた)が、言わばセフレ状態には違いなかった。

そんな関係を続けて数年経った時、自分の弟が亡くなったと連絡が来た。
事故か病気か自殺かはわからないが自室で倒れていたのをルームメイトが発見し、病院に運ばれたが搬送先で亡くなったとのことだった。
その知らせを受け、父は放心し、母は発狂した。
自分は事実を受け入れられないまま、対応ができない両親の代わりに弟の死亡後の事務的な対応に追われる事になった。
そんな折、彼から地元で会おうとの連絡が来た。
私は率直に弟が死んだ事、悲しむ間もなく対応に追われている事、心が追いつかない事、今後自分はどうしたらいいか不安である事を伝えた。
同情して欲しかったし、慰めて欲しい一心だった。
しかし、彼の返事は意外なもので肩透かしを食らったとともに大きく落胆した。
メールには「この度は大変ご愁傷様です。」と簡素で事務的な一文だけが綴られていた。
彼は普段から人の心がわからないと言い続けていたし、それを理解して貰えないと訴えていた。
落ち着いた今なら、それが彼が言葉にできた最良のものだったに違いないと思える。
だが、その時は彼に見放されたと感じて自分は激昂した。
もっと何か言い方がなかったのかと。
彼は申し訳なかったと謝罪し、落ち着いた頃にまた連絡するとメールを寄越した。
自分はそれに返信せず、目の前の問題を解消することを選んだ。

文章の中でチラホラと家族中が良好ではなかった節が目についた方も居られると思う。
はっきり言って健全な家族関係ではなかった。
県外の大学に進学し、そこでの生活を選んだのも実家から逃げたい一心であったが、この頃は結局のところ家に連れ戻されていた。
弟が居なくなった今、どうにかしないとこの家に取り込まれて逃げられなくなる。
その不安と闘いながらの葬儀となった。
参列者の中に高校の部活の先輩がおり、家族仲も知っていたから心配して駆けつけたのだと言ってくれた。
それに安堵し、自分の不安や焦りを吐露すると「じゃあ結婚すれば良いんじゃないか?」と何とも無さそうに言い、先輩はもぬけの殻状態の私の両親に挨拶しに行った。
その後、両親の現実検討力が正常に戻らない間に婚姻届と転居届を出した。
とんでもないスピード結婚である。
彼への想いはまだあったが、あれだけ激昂して罵倒したも同然の言葉を浴びせたのだから嫌われたも当然と諦めていた。
それにも関わらず、彼からまた連絡が来た。
しかも挙式の前日にだ。
正直に、あのやり取りの直後に婚姻を申し込まれて結婚した事、明日挙式する事を伝えると「もう名前で呼べないな」と言われ、とても後悔したし悲しくなった。
こちらからは今までの感謝と、これからも良き親友でありたいと伝えた。

その後も彼は絶妙なタイミングで連絡を取ってきた。
一年後の新婚旅行の出発日、妊娠が分かった日、流産した日、事故に巻き込まれた直後など、どうして今、このタイミングなのかと思う時に連絡が来た。

話は変わるが、私は夫との結婚の際に約束事として必ず働いて自分の貯金を作るように言われていた。
夫は学生時代から倹約家であったし、お金のことを人一倍気にするので、その時もあまり気には留めず、自分自身も働くことに疑問を持っていなかったので素直に従った。
そんなある日、夫から「もうある程度貯金できただろう?」と話しかけられた。
夫は元々、人と一緒に居るのが得意ではないタイプで、一緒の家に居ても自室に籠ってほとんど出てこない。
結婚当初は物珍しさから夫から近寄って来ることもあったが、感覚過敏があって人に触れられるのをとても嫌うし、長時間喋られるのも辛いらしい。いつの間にか触ったり話しかけたりすることはもちろん、隣に座ることさえ避けられた。
夫曰く、結婚はしたが恋愛関係はない。したがって、恋人のような接し方が欲しいなら他所でやってくれ、と。
なので夫婦間のコミュニケーションはほぼ絶えていた。
そんな中で、向こうから話しかけてくることは稀であった。驚いたとともに、何を言われるかドキドキした。
「そろそろ実家との関係も切り離せて楽になったんじゃない?最近は元気そうだ。だから、そろそろ出て行ってもいいよ?」
夫は何食わぬ顔してそう言うと、転職先のリストを机に置いた。
なんで?との視線を送ると鬱陶しそうな目を返される。
「あの時は可哀想だったけど、今はそうでもないから僕の役目は終わったでしょ?僕は結婚の経験もできたから、もういいよ。じゃあ、これ。早めにね。」
そう言うと離婚届も机に置いて外に出て行った。
理解が全く追いつかず、呆然とするしかなかった。
そんな折、また彼から連絡が来た。
私は堪らず、辛く悲しいと訴えて自分を心身ともに必要とされたいと話した。
久々の連絡に対して思いもよらない話が出たからか、彼は怪訝そうな声で俺に頼るよりキチンと話し合うべきだと正論を述べた。
が、私はそれに食い下がり、もう夫は話をするどころか隣にさえ座らせてくれないし、恋人の真似事は他所でしろと言うのにどうしろと言うのかと求められない苦しさと、そこを満たされたい想いを切々と語って、どうにか力になって欲しいと懇願した。
彼からは、もう名前は呼ばないし、キスもしないとキッパリ跳ね除けられたが、自分は躍起になった。
どうせ離婚もするし、恋人は外注しろと言われたんだ。体の関係だけでもいい、都合よく使ってくれていい。だから、どうにかして欲しい。
そのように延々と懇願し、彼が折れた形で「性的な部分を自分で満足して処理できる形が作れるまでの手助けはする。けど、それ以上の進展はない。実質、道具としての役割しか俺はしないから。」と釘を刺しつつ受け入れてくれた。
この後、離婚を機に引っ越し、彼との肉体的な関係を再び持った。
しかし、こちらからの要望で関係を持ったために以前のような甘さはなく、彼からの心理的な防衛も強い。
この壁を取り去りつつ、相手の懐に入る方法を今模索している。
その中で有効であると思われたものを順次ノートとして作成したい。

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