父の資格 6

「銀ちゃん、大丈夫だよ。お金要らないし、ママも死んじゃったんだから。」
 電話の向こうから、りんの声が言う。
「銀ちゃんの好きにしていいよ。」
 こいつはいつの間に女になったんだろう。
「お前が帰って来ないならこの家は売ってしまうからな。
亜季と俺はもう十年も別居していたんだから当たり前だろう。
亜季の絵も勝手にさせてもらう。
それから、亜季の猫。俺は飼わないぞ。」
「銀ちゃん、ママの絵好きなの?」
「どうせ猿真似だよ。」
「・・・絵を引き取るまで、家を売らないで貰えないかな?」
「だめだ。
りんが住まないんなら俺のやり方でやる。
常識で考えなさい。
猫も捨てるからな。お前のアパートじゃ飼えないだろ。」
「そう、じゃこれから帰る。」

明け方
銀次郎が夢を抱いて建てた家の庭にトラックが入って来た。

銀次郎が二階の窓から外を見ると、冷え切って白らんだ空の下、
りんが亜季のアトリエに入って行くのが見えた。猫を入れるケージを持っている。
りんは亜季の絵を、
200枚はあろうかというキャンバスをトラックに積み始めた。

結局、俺はあいつらの何物にもなれなかった。
 銀次郎は、過ぎた時間が未だそこに横たわっているような亜季のベッドに戻り、天井を眺めて最後の音を待っていた。
りんのトラックが亜季の心を根こそぎ積んで走り去る音を。

母娘が手を繋いで自分から離れていく足音を。


 助手席で猫が盛んに鳴いている。
りんはトラックを止めた。
「次郎ちゃん。大丈夫。一緒にいるからね。」
どうも涙で道が見辛い。
大人げないことをしてしまった。

猫も、絵も残して来てあげれば良かったのかも知れない。
でも銀ちゃんに猫の世話は無理だろう。
車外に出て、窓から助手席を覗き込む。
「銀ちゃんとりん、どっちが良かった次郎?」
先を考えれば、亡き妻の絵なんてものは障害になる日が来るだろう。

それに癇癪持ちだしな。タバコに火を点けようとして、
りんはぷっと噴出した。
夫婦喧嘩の成り行きで、亜季の描いた銀次郎の肖像画を、銀次郎が袈裟懸けに切り裂いたのを思い出したのだ。
亜季の描いていた銀次郎には、恋の魔法がかかっていたのにー。
「なにするか分からんからなぁ」
銀ちゃんは。

いくら腹が立っていたからって、顔も見ずに出発した罪は時間をかけて償わないとな・・・。
駐車場のコンクリーで煙草の火を消すと、据え付けの灰皿まで歩いた。
 
ー銀ちゃん!ぎんちゃん―。亜季の声と自分の声が聞こえる。
「いつまでも銀ちゃんの娘ですよ。」
呟いて、トラックに戻った。



おわり

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