トム ①荒縄で走る犬

我が家には今猫が5匹いる。
あと、トムがいる。


 トムは老犬で、老人に自転車で引っ張られて散歩しているもので界隈では有名だった。
引っ張り紐が荒縄で、首輪はレザー。
散歩中、止まらない。
止まらないが、用はちゃんと足す。
 あるご婦人は、「落とし物ですよぉ」と声をかけたことがあったもので、覚えていたという。
この、トムの飼い主が倒れたという。
一人暮らしだったもので、なんとか施設に入居はしたが誰にもトムを頼めない。
息子はアメリカやらにいる。

いずれにせよ、わが家的には、
とある独居老人が倒れただけの今ではありふれたお話しのはずだった。
荒縄じさまを最近見なくなったな、といった程度の。

 さてその日、救急車がきて。
じさまが担架で運ばれて。
赤い光がぐるぐるまわりあちこち、でかい白服が駆け回る。
近所の見知ったのが集まって、遠巻きに寒そうにみている。
なんせ1月だ。
 トム耳が聞こえない。
だからサイレンが近づいたのなんかは分からなかったし、じさまの声がしても分からない。
車も人もなくなって静かになると、庭に繋がれたトムはそのままになった。

 夜だったし、敷物のボロは潰れていて小屋は小さすぎる。
入れない訳じゃないが随分前から尻にでき物がある。
それが痛くて、せまい小屋の中では眠れない。
この忌々しいでき物はどんどん大きくなっているらしい。
しかたないさ。
雨除けにもならない隙間だらけのベランダの下、軒の上。
昔は犬小屋に敷いてあった綿の入ったボロを整え、出来るだけ、出来るだけ小さくなって寝た。
明日になればじさまが起きてきて、飯の時は家に上げてくれるかも知れない。
そうしたら頭をぶつけて思い切りゴシゴシして貰おう。
もしかすると、明日はパンを貰えるかも知れない。

施設に入ったじさまはトムどころじゃなかった。
ばさまはとっくにいないし、施設の費用やらをいきなり全て任せたので、遠くに住む息子にとても面倒がられた。
じさまはあまり気にならなかった。
認知症が始まっていたのだ。
じさまの息子は妻に言った
犬がいるんだよなぁ、柴犬がさ
あの家はもう住まねえなぁ

妻はSNSに書いた
犬って…
14才の犬
何それってかんじじゃん?
じじいじゃんね
お義父さん施設っしょ、犬は殺しかないしょ。

日が昇って、陽射しが強くなり寒さが昼の陽気で和らいでも
トムはそのままだった。
じさまの用意した水も空になった。夜が来ても新しい食い物がない。
うんこはでた。
喉が渇いて、出したばかりの暖かいションベンをのんだ。
少し冷えたけど、便もたべた。
日が落ちると、寒さが昨日より酷いようだった。
トムはそのままだった。
1週間後もそのままだった。

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