一度アカ、一生アカの悲劇

一度アカ、一生アカの悲劇
“シーチン”修一 2.0

【雀庵の「大戦序章」84/通算516 2022/8/24/水】昨日は4回目の武漢肺炎ワクチン注射。今朝は庭の手入れや台風に備えての補強など。用事や仕事があるのは良きことながら、無理すると体調が悪くなるので一気呵成にというわけにはいかない。結局、何事をするにも時間、日数がかかる。日々自制。老化とはそういうことかと発見するのは面白いが、ちょっと寂しい感じはするね。

今、明治の自由民権運動家、福田英子の自伝「妾の半生涯」を読んでいるが、「お妾さんの自伝とは珍しい」と中身を見ずに買った本だ。ところが「めかけの はんしょうがい」ではなくナント「わらわの はんせいがい」! 知らなかったなあ。

「妾」の意味を調べたら、「側室、めかけ、こしもと、めしつかい。女性がへりくだっていう自称=わたくし。わらわ(童)の意から近世では特に武家の女性が用いた」。なるほど、福田英子は「妾」をタイトルでは「わらわ」、本文では「しょう」と言っている。

猫は「吾輩」とか偉そうにしているが、一般に男(ヂイヂ)は自分を「小生」「老生」「余」「拙者」などと言ったりするから、「妾」も「未熟な私」といった謙遜語なのだろう。

一方で「俺さま」「許してつかわす」などの尊大語があり、プーチンは露軍の将軍を尊大語で日々罵倒していそうだ、「急の役に立たぬ奴、無駄飯食い、お前はクビだ!」とか。プーチンは己の弱さを隠すために偉そうにしているのだという説があるが、そのうち調べてみよう。

「妾の半生涯」の読後感はいろいろあるが、「明治の漢学を修めたインテリ女の文章は格調が高かったなあ、敗戦で米国とその手先のアカどもにより良き文語体が消えてしまったのは、日本民族の大なる損失だ。今はさらに“日共赤旗流です・ます口語体”にしようとしている、赤色文化大革命粉砕すべし!」の感。

「言葉はちょっと不自由な方が含蓄、奥行きがあっていい」と夏彦翁も言っていたが、「なったら、ならぬ昔には戻れない」とも・・・残念なことだ。

日本大百科全書(ニッポニカ)「福田英子」の解説から。

<ふくだひでこ(1865~1927)明治の自由民権期の女性運動家。1865年(慶応1年)10月5日、備前国(岡山県)、岡山藩士景山確(かげやまかたし)の三女として生まれる。

幼時より母楳子(うめこ)の勧めで漢学を学び、小学校卒業後の1880年(明治13)に母校の助教諭となる。1882年、岸田俊子の岡山遊説を機に岡山女子懇親会を結成して、自由民権運動に参加。自由党解党後、大井憲太郎らとともに朝鮮改革運動に加わるが、計画が発覚して逮捕、投獄される(大阪事件)。

1889年、帝国憲法発布の大赦令で出獄、大井と結婚(?)して一子を生むが離別。1893年、同じく自由民権運動家の福田友作(ともさく)(1865~1900)と結婚するが、3人の子を抱えて死別する。

以後、石川三四郎ら社会主義者と交わって平民社の活動にも参加、1907年(明治40)には『世界婦人』を創刊、主筆として「婦人解放」の論陣を張った。『青鞜(せいとう)』にも寄稿している。

晩年は不遇であったが、生涯反権力の姿勢を貫いた。自伝『妾の半生涯』などの著書がある。女子の教育にも熱心で、私塾蒸紅(じょうこう)学舎(1883)などを開いている。1927年(昭和2)5月2日死去>

「晩年は不遇」・・・自由民権運動に押され1889年(明治22年)、大日本帝󠄁国憲󠄁法公布で国民による衆議院議員選挙が保障され、「直接国税を15円以上納める25歳以上の男子」にしか選挙権は認めらなかったが、とりあえず自由民権運動は初期の目的を達成したことになる。

憲法恩赦で出獄した福田英子は一時期は“英雄凱旋”でスターのようにもてはやされたが、「満つれば欠けるは世の習い」、晩年はツテを頼りに呉服の行商で糊口を凌いでいたという。人気スターの哀れな末路・・・何となく悲惨だ。

福田英子は今風に言えばゲバルトローザか赤軍派の重信房子あたりか。福田が師事した「岸田俊子」、この出会いがなければ福田の人生は穏やかだったかもしれない。この岸田俊子は何者か。

岸田と言えば・・・ひと夏の体験で岸田首相はコロナ、ついていなかった。この際だから隔離政策はオシマイにした方がいいのではないか。

警察庁によると2021年の交通事故死者数2636人、負傷者数は36万1768人。死者数は24時間以内の死だから、それ以後の死者を含めれば5000人ほど、死傷者のおよそ半分は高齢者だが、若い人も同じくらい被害に遭ってるわけだ。

2020/1/22~2022/8/21のおよそ2年半のコロナの累計死者は米国104万人、日本3万7000人(日経)。亡くなったのはほとんどが高齢者である。このまま規制を続ければ、たとえコロナを征しても経済ボロボロ、「国破れて山河あり」になりはしまいか。欧米では規制を解除した国が増えているようだ。閑話休題。日本大百科全書から。

<岸田俊子(1863~1901):自由民権期の女性運動家。文久3年、京都の呉服商の家に生まれる。女子師範学校を病気退学ののち、1879年(明治12)宮中女官に抜擢され1年余り出仕し皇后に進講したが、宮廷生活に満足できず病気を理由に辞任。

1881年、土佐旅行を契機に自由民権運動に参加した。弁舌に優れ、全国を遊説して女権拡張を説き人気を集めた。1884年自由党副総理・中島信行と結婚、中島俊子の名でも知られる。

結婚後も、自由党系の新聞『自由燈』に10回にわたって「同胞姉妹に告ぐ」を連載、男女平等を訴えたのをはじめ、『女学雑誌』などに多くの評論を書いた。また新栄女学校、フェリス和英女学校などで教壇に立ち、教育にも熱心であった。

夫・信行が衆議院議長や貴族院議員、イタリア大使と栄進したため、俊子も上流婦人の道を歩んだとされるが、生涯真実を追求し、女性の自立を求め続けた点は注目される。1887年、保安条例公布とともに運動から手を引いた>

「土佐旅行を契機に自由民権運動に参加」・・・明治時代の土佐と言えば板垣退助。小生は子供の頃に「100円札のお爺さん」と覚えたが、後には「征韓論に敗れた後、自由民権運動を始めてテロに見舞われ、『板垣死すとも自由は死なず』と言ったものの世間では『自由死すとも板垣は死なず』と茶化した」とは知っていた。

岸田俊子は土佐旅行で板垣の感化を受けたのだろう、岸田俊子に感化された福田英子も郷里の岡山から政治の中心である東京を目指し、大阪で自由民権運動の司令塔である板垣に面会する機会を得た。板垣を支持する知人の推薦状があったのだ。

英子は板垣とは面会できなかったものの板垣の「貴嬢の志望を聞いて感服せり。不肖ながら学資を供せん」との書簡を得て「五十金」を贈られた。今なら100万円。当座の軍資金にはなる。結局、福田英子は爆弾の運び屋をやってお縄を頂戴することになるのだが、一方で大先輩の岸田俊子は玉の輿に乗ってセレブになり“過激派”から離脱してしまった。

「存在が意識を決定する=人はカネ次第で易きに流れる」から岸田俊子の“転向”を非難するわけにはいかないが、梯子を外された福田英子は裏切られた思いだったろう。

福田英子は才媛だが、お人好しが過ぎて人を疑うことを知らないから、許嫁(いいなずけ)に活動費を乱費され絶縁、妻子持ちと内縁関係を結び一子をなしたものの、この男は英子の友人にまで手を出すという始末で破綻。その後1893年に同志のインテリと結婚し3人の子に恵まれたが、中江兆民夫人に借金するほどの貧窮の末に亭主は発狂して36歳で病死(1900年)・・・英子は1889年に釈放後、人気は高まったものの数年で下火になり、35歳で寡婦となって以降の晩年は苦しい内証だったようだ。

「妾の半生涯」は明治37/1904年が初版で、福田英子は39歳だった。生活は苦しかったが、「負けるものか」という思いなのだろう、巻頭の「はしがき」は戦意に溢れ挑戦的だ。以下、一部を抜粋。

<妾が過ぎ越し方は蹉跌の上の蹉跌なりき。されど妾は常に戦えり。蹉跌のためにかつて一度(ひとたび)も怯(ひる)みし事なし。妾が血管に血の流るる限りは、未来においても妾はなお戦わん。

妾が天職は戦いにあり、人道の罪悪と戦うにあり。この天職を自覚すればこそ、回顧の苦悶、苦悶の昔も懐かしくは思うなれ。

妾の懺悔、懺悔の苦悶、これを癒すの道は、ただただ苦悶にあり。妾が天職によりて、世と己との罪悪と戦うにあり。

先に政権の独占を憤れる民権自由の叫びに狂せし妾は、今は赤心、資本の独占に抗して、不幸なる貧者の救済に傾けるなり。妾が烏滸(おこ)の譏(そし)りを忘れて、敢えて半生の経歴を極めて率直に少しく隠す所なく叙せんとするは、強(あなが)ちに罪滅ぼしの懺悔に代えんとには非(あら)ずして、新たに世と己とに対して、妾のいわゆる戦いを宣言せんがためなり>

福田英子は明治日本のジャンヌ・ダルクのような感じがしないでもないが、一度アカ、一生アカの悲劇のヒロインだろう。彼女の第一子は早くから行方不明で、一種の育児放棄の犠牲者だ。英子は死ぬまで気にかけていたそうだが、罪は重い。良い人生とはとても言えない。

さて、令和日本。今や戦後未曽有の危機の時代だ。ナポレオン・ボナパルトは誰になるやら。岸田首相は大化けするか?

一方で体制転換を目指すつもりか、立憲共産党は岡田克也を次期幹事長に据えるとか。岡田克也と言えば、小生は「融通の利かない左巻きの原理主義者、変人」と記憶しているが・・・そもそも立憲共産党は無為徒食、それに甘んじているから政権を取る意欲もないし、ましてや大好きな中露北とガチンコで戦うどころか、その手先になりそう。根っからの反日親中の岡田は適役だが。

安倍氏なき今、明日の日本の姿をイメージできない・・・何となく不安を感じている国民は多いのではないか。芥川の「ぼんやりとした不安」とか精神疾患の「漠然とした不安」とか。どうも小生の場合は持病の鬱病と安倍喪失が重なったせいか、今日はチャリ散歩しても感動しなかった。雑文も罵倒力がかなり弱まった感じだ。まあ3日も経てば快復するだろうが・・・
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