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最近の日本のルッキズムに対するモヤモヤへの言語化


令和に入った頃から、インスタTikTok YouTube Twitter何を見てても急激なルッキズムの加速を感じました。

私自身は小学校低学年から、醜形恐怖症で毎日鏡を睨んでいたので、急に周りも?!何が起こっている!?という奇妙さを感じています。

最近の日本のルッキズムに対するモヤモヤへの言語化可愛くなろうと努力するのは全くもって、悪いことでは無いですが、どうにもこの不気味な風潮にモヤモヤする。
それは、長年見た目に悩んだ私だからこそ、何か喉に突っかかるものがある気がしたのです。

📍ネットへ自分の顔を投稿すること

📍同じ顔が増えすぎている、没個性

📍本来顔に悩んだり整形しないような性格の人まで巻き込んでいること

📍理想の人間が、特技や頭の良さに加えて、優れた容姿が必須条件になっている件

📍自己愛の用いられかたが本質とズレている

をテーマに書こうと思います。主観だらけの、感じた世間への違和感を書き連ねてみました。

📍ネットへ自分の顔を投稿すること  


まずこれは私みたいに平成からネットに張り付いている人ならわかると思うのですが、一般人なのに、明らかにピンの写真をあげる人が増えました。
令和以前は、自分一人の写真をあげるのは恥ずかしい、ナルシストだと思われる、という意向が一般的だった気がします。

それがいつからか、アメリカや韓国の影響か、自信満々の一人きりの自撮りをネットにあげる日本人が急速に増えました。

これが奇妙だと感じるのは、数年前まで恥ずかしがっていたのに、まるで自己愛を理解したかのように、自信をずっと持っている人間かのように演出している点です。

アメリカ人の自撮りと日本人の自撮り、どちらも一人で笑顔で撮っていても、何かが、ズレている、別物に見えるんです。(私だけかな…)
日本のは、かわいいよね?かっこいいよね?があまりにも全面に出てきすぎていて、
見ているこちらが少し引いてしまう。不健康な感じなんです。

Be realもそうですが、あえて加工をつけない写真をあげることも主流になりました。

ずっとSnowやプリクラに頼ってきた人種がいきなりノーマルカメラで写真を撮ったらそれは、不細工に見えますし、それを覆そうと、無加工でも綺麗に見えるように最善を尽くそうともがきます。

その努力行為が、私には異様に映ります。国民総出で芸能人でも目指しているのでしょうか…。
第一、ノーマルカメラでも映える顔とは、異様に顔が小さく、目がかなり大きく無いといけないです。そしてかなり痩せていないと全身は綺麗にカメラに収まらない。

📍同じ顔が増えすぎている、没個性   

美しいとされる顔の正解がまるで決まっているようにみんな同じ顔になっていく。
それは界隈ごとに少しずつ違えど、似たり寄ったりです。
ウォニョンやカリナのような顔、スタイルしか美人では無い。だからみんなで努力して目指そう。そんな圧を感じます。

黄金比から逸れていても美しい、目を引くバランス、パーツは確実にある、私はそう思います。だから、当たり障りなく、顔は小さく、目はデカく、鼻は忘れ鼻で、丸顔気味のシャープな小顔を何も考えずに、流されるように、目指さないでほしいとも思います。

オードリーヘップバーンはすごく綺麗ですが、かなりエラが張ってます。それでも、整形で無くさなくても良いと、私は思います。

個性は魅力につながると、信じてます。

📍本来顔に悩んだり整形しないような性格の人まで巻き込んでいること  


これはかなり深刻だと思っています。
私みたいに物心ついた頃から、鏡ばかり見ている人は、一生変わらないので仕方ないですが、本来は顔の美しさに囚われないような人が囚われているのを見ると、何とも言えない気持ちになります。

小学生の時は私の周りの人はほとんど、見た目なんか1ミリも気にしてませんでした。
髪もボサボサ、一重、歯並びガタガタ、それでもみんな私なんかよりよっぽど、純粋に小学校を楽しんでいたように見えます。

それが近年急に如何してしまったんでしょう。お金をかけて、顔や見た目が別人のように変える同年代をみて、なんか少し寂しい気がします。

📍理想の人間が、特技や頭の良さに加えて、優れた容姿が必須条件になっている件


 これも深刻です。こうなると、わかりやすくいうと、ただ頭がいいだけでは、ダメということになってしまいます。

様子のおかしい美人という言葉、爆美女という言葉がかなり厄介だと思っています。これはつまり、ただ少し綺麗なだけでは、微妙というニュアンスを含んでいます。
美人なのに、〇〇、こんなに〇〇なのに美人、の方が普通の美人よりさらに良しとされるような…
また、美しさも生き方も知性もスタイルも全て兼ね備えた、爆美女という意味不明な、ほとんどの人類には到達不可能な言葉、概念が生まれてから、女性の間で、ピリピリとした空気が流れ始めたように思えます。何だよ、爆美女って。美人で十分でしょうに。
人間の欲は底なしとは、まさにこの事ですね。。

📍自己愛の用いられかたが本質とズレている

こんなに自分が大好き、こんな自分が好き、見て見てみんな〜!みたいな…
やはり、日本人に自己愛を理解することは難しいんでしょうか。どうしても自己愛の話なのに、他者からの評価、愛情、尊敬。弛まぬ努力が入り込んでしまう。

人前で声に出した時点で、それは自己愛とは少し違うのでは…と思ってしまいます。
恋人や友達に可愛いって言われた!嬉しい!〇〇して、〇〇になってから私のこと好きになれた!^_^幸せ!
みたいなツイートやインスタよく流れてきますが、なんかもう、ズレすぎていて、どこから突っ込めばいいのかよくわかりません。
かくいう私も自己愛とは、非常に簡単なのに、慣れないが故に難しいな…と思っています。だって日本はこういうこと、誰も教えてくれないもんね。

何か言いたいかというと、
全体的に履き違えているのに、人生の正解は爆美女を目指すこと!そして幸せになる!が唯一のゴールになっているように世間が瞬く間に塗り替えられているところが奇妙だと、思いました。

ルッキズム、本当に難しいですよね。何年悩んでも答えには辿り着けません。まあ、抽象的な問題なので、答えなんてないのかも…

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