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お金を使えなかったのは何故?~「買えない女」、自らの肩書を返上する~


はじめに

突然だが、私はお金を使うのが苦手だ。
(私の最近のTwitterを見てくれている方は、「どこがだよ!」と思うかもしれない。ちょっと待って!後でちゃんと説明するから!)

どれくらい苦手か具体例を挙げてみる。
・2022年の服飾費は、服およそ2万円、インナー靴靴下でおよそ2万2~3千円(靴は買い替え)、コスメ2千円だった
・当時の服はほとんどユニクロ・GU・無印良品・生協だった(それぞれのブランドが悪いわけではない。アニエスベーやミナペルホネンに憧れていたのに、それを試しもしていなかったのが今思えば私にとっては問題)
・コスメは基本LDK(現品をテストする雑誌)の評価が高いプチプラをセレクト
・最近部屋着に穴が開いて、「よく着たな~買ったの何年前?」と思って振り返ったら、多分11年前。当時の購入価格は2千円弱である。ちなみに穴が開いた後も着ていた。
・コンビニにはほぼ行かない、何故なら単価が高いから。ラテマネーとは無縁の生活
・スタバにも行かない。何故なら高いから。なんで皆飲み物(特にテイクアウト)に700円も払えるん?富豪か?
・牛肉がなかなか買えない
・ファーマーズマーケットで安い地場野菜を買うのが人生の楽しみである(これは美味しいというポジティブな理由もある)
・家に飾る花も、花屋ではなくファーマーズマーケットで買う。予算300円台。
・QOL向上を目指して、職場持参の水筒用についに専門店ルピシアの茶葉を買うものの、ティーバッグは割高なので茶葉を買って、自分でお茶パックに詰める(飲んでいる時に茶葉が出てきてしょんぼりする)
・メイク時に指を拭くティッシュは半分に裂いて使っている(使いにくい)
・洗濯時の洗剤は、指示よりやや少ない量しか入れない。食器を洗う時も洗剤をちょび…ちょび…と追加している(食器洗いに関しては大変効率が悪い)
・ボーナスはほぼ全額貯金。実家にいたころ最初の数年、家族分のハーゲンダッツを買うのが私の唯一のボーナスの使い道だった

お金を使うのが苦手なのか単なるケチなのか判断に迷う項目もあるが、まぁこんな感じ。買い物がストレス解消になるという価値観があまりない。そもそも具体例を挙げようとすると、食=生きるために必要なものの比重が多い時点で、買えないタイプの人間のような気がする。

ファッションに目覚めて買いたいものは買おうと思ったが、それでも
・10年欲しいと思い続けたかごバッグより更に条件に合うもの(4万円台)を見つけるが、実際買うまでにとてつもなく悩む
・「靴は自己評価!」と家賃より高い靴を履きまくり、わざわざ地方から大阪まで行ったのに、結果買わない

という状況だった。
今使えるお金が少ないわけではない。定期収入があり、養わなければならない家族はおらず、お小遣い制でもない。比較的自由に買い物ができる状態であるにも関わらずこれ。過去に困窮世帯だった経験もないのでトラウマ的なものもない。

お金を使えないねじれた理由

なぜ私はここまでお金を使うことに抵抗があるのか。自分の中で答えはもうわかっている。
※ここから先はあくまで「私が考えた私の話」です。似たような環境や考えだとしても、他の方には当てはまらない事をご承知おきください。

私は私を大事にすることができていなかった。
私自身に投資することに意味が無いと思っていた。
なんなら、「お金をかけずにことを成し遂げるのが立派なこと」だと思っていた。
この「お金をかけずにことを成し遂げる」がずっと私を縛っていたようだ。このような考えが強固だったのには理由がある。

自慢以外の何物でもないが、私は難関大学を出ている。
そこに入学するのに、塾も家庭教師も使わなかった。親がお金を出してくれなかったのではない、勧められたが拒否した。教科書と数種類の参考書、赤本、あとは高校で強制的に受けていた模試。それだけで、地方のトップではない県立高校からその大学に合格した人には会ったことがない。大学時代、この話をすると同級生にとんでもなく驚かれた。(これ自慢になるのか!と気づいた後は自分からは言わなかったからサンプル数は少ないけど)

しかし、私はその後の人生でこの成功体験に縛られることになる。
その大学に合格できたのは偶然と幸運に恵まれたからだと頭では理解しながら、「私はお金をかけずに、努力で成果を出せる人間だ」と勘違いしたのだ。

「自慢以外の何物でもない」はずの貴重な経験を、「自らへの呪縛」に変換してしまった。
自分を大事にできない自尊心の低さを、私はコスパの高い人間=能力が高い人間だという思い込みで覆い隠し、それを自らのプライドとした。

生来のケチな体質にこの呪縛と思い込みが加わり、その後の人生の選択は「いかにお金をかけずに成果を出すか」が第一条件となった。

その後、就職のためにと思って、本来多くの人が講座に通って取る資格も参考書を2冊買って自学でパスしてしまった。これも一見成功体験なのだが、実際はどうだろう?参考書だけで合格できそうな資格に絞ったことで、自らの未来を狭めてはいなかったか?そこで本当に自分が何をしたいか考えて、学ぶことにお金をかけていたら、違う未来があったのではないだろうか?実際私はその後、就職支援サービス的なものを頼まないまま就活をはじめ、結果、志を果たすことができなかった。

お金は有限である。ある分で生きていくという認識は、健やかに生きていくうえで必要だと思う。
ただ、私の場合は「お金を使うのはは悪いこと」と考えて・・・いや、そこから更に考えを拗らせて、「お金を使っているのは愚かな人」と見下してはいなかっただろうか。

大学時代、ちょっと良いカフェに行ったという友人の話をにこにこ聞きながら、「かいりちゃんは何をしていたの?」と聞かれて「私は昨日国会図書館で絶版の本を読んでいたんだ」と答えたその時、私の中に驕りはなかったか。

コスメカウンターでタッチアップしてもらった話を聞きながら「@コスメを見たら口コミがわかるのに(当時は誰もが知るサイトではなかった)」と思った時、私の中に相手を見下す気持ちは無かったか。

・・・あったね・・・当時は自覚してなかったけど・・・。
ごめん!あの時の友人たち!!

お金を使わせなかったのは誰?

でもその時、私だって本当はショコラティエのカフェ(話の流れで誘ってくれたのに値段を理由に行かなかった)に行きたかったしデパートのコスメカウンターに行ける人になりたかった!憧れが僻みに転化してたんだよ!

じゃあ行かせなかったのは誰??


私だよーーーー!!!!!
(ここだけごんぶとフォントにしたい)


当時の私は仕送りもして貰っていたし、バイトもそこそこしていた。銀座のカフェやデパートコスメ数点を買うお金ならなんとかなったはずだった。なのに、それを「高いから」という理由でやらずにいた。

貴重な経験を得る機会を、お金がかかるという理由で手放していたのだ。

当時の私!その友人に連れて行ってもらえ!もしくは一人でもいいから行け!なんならピエールマルコリーニのカフェは月一行ってもいい!あんたチョコレート大好きなんだから!
あと伊勢丹新宿店と銀座松屋にも行け!魔法をかけて貰えるから!デパ地下も美味しいよ!
しょっちゅう海外旅行に行く友人のことも羨ましがってたな!行ける!あんたも時期とプランを工夫したら行けるから!
歌舞伎に興味あったくせに一幕見(一番安い席。お話すべては見られない)しか行ってないじゃん!「大向こう(舞台に掛け声をかける通の人)がいて楽しいんだ~」ってそれも楽しいけど一回は通しでちゃんと見たいと思っていたよね?!席を予約しろ!

当時の自分にかけたい言葉は山ほどある。ゼエゼエ。
しかし突き詰めると、私が過去の私に言いたいことは「お金を使って楽しいことをしろ」と「健康に気をつけろ」「仕事を押し付けるやつからは逃げろ」しかないのである。
(ちなみに健康も、お金を気にしすぎて私に適さない居住環境で暮らしていたせいで失ったのではないかという仮説があるが、今は深めないでおく。仕事に関しては今回は関係ないので割愛)

そして始まった新しい人生

おわかりいただけただろうか。

今、私が私のためにお金を使いまくっている理由を。
(ここもごんぶとフォントにしたい)

6、7月連続の東京旅行も、その旅行での杉崎製作所さんでの服のオーダーや翌日(翌日!)の伊勢丹での洋服購入も、カラーレッスン受講とその後のコスメ爆買いも、予定外に行った銀座松屋で買ったタッケェ部屋着も、軽率にコンビニで買ったやさぐれカフェラテやゴンチャも、軽率に打ち合わせに持ち込んだスタバのほうじ茶ラテも、花屋で買ったミモザとラナンキュラスも、ルピシアで注文したお茶の福袋(ティーバッグだよ!)も、東京旅でご一緒してくれた人のお勧めだからと買ったマリアージュフレールの紅茶も、すべては私が私を手に入れるための行動、ある意味精神療法なのである。


唐突に現在の自分を正当化し始めたが、私は今年の私のお金の使い方を1mmたりとも後悔していない。

なぜ私は私の呪縛を解くことができたのか。これはひとえにあきやあさみさんの自問自答ファッションのおかげである。
「学生時代もっといろいろやっておけばよかった」という思いはずっとあったが、ただ後悔するだけだった。その後悔を経験ととらえ直し、未来へのエネルギーに変換し、「私は私への投資が必要だ」と思えるようになったのは、自問自答ファッションを始めたからだ。

まず自問自答ファッションの考えに触れたことで、自己に向き合いながら物を買う大切さを知った。その後のあきやさんのオンライン講座の購入や自問自答ファッション教室への参加で、プロに対価を払ってサービスを受ける効果の高さを学んだ。これは私の中で大きな変化であり、未来をつくる行動だと感じている。自分で自分のかじ取りをできるようになったイメージだ。


とはいえすぐに、「俺のために俺のお金を使うぜヒャッハー!」とはなった訳ではない。(「ほんとかよ?!」というイマジナリー自問自答ガールズたちの声が聞こえる…!待って!今説明するから!)

私は私のためにお金を使った方がいい。その結論は2023年に出ていたのに、私はなかなか踏み出せずにいた。お金を使わないことを行動規範の第一にしていた人間が、急に方向転換するのは難しい。
そこで2024年、私は「枠」を設けることにした。

今年のボーナス分、私は私のために使っていい。

枠がないと使っちゃう人と、枠がないと使えない私が、同じようなことを自分に許可しているのがなんだか面白い。
私の場合は上限を作ることで枠を認識し、「ここまでなら使える」という安心があると、どうやら積極的投資ができるようだ。結果は上記の通り、「買えない女」を大返上中である。
その買い物に後悔がないのも、自問自答ファッションを通じて「本当に今の自分にとって必要なものか」を見極めることが以前に比べてずっとできているからだろう。

そして面白いことに、「使っていい」という上限を設けた私が並行して行ったのは、「現在のお金の使い方の見直し」だった。「枠」を積極的投資に使えるよう、携帯会社のプラン等の出費を見直したのである。これって普通、節約すると決めた時にやることだよね?私はお金を使えないと言いながら、漫然と払っている無駄な出費はあったのだ。なんてこった。

2024年はまだ続く。私の私のための買い物はこれからも続く。

かいりの次回作(お買い物)にご期待ください!!

おわり

おまけ①
悪い例として国会図書館と@コスメを出してしまったが、今でも私は国会図書館が好きだし、口コミサイトを見るのが楽しい。当時の私も、驕りや制約の中での選択というだけでなく、ちゃんと楽しんでいたと思う。その点についても忘れないでいたい。ねじくれてはいたけれど、私はちゃんと私の好きなことをしていたよ。

おまけ②
積極的投資をしてはいるけれど、生来のケチ体質は完全には変わっていない。ルピシアのティーバッグ福袋は、1回あたりの金額を比較して茶葉を買うのとほぼ変わらないから買えた(福袋は定価よりだいぶお得)面がある。これはもう性分なのかもしれない。
ティッシュはまだ裂いて使っているし、洗濯時の洗剤もちょっぴり少ない。食器洗剤ちょびちょびの癖は時間がもったいないから治したいと思っているが、相変わらず。ここは私の地球環境に対する意識も関わってくるので、ひとまず自分で自分を見守ることにする。

おまけ③
お尻部分に穴の開いた部屋着を着続けていたため、毎回の宅配便の受け取りは「絶対に振り向いてはいけない」という緊張の瞬間だった。新しい部屋着を買えてよかった。

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