そうぞう。想像。創造。

ある日の事。
スーパーで半額の値札が付いた惣菜と、豚肉を手に取った際に思う。

この惣菜やお肉は普段の陳列から残されて、価値を下げてもらってからやっと手に取ってもらえる。そんな立場。

もしも、これが人肉だとしたら…。そんなイメージが湧き上がる。
さて、幾つの年齢が人気のお肉だろうか?若い10〜20代?育ちもあるのかな?けれども、難しいのは「好み」である。
しゃぶしゃぶの潜らせる時間。ステーキの焼き具合。焼肉の焼く時間。個人的に好みは違うのだ。
そこまで考えると…内臓まで違うのか。凄く面白い。モツは食べてるけど人肉の内臓が店頭に並ぶ事は無い。倫理的にも。それを「気になる」と、思考したり実行したりする人間は弱くて頭が悪くてダサい人間。と、ちゃんと理解している。ここまで言って考える人間は自害した方が世の為、人の為だと思う。

話を戻すと、きっと処女肉は売れるのだろう。童貞の肉を食べたい人が居るかはわからないけど。
一昔前の食品偽装は、この考えだとこうなる。
「◯◯ホテル(飲食店)で、提供された処女肉は非処女肉でした。」「経験済みの肉を10代の非処女肉と偽っていました」「無料で提供されていた処女肉は童貞肉でした」「立入検査の結果、職員の名前を伏せて家畜用の餌にしました」とか。家畜に気を付かったり。

年齢がある程度行ったら、安くなるけどアク抜きや長時間の煮込み。圧力鍋とかいるかも。臭い消しに生姜とかいるかも。野菜と煮込んだり。

そんな事を考えながら、レジに並んで会計を終えて最後に思う。
そんな世の中や思想を持つ馬鹿じゃ無くて良かった。と。
「ありがとうございます」と言いながら、釣り銭を貰いつつレジの異性(男性)に、笑顔を送って帰宅する。

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