彼岸ノ月ガ廻ル刻 第二話【創作大賞2024漫画原作部門応募作】 

第二話 邂逅《カイコウ》

少女「怪我はない?」

 伊吹はよろめきながら立ち上がった。

伊吹「……あ、あの! 助けてくれてありがとう。大丈夫……たぶん……」
少女「良かった」

 ふわり、と少女が微笑む。
 少女にぴったりと寄り添っている少年は無表情だ。

伊吹「今の何?」
少年「ああいうの、今までたことないのか?」
伊吹「ない」

 伊吹が即答すると、少年と少女は顔を見合わせた。

少年「どう思う?」
少女「今の時期の夕方だから、しょうに充てられたんだと思う、けど」

 少年は伊吹に視線を移す。

少年「ないなら忘れろ」
伊吹「え?」
少年「今まで視たことがないなら、一時的なものだ。さっさと忘れろ」
伊吹「いや、でも!」
伊吹(さっさと忘れられないって)

 伊吹が食い下がろうとすると、少年は軽く息を吐いた。

少年「さっきのはかいと呼ばれる人間を喰らう存在だ。俺たちは怪異を祓う術師で、アレを追っていた。基本、霊力がない人間には視えないが、相性や時間の問題で視える時もある。怪異は自分たちに気づいた人間から襲う。だから、さっさと忘れろ」
伊吹「っ!」

 喰われるという言葉に体がピクリと震えた。
 首を掴まれた痛みが蘇り、伊吹は首に触れた。

少女「言い方」
少年「デッ」

 少女は少年の脇腹を小突く。

少女「彼の言い方がきつくてごめんなさい。でも、しばらくは怪異に気づきやすくなるのも、怪異に狙われやすくなるのも本当だから」

 少女はジャケットのポケットから一枚のカードを取り出した。

少女「数時間以内に発熱、頭痛、吐き気、咳、眩暈、全身の倦怠感とかの症状が出たら、すぐここに連絡して。電話番号は直通で、症状を言えば分かってもらえるから」
伊吹(風邪みたい)
伊吹「うん。ありがとう」

 差し出されたカードを受け取った伊吹の指先と、少女の指先が触れる。
 バチッと音がした。静電気に似た、鋭い痛みが全身を走る。

伊吹「イッ!」
少女「ツッ!」

 伊吹と少女は同時に顔を少ししかめて、指先を押さえた。

少女「ごめん。痛かったよね」
伊吹「こっちこそ、ごめん!」

 伊吹は鋭い視線を感じた。少年が伊吹を睨みつけている。

伊吹(怖っ! でも今のは不可抗力だって)

 伊吹は口元を引きつらせながら視線を逸らした。

少女「三月なのに静電気が酷いね」

 少年の放つ剣呑な雰囲気に気づいていないのか、少女は困ったね、というような微苦笑を浮かべている。

伊吹「三月? 今は九月だろ?」
少女「え?」
少年「は?」

 少年と少女は同時に驚いた表情になり、声を上げた。

伊吹「今日って九月二四日だよ、ね?」

 確認するように伊吹は二人を交互に見比べる。

少女「今日は三月二四日だよ」
伊吹「三月って、何言って!」

 ふいに受け取ったカードの文字が目に入った。

カード【桃総合病院 北棟特別総合診療科 東都赤坂区】

伊吹(東都? 赤坂? 赤坂って、あの赤坂?)
伊吹「あのさ、ここってどこ? 都内でいいんだよな?」
少年「お前、どうやってここまで来たんだよ」

 少年は軽く眉根を寄せて言った。

伊吹「えーと、その……人と一緒みたいな感じだったんだけど、ちょっといろいろあって……とにかく赤坂区とか聞いたことないし。それに東都って東京都の間違いなんじゃ――」
少女「待って!」

 少女は大きな目をさらに見開くと、焦燥感に駆られたように伊吹に詰め寄った。
 少女の薄紅色の瞳は金色がかって見える。

少女「今日は何年の何月何日? 君はどこから来たの?」
伊吹「今日は二〇二四年九月二四日。それで俺は西東京市から来たんだけど――」
少年「は?」

 少年の表情はさらに厳しくなり、少女は青ざめる。

伊吹(え、何? 俺、変なこと言った?)
少女「……彼岸の者」
少年「おい、それっ!」

 少年の顔に緊張感が走った。

伊吹(?)
少女「ごめん、ちょっと待って」

 少年を止めた少女はまっすぐ伊吹を見つめた。
 その瞳も表情も、不安に揺れている。

伊吹(……なんでそんな顔)

 チクリ、と心が痛む。

少女「もう一つの世界から来た人のことを、この世界では彼岸の者って呼ぶの」
伊吹「もう一つの世界?」
六花「私はみささぎ六花りっか。彼は」

 六花は少年にちらりと視線を送る。

飛鳥「いち飛鳥あすかだ」
伊吹「俺は北川伊吹。彼岸の者って何? もう一つの世界って?」
伊吹(そんなことあるか? 言葉だって通じてるし、服装だって違わないのに)

 ためらうように六花が口を開き、話始める。

◆六人の後ろ姿(単衣の着物の童女、狩衣に烏帽子の男性、小袖の女性、白髪に着物の老爺、着物に袴の少年、ワンピース姿の女性)
伊吹(三月と九月の彼岸の頃、俺たちの世界とこの世界は近づくのだという。その時ごく稀に、俺たちの世界の人間が、こちらの世界に迷い込んでしまうらしい。
 世界が近づくことを【彼岸の月が廻る】と言い、やって来た人のことを、彼岸の月に来た者、〈彼〉方の〈世界〉より来た〈者〉という意味で【彼岸の者】と呼んでいる。
 公の記録には残されていない存在だが、これまでに六人の彼岸の者が確認されている。
 そして六人目の彼岸の者が――)

六花「私の祖母。祖母は二〇三二年の東京都から、約四十五年前のこの世界に来たの」

伊吹(二〇三二年って八年後? そんな……)
伊吹「その人に、君のお祖母さんに会える?」
六花「ごめんなさい。六年前に病気で……」

 六花の目に哀しげな影が宿る。

伊吹「俺こそごめん」

 六花は小さく首を振った。

六花「ううん。……祖母は、この世界と元いた世界は同じように発展してる、って言ってたからすぐには信じられないよね。……風景とかの違和感もないと思う。でも、この世界には東京っていう地名はないの。だから飛鳥は知らなくて――」
伊吹(他の世界……)

 伊吹はあらためて二人を見た。

伊吹(そっか、今が三月だから二人は長袖なんだよな。それに知らない地名も、怪異の存在も――)

 ぐらり、と目眩がした。

伊吹(あれ……?)

 軽く頭を振ると、がくん、と体中から力が抜けた。

飛鳥「おい!」
六花「北川君!」

 慌てる二人の声が小さくなっていく。

伊吹(……返事しないと……。駄目だ、頭が重くて……考えが纏まらない)

 急激に視界が狭くなり、伊吹の意識は深く沈んでいった。

〘これは、似て非なる世界の物語〙
〘月が廻り、ときが動く〙