東京裁判。刑が宣告されるその瞬間

今月あたまに放送されたNHK映像の世紀「東京裁判」が面白かった。

1946年5月から、およそ2年間半かけて行われた東京裁判。
日本の戦争指導者の責任を追及される様子は、世界中に配信された。

衝撃なのは、被告人たちに刑が言い渡されるシーンだ。
被告人の数は25人。
判事が一人、また一人と判決文を読み上げていく。
「絞首刑」か「終身禁錮刑」か・・・
判決が言い渡される時の表情、去り際の様子、
”運命が決まった瞬間〟を、カメラは生々しく 記録していた。

被告人25人のうち、絞首刑は7人。
裁判を傍聴した川端康成は、その時の様子をこう記している。

 刑の覚悟はついているであろうし、
 動揺を表すまいとつとめていたようであるが
 これらの大物たちも、
 絞首刑と終身禁錮刑とのちがいは、隠すことができなかった。
 生と死とのちがいである。
 劇的な人間の生と死との分かれ目を
 私は眼前に見て深く打たれるものがあった。

裁かれる被告人たちの心境とは別に、国民たちの関心は低かったようだ。
1948年12月23日、7人の死刑は執行された。
年末で忙しいなか、このニュースは、
ほんの少し取り上げられただけだった。

そんな風潮を見てか、井上ひさしは、後にこう述べている。

 東京裁判は、『きずこそ多いが血と涙から生まれた歴史の宝石』と
 考えている。では、「きず」とはなにか?
 国民がこの裁判を無視していたことです。
 なぜ自分たちは、
 あんなにも大量の血と涙を流さなければならなかったのかを
 国民は厳しく問うべきでした。

これは、「歴史を検証せよ」というメッセージだと思う。
じゃないと、また同じような過ちを起こしてしまう可能性があるからだ。

ただ、終戦からおよそ3年。
ようやく復興してきたなかで
みな戦時中の嫌な悲しい記憶は忘れたかったのではないかと思う。
それぐらい、ツライ思いを沢山してきたのではないか、、、

一方で、自分も40を超えてくると、
それではダメなんだなと考えるようになってきた。
何か失敗したら、なんでそうなったのか?どうすれば良かったのか?
考えないと、次に生かすことはできない。
仕事でも何でもそうだ。
せっかく大きな犠牲を払ったのなら、
同じ過ちを繰り返さないためにも・・・
辛くても、目を背けずに向き合っていかないといけない。

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