日本橋三越の実力

7月に従兄弟が結婚式を挙げることになり、私も参列することになった。
問題なのは、着ていく衣装だ。

「着物を着たい!」と声高く叫んでいたら、
「だったら三越へ行ってこい」と母から言われ、
貸衣装屋で、着物をレンタルすることになった。

メンドクさいけど、いざ日本橋三越本店へ。

貸衣装コーナーに行くと、さっそくつまづいた。
店員「予約していますか?」
私 「いえ、していません」
店員「・・・」

店員さんは、唖然としていた。
どうやら衣装合わせをするには事前予約が必要らしい。
しかも、今は七五三に向けての繁忙期。
どうなるのかしら、、とドキドキしていたら
たまたま、客が切れたということで、
急遽、対応してくれることになった。

出てきたのは、40代後半ぐらいの女性。
パッパと仕事をこなす、「できる女性」だ。
私が、予算、用途、時期、挙式場所を言うと
すぐに、いくつか着物をピックアップしてくれた。

これが、すごくセンスが良い!
色も柄も、実に自分によく似合っているなと思った。

着物は「流行」や「季節の柄」というのがあるらしい。
見誤ると、「こいつ、何もわかっていない奴だな」と
バカにされるという。

また、「帯」、「帯締め」、「帯揚げ」などのアイテムが多く、
そのバリエーションも無限にあり、
コーディネートが死ぬほど難しいという。

店員さんも「何が正解か分かりません」と言いながらも、
テキパキと組み合わせ、実に素敵に仕上げてくれた。

「うーむ、これが三越パワーか」

さすが老舗・呉服店。唸った。

繁栄した老舗呉服店

江戸時代、日本有数の商業の街として活気づいた日本橋。
魚市場のほか、薬、繊維などの問屋が軒を連ね、
多くの人々が行きかっていたという。

その中で、ひときわ存在感を放っていたのが
三越の前身となった呉服店「越後屋」だ。
商品を「誰に対しても同じ価格」で売ったり、
「反物の切り売り」といった独自の販売方法によって、
繁盛するようになったという。

明治時代、着物が売れなくなると商品の幅を広げ、
日本で初となる「百貨店」として生まれ変わった。

今では百貨店は数あるものの、
やはり「着物」は、三越の得意分野だと、母は言う。

もちろん、値段はそれなりにするものの、
その金額を払っても惜しくないほどの
着物の品質、そして着物を熟知している店員さんがいる。
かっこいいなと思った。
普段できない、とても良い経験になった。

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