〝暴言〟前明石市長「みんなの力で夜明けを迎えよう」

おとといの東京新聞。
政治や経済で暗い影を落とす日本。
久しぶりに、「国民目線」で、「実行力」がある政治家と出会った気がした。

前明石市長、泉 房穂(いずみ・ふさほ)氏。

泉氏といえば、明石市長時代、市の職員に度重なる暴言を吐いた人物。
〝暴言市長〟として、連日全国のニュースで取り上げられ、
辞任に追い込まれた人物だ。

当時マスコミは、彼の威圧的な振る舞いばかりフォーカスしたが
意外にも、明石市民には人気が高い市長だったという。

政策が評価された。
国が子育て対策を行う随分前から、
市独自の子育て支援策を次々と打ち出し、成功させていた。

18歳までの医療費の無償化
第2子以降の保育費の無償化
中学校の給食費の無償化
コロナ禍では、1人親家庭の中学生が高校に進学するための
給付型奨学金を作った。

 「予算がないと言われたけど、優先度が低い事業を削れば実現できた。
  ガラガラの商店街にアーケードを付けても、抜本的な解決にならない。
  物を売る側ではなく、買う側の市民に向けて政策を打ちたかった」

高齢者や障碍者福祉にも尽力し、
人口や税収は増え、〝明石モデル〟として注目された。

 「子育て世代がどんどん移り住んできた。
  明石の地域経済が回って、商店街や建設業界が潤って
  その結果として、税収が増える好循環にすることができた」

原点には〝脳性まひの弟〟

兵庫県明石市の貧しい漁師町で生まれた。
4歳下の弟は、生まれつき〝脳性まひ〟の障害を持っていた。
当時は、障碍者に厳しい時代。
周りの風当たりは厳しく、弟を連れて学校へ通った泉氏は
「毎日、戦場に向かうような気持ち」だったという。

一番忘れられない記憶。
全校で行った潮干狩り。当時小1の弟が浅瀬で転んで、
自力で立ち上がれず溺れていたのに、誰も助けてくれなかった。
泉氏が走って、弟を起こしたという。
帰り道、悔しさと強烈な怒りが溢れた。

 「なぜ弟は、こんな理不尽な思いをしないといけないのか。
  絶対に私が強くなって、賢くなって、
  誰かが困った時に助け合う優しい町にしてやる」

暴言で辞任した後、市民から泉氏の再出馬を求める署名活動が始まったという。
全国から〝暴言市長〟と叩かれても、明石市民は味方してくれたという。
市長選の結果は圧勝。
3期務めて、去年4月に退任した。

泉氏の「困った人を助け合う優しい町にしたい」という強い思いは続いているという。

 「次は日本全体に広げていきたい。
  30年前から給料は変わらないのに、社会保険料や物価は上がり
  夢を持とうとしても持てない。
  将来が不安でプロポーズも子供も諦める
  ここまで国民の生活が追い詰められているのは、おかしい。」

そして、私たちを鼓舞するこんな言葉も

 「逆にその状況というのは、
  一気に転換を迎える可能性があると思う。
  今はまさに夜明け前。最も暗くて寒くて、一番しんどい状況。
  冷たい社会を変えようとする政治家を選んで、
  みんなの力で夜明け迎えようと言いたい」

こういう人を、政治家って言うんだろうなと思った。
もしかすると、部下は再び暴言を吐かれてしまうかもしれないが、
是非国政に挑戦してもらいたいなと思った。

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