祖母の孫育て

片親一人っ子の人生記2。
厳格に育てられた…というのは、今でいう高校生~大学前半期くらいの青春時代を戦争に奪われた祖母(昭和2年生まれ)からしつけられたということからそう表現した。
あいさつ、生活習慣(早寝早起き)、学習という小学生の生活の基礎というか仕事というか、やるべきことをきっちり叩き込まれた。

営んでいた商店(といっても台所も居間もある)に「ただいま~」と帰る。
玄関=商店の出入口
だったのも面白いので記録。
今でいうコンビニ、入る時にチャイムが鳴る。ファミマは音楽ね。ローソンはピンポーン。セブンは思い出せない。
うちの商店にも入店するとセンサーによって♪ピンポンピンポン、と鳴ったので、「お客さんと区別したいから必ず大きな声でただいま~と言え」と教わった。大きな声で、がポイント。
その名残で、今も帰宅した時に家に誰か居るとなれば「ただいま~」と言いたがるし、ぶっきらぼうに無言で帰るというのは何となく気が引ける。
私は言われたことを言われた通りにある程度やっていたとの記憶が強く残っている。きちんと言うことを聞く、という子供だったと思う。証言してくれる先代がもう居ないことをいいことに。
「ただいま~」後は、机に座って、ランドセルを開いて、教科書を開け、と教わったので言われた通りにした。(歯向かうこともあったかもしれないが覚えていない)

勉強は好きではなかったが、負けず嫌いで、人よりもうまくやりたい、点数を取りたい、という気持ちは強かった。
小学4年くらいまではテストは50点とかだったが、日々「勉強するといいんだぞ」と祖母から言われ(勉強しろ、ではなかったなぁ)、ほうほう、と素直に言うことを聞き、それで点を取れることが楽しくなってきたのと、私が仲良くしていた友達がピカイチに頭がよくて、それに触発されたのもある。

母は、勉強については何も言わなかった。
そして夜は遅かったが、朝ごはんは必ず一緒に食べてくれた。ごはん作りはすべて祖母だった。1度「お母さんってご飯作れるの?」と母に聞いたことがあったそう。私はそれを覚えていないが。
母は水商売で厨房も担当していたと後から聞き、のちに料理は大得意だったことを知ることになる。それは後程。
朝ごはんを一緒に食べてくれたのは、これものちに聞いたことだがきちんと母なりの意地というかルールがあったようだ。
「夜は不在。朝ごはんだけは家族3人全員そろって一緒に食べたい」
いわゆる団欒の時間。何を話したかも覚えていない。その時間を大事にしたようだ。
私の顔色や表情をみていてくれたのだろう。

そして、私は朝ごはんをなかなか食べられなかった。
厳格に育てる…となると「食べなさい」となるように思うがそこは違った。
商店にある「菓子パン」を食べろと言われた。そこは祖母や母は柔軟というか、ぶっ飛んでるというか…。子育てをする私からするとあまり選択したくない。
それだけ、私が何も食べられなかったということかと思う。確かに記憶はある。朝起きて20分くらいなんて、ご飯が喉を通らなかった。
何かしら食べて学校に行かせたい気持ちだっったのだ。解決策として菓子パン。菓子パンなら食べれた。母や祖母なりの愛情だったんだろう。
そのおかげか、4年生ごろからぽっちゃり体型であると気付き始めた。
そしてそんな生活だと当然ながらよく風邪を引きなり休んでいた。
こうともなれば厳格に育てられたという表現は取り消した方がよいかもしれない…。

中学では、男子と一緒に部活していたので、かなりお腹がすくのでよく食べられるようになった。記憶は曖昧だが、菓子パンも中学では辞めたと思う。

中学はまたそれはそれで今をつくる面白い時期なので後程に。
ここまで読んでくださりありがとうございました。


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