没入感を欲する禁断症状への処方箋

気が付くと何時間も過ぎていて、驚くことが稀にある。

趣味は読書と公言するほどの量を読んではいないが、本を読むのは好きで続けている。
ただ、好きなジャンル、作家が偏りすぎていて、ストライクゾーンがかなり狭い。

僕の父も本を読むのは好きだったらしく、実家には歴史小説の文庫本が何冊も並んでいた。徳川家康、織田信長などの戦国武将の伝記ものや「坂の上の雲」などの司馬遼太郎作品を好んで読んでいた。

僕は小学校の頃に読んだ「まんが日本の歴史」が好きで、日本史に興味があったので、伝記ものを手に取って読んでみたが、20数巻ある歴史小説はハードルが高かった。幼少期から細部にわたって描いているため、ストーリーが遅々として進まず早々に飽きてしまった。『桶狭間の戦いはいつになったら出でくんの?』と思いながら、途中で断念してしまった。

父のコレクションのなかで興味を惹かれたのは、司馬遼太郎の「燃えよ剣」。幕末の志士、新選組副長土方歳三の生涯を描いた歴史小説で、文庫本で上下巻。伝記ものに比べると格段に短く読みやすい。激動の時代に揉まれ、抗いながら自分の信念を貫く土方の生き方に痛く感銘を受けて、度々再読している大好きな小説の一つである。
鳥羽伏見の戦いの戦況を見つめる土方に一人の志士が問う。『これからどうなるのでしょう?』『どうなる?私は常に”これからどうなるか”ではなく”これからどうするか”しか考えていない。』彼の生き方の指針を端的に示す名言である。

大学の時にはミステリー小説にハマった。学内の購買部の書籍売り場に教科書を買いに行ったときにふと手に取った宮部みゆきの「龍は眠る」。人の心が読めるという少年と雑誌記者が事件を追うあらすじに惹かれ、教科書代の残りで文庫本を購入。読み始めると面白くて、授業中も講義そっちのけで読みふけってしまった。疾走感あるストーリー展開、特殊能力を持つ少年の葛藤、雑誌記者を主人公として物語を紡ぐ日常風景の描写。なかなかの長編小説だが、あっという間に読破してしまった。

その後も「レベル7」「火車」「理由」「クロスファイヤ」などの長編ミステリーから「地下街の雨」「返事はいらない」などの短編集まで。文庫版を見つけては買い、読み漁っていた。読みやすい癖のない文体で、日常風景を切り取るのが上手く、物語の世界に入りやすい宮部さんの小説はともすると飽きっぽい僕にはぴったりだった。

宮部さんは時代小説も数多く発表しているのだが、僕はそのジャンルにはイマイチハマらなかった。時代小説の風景描写は頭の中で描きにくく、やはり小説の世界に入り込めるかどうかが僕の分岐点になっているらしい。
でも、おそらく中世ヨーロッパを舞台にしているであろう「英雄の書」や「ブレイブストーリー」などの冒険ファンタジーには入り込めるからややこしい。おそらく「ドラクエ」や「ファイナルファンタジー」等のロールプレイングゲームの世界観に馴染みがあるからだと思われる。

文庫版を好んで買い求めているのは、何より値段が手ごろだから。更に持ち運びやすく、授業中読んでいてもバレないから。今ではハードカバーやソフトカバーの単行本も買うが、やっぱり文庫本のサイズ感がしっくりくる。また、文庫版では追加された新たなエピソードやあとがきが読めるのも魅力のひとつだ。単行本より安くて分量が増えている文庫本はお得感が半端ないのである。新刊が出ても、文庫版が出るまで買うのを躊躇したりもする。

ミステリー小説の入口は宮部みゆきで東野圭吾も好きで読むが、あまり広がりを見せないのは食わず嫌いな性格が災いしている。大学時代の友人も本が好きで、村上春樹の「ノルウェーの森」、村上龍の「限りなく透明に近いブルー」などの現代文学を勧められて、読んではみたが、ハマらなかった。
文体が少々難解に思えると、僕の浅い脳ではその深さに落ちていけないのであった。

それでも、純文学は読むシチュエーションとシンクロすると深みに落ちることもある。
高校2年生の夏休み。大学受験のために予備校の夏期講習に参加した時の事。自宅から離れた予備校であったため、寮に泊まり込んで講習を受けた。ベットと机以外何もない部屋に2週間。他に誰も知り合いのいない、勉強以外することのない環境でたまたま手にした太宰治の「人間失格」。陰鬱な主人公とその時の自分の心理状態が妙にリンクして、没入してしまった。
だが、深みにハマり過ぎてしまったのか、夏季講習の期間中誰とも会話せずに鬱々と勉強に励んだ。『恥の多い生涯を送ってきました。』の書き出しは未来の自分を暗喩しているようで、暗い部屋で一人恐ろしくなった。

それもあってか、ミステリー小説以外の分野には手を出さずにいたが、近年新たなジャンルを開拓した。エッセイ集である。著者の体験や随想(思ったこと、考えたこと、感じたとこ)を特定の文学的形式を持たずに自由に綴ったものであるらしいこの文章は、著者の頭の中を覗いているようで非常に興味深い。

読み始めるきっかけはオードリー若林正恭さんのエッセイ、「ナナメの夕暮れ」。数年前から深夜ラジオ「オードリーのオールナイトニッポン」を聞くようになって、若林さんのトークの面白さに惹かれていた。彼の考え方や世の中への疑問や葛藤は僕にとって切り口がとても興味を惹かれるものだった。トークの中でも何度かエッセイについても触れており、是非読んでみたいと思った。

そういえば、中学生の時に読んだダウンタウン松本人志さんの「遺書」や「松本」もエッセイだったかなと今にして思う。当時は本気で『ダウンタウンはあと数年で引退する』と思っていた。(「遺書」では自身の引退について触れている)お笑いを好きになるきっかけはダウンタウンであり、憧れがねじ曲がって似非関西弁になってしまうほどだった。テレビでは語られない松本さんの考えや憤怒が詰め込まれた著書は思春期の僕に(多くのお笑い好きと同じように)衝撃を与えた。閑話休題

「ナナメの夕暮れ」は若林さんの考え方だけでなく、なぜ自分がそのように考えることになったのかまでを掘り下げて書かれており、そこからどのように自身の生きづらさとの折り合いをつけたのか、ナナメから物事を捉えてしまう自分からの脱却へと発展してく。彼の考え方には共感する部分も多いし、また『それは考えすぎじゃない?』と思うようなことでも、その視点、切り口、思考回路の面白さに感嘆する。この一冊をきっかけに彼のエッセイを読み漁った。「完全版 社会人大学人見知り学部卒業見込み」は「ナナメの夕暮れ」の前段となるエッセイで人見知り卒業前の苦悩がふんだんに盛り込まれていて、これもまた面白い。紀行文の文学賞である斎藤茂太賞を受賞した「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」ではキューバへの一人旅の旅行記を独特の視点で書き綴っており、その語り口から心理描写の変遷が読み取れる。文庫版ではキューバ旅行に加えてモンゴル・アイスランドへの旅行の様子、そしてコロナ禍直後の東京で感じたことの3編が追加されており、お得感満載の一冊なのだ。

僕がnoteで文章を書こうと思ったきっかけも若林さんだ。若林さんのエッセイが読みたくて、ネットで検索してみると、彼は現在(2024年1月)雑誌での連載は持たず、このnoteにエッセイを寄稿していることが分かった。
今まで知らなかったnoteという媒体に出会い、これまで誰にも放つことの出来なかった僕の分かりにくい頭の中を人知れず世に放つことができる空間があることを知った。

ただ、当然のことながら若林さんのエッセイは有料で月額¥1,000。いつか書籍化するのではないかと思うと、まだ手が出せずにいる。本好きとしては出来れば紙媒体で、それも文庫本で読みたい。2020年7月からエッセイを寄稿しているので、書籍化には十分な分量もあるはず。『そろそろご本だしときませんか?』と勝手ながら思う今日この頃ではあるが、『いかなる要望も叶わない』ことを自覚し、座して待つのが良いか、書籍に比べるとコスパダウン覚悟で彼の文章を欲する禁断症状に従うべきか、もう少し懊悩してみようと思う。

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