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オーネット・コールマン「チャパカ組曲」がだんだんと傑作のように思えてきた

そもそも、このチャパカとはなんなのか。このもととなった「チャパカ組曲」とはいったいどんな映画なのか。
なぜ、この音源はボツとなったのか。
なぜ、こんなB級ともとれるアシッド・ムービーの映画音楽を孤高のアーティスト、オーネット・コールマンが引き受けることとなったのか。
なぜか、本国アメリカでは発売されることなく、フランス盤、そして、英国盤、日本盤のみが存在するこの作品。
今一度、この作品について考えてみたい。

ORNETTE COLEMAN 『CHAPPAQUA SUITE』CBS 66203

オーネット・コールマンの「チャパカ組曲」このチャパカとはなんなのかと思っていたが、ネットで調べると、もともとの映画「チャパカ組曲」で監督・主演を務めたコンラッド・ルックスが幼少期を送った街であるらしい。ニューヨーク市北約50キロメートルのところにあるNYのアップステイトとして知られている街。ビル・クリントン前大統領・ヒラリー・クリントンが居住する街ということで治安も悪くないのだろう。
幼少期、そのチャパカでコンラッド・ルックスは、幸福と平和の満ち足りた日々を過ごす。世の中のことをまだなにも知らなかった時期。もちろん、薬物などの存在も、また、それに手を出すことになる様々な弊害についても。

映画では、主人公がかっての穏やかな記憶を取り戻すシーンで、チャパカ時代の記憶が断片的に登場する。映画は、裕福な実業家の息子であり、重度の薬物中毒であるコンラッド・ルックスが、その治療の為にスイスの病院で治療を受ける。その睡眠療法での幻覚作用、中毒者の告白、ヘロインに手を出すなというメッセージ、それがこの映画の概要であると。

さて、この映画の音楽を依頼されるのが、前衛ジャズの鬼才、オーネット・コールマン。当時、オーネットは二年間の沈黙時期。だが、これは創作上の行き詰まりではなく、単に仕事がない。失業状態であったと言われている。

「1962年に、ぼくは8枚のレコードを出し、売れ行きも悪くはなかった。それなのに部屋代が97ドル50セントだった東10丁目のアパートから追い出されるような羽目になったのです」

と、コールマンは語っている。なぜ、8枚もレコードを出した人間が、こうも経済的な窮地に追い込まれるのか、私にはまったく想像がつかないが、きっと、それには当時の人種問題が関係しているのだろうか。

そんなオーネットに、コンラッド・ルックスは音楽提供を依頼した。経済的に苦しんでいるオーネットならばここは喜んで引き受けたと思うのだが、なぜか、オーネットはこの話しを即座に受けず、長い間、考え続けたという。考えるに裕福な白人のお坊ちゃんが遊びでヘロイン中毒に陥り、制作費75万ドルの親の金で、自分を釣るつもりなのかなどと、オーネットは思ったかも知れない。だが、オーネットは熟慮のすえこの仕事を引き受ける。

そして、この作品は二年間の沈黙の後のオーネット・コールマン復帰一作となる。メンバーは、オーネット・コールマン(as)デヴィッド・アイゼンゾン(b)チャールズ・モフェット(drs)というかの名盤、「ゴールデン・サークル」と同じまさしく黄金のトリオ、+ジョゼフ・テクラ編曲による11人編成のアンサンブル(木管楽器、ブラス、ストリングス)それにファラオ・サンダース(ts)が一部のみ参加する。

まず、オーネット・コールマンがこの二枚組のほとんどを吹いて吹きまくる。片面=20分として、20×4=80分。アルト一本に専念し、これだけ吹きまくるオーネット・コールマンの作品も他にないだろう。まず、これに圧倒される。
そして、着目するはオーネット・コールマン・トリオとアンサンブルとの共演だ。このアンサンブルがかなりクセもので、コールマン・トリオのバックで音をアンサンブルを奏でるというものではないのだ。それは、突然に流れたり、とまったりしながら、トリオ演奏に切り込んでくるのだ。まるで、波動のように、映画「サイコ」のバナード・ハーマンその影響をディフオルメしたかのような。早すぎた音響系。このアンサンブルと自在な表現をぶちまけるオーネット・コールマン・トリオのからみ、私はジャンルを超えてこのような特異な音楽を聴いたことがないように思う。

さて、なぜ、オーネット・コールマンは、当初この作品のオファーを迷ったのか。
白人の白人のお坊ちゃんの映画作り遊びに付き合う必要はない、そう思っていただろう。私は、長い間、そう思っていた。そう信じていた。どうせ、ろくでもないB級サイケ・ムービーだろうと。それには、オレの音楽じゃなくて、サイケ・ロックが適当だろうと、オーネットは思っていたに違いないと。
今にして思えば、白人主体のドラッグ映画に孤高のオーネット・コールマンが音楽を提供していること自体が異質なのだ。それが、たとえ、現代アメリカを代表する写真家ロバート・フランクが撮影を担当した作品であったとしても、「天井座敷の人々」で知られるフランスの名優・ジャン=ルイ・バローが助演しているとしても、ビート詩人たち、ウイリアム・S・バロウズ、アレン・ギンズバーグが共演しているとしても、さらには、この作品がことにあろうかヴェネチア国際映画際で審査員特別賞を受賞した作品であったとしてもだ。

だが、私はここにきて思う。オーネットは自らの音楽が果たして映画の効果として成立するのかという点に疑問を持ったのではないかと。それが、マイルス・デイヴィスの「死刑台のエレベーター」や、MJQの「大運河」のようなものに成り得るのかと。それが、何より、このオファーを迷わす大きな要因ではなかったのかと。その至った結論が「これが映画音楽であろうとも、我々は、我々のイメージで演奏する。その音源を使うか、使わないかは、あなたたちに自由だ」そうしてこのレコーディングははじまったのではないか。
しかし、結果、このオーネットによる音源は、本作品(チャパカ組曲)の映像を無視して作られたようにも思えない箇所が出てくるのだ。(オーネット自身が出演しているシーンもある)
波動のようなアンサンブル、これは、麻薬中毒患者に襲ってくる周期的な禁断症状ではないか。とすれば、オーネット・コールマン・トリオの演奏こそ、主人公の心理状態そのものを表現しているように思う。オーネットのアルトは焦燥や幻惑を、デヴィッド・アイゼンゾンのベースは寝台のきしみを、チャールズ・モフェットのバス・ドラムは中毒患者の心臓の鼓動を表現する。
さらに、このSIDE1に収められたオーネットのフレーズに、何か玩具箱をひっくり返したようなフレーズがある。マーチのような、分かりやすい音の連なり、幼児性を感じさせるようなフレーズが続くのだ。この部分こそ、コンラッド・ルックスがチャパカ時代の幼少期の記憶、それをフレーズで表現したものではないだろか。
もしかしたら、この作品でオーネットが表現したかったもの、それは、幼少期における幸福と平和の満ち足りた日々の記憶ではなかったか。
オーネットはこの演奏に、自身の幼い頃の思い出、テキサス州フォートワースでテンガロ・ハットを被り玩具のピストルで遊んでいた頃を重ねたのではないか。その幸福と平和の満ち足りた日々の記憶を。オーネット自身のチャパカ組曲としてのイメージを。

だが、この映画音楽はひとつだけ欠点があった。この作品が仮にどんなに優れた作品だとしても、この音楽は大抵の映画を喰ってしまうということだ。
そして、このオーネット・コールマンによる「チャパカ組曲」はボツになった。そして、こうしてレコード盤だけだ残る。(映画完成版音楽はラヴィ・シャンカールが担当)

映画は興行的には不成功に終わったらしい、いや、そもそもきちんとした興行の機会が与えられなかったという話しもある。だが、ヴェネチア国際映画際で審査員特別賞を受賞したというくらいだから、稀有なサムシングが存在したことも事実だろう。そして、それは、このオーネット・コールマンの「チャパカ組曲」同様に同じことが言えるのだ。

SIDE 4のオーネットのトリオ、ファラオ・サンダースのテナー、それに残響を引っ張るかのようなアンサンブルの断続的な響き、それが渾然一体となってカオス状態をつくりだす様子、その創造性は前例がなくとても表現できないもの。まさにここに圧倒的なサムシングが存在する。

あの頃、量産されたB級ドラッグ、アシッド・ムービー、そのイメージのなかで括られてしまっているとしたら大変もったいないと思う。
オーネット・コールマンによる「チャパカ組曲」の再評価を望みたい。

ORNETTE COLEMAN 『CHAPPAQUA SUITE』CBS 66203

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