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日傘

しょうもない話をします。

日傘、それは私にとっては、敷居の高いブツです。

私の周りで日傘をさしていた人を思い起こすと、
読者モデルみたいなのによく引っ張られていた女の子と
レースクイーンを目指していた女の子と
結婚式前だからという女の子だけでした。
他にはいません。

これらの例から導き出される結論として、
日傘は、見た目を守るそれ相応の理由がないとさしちゃいけないシロモノに思えるのです。
馬鹿馬鹿しいですけど、日傘をさすということは周りに
「私は自分の見た目に価値があるから、この価値を守らなきゃいけないの」
と宣言して歩いているようなもの、と思えるのです。

うん。みんな価値があるんだからそれでいいじゃないか。
と言われても、私は日傘をさせません。
私は自分の見た目に、日焼けを防ぐほどの価値があると豪語できないからです。

自然に焼けてしまえばいい程度の人間と、
若さを保つために焼けてしまってはならない人間。

これを日傘をさすかささないかの基準だと考えてしまうのは
私だけでしょうか、多少の共感を呼ぶのでしょうか、はたまた一般論に近しいのでしょうか。

小学生が日傘をさすのはいかがなものか、ということで一時ネットか何か騒ぎがあったように思います。
その時日傘は「直射日光から守ってくれるから熱中症予防になる」的な存在として、必要性が説かれていました。
日陰を作ってくれるから暑さが幾分か和らぐとか。
確かに信号待ちで先の友達の日傘に少し入れてもらった時、頭皮がジリジリ焼かれる感じがおさまりました。

北海道から出てきて、東京の暑さにヒーヒーいうままに、さらに南下して名古屋まで来てしまいました。
この夏、直射日光の浴びすぎでぶっ倒れないために日傘を導入しようかと思うこともあるのですが
先に述べた理由から、二の足を踏んでいます。
馬鹿じゃないの、という声が聞こえてきます。はい。ただの偏見なんでしょうけどね。

でもじゃあなんで男の人はほとんど日傘をささないのでしょう。
どうして街ゆく人がさす日傘は、フリフリだったりかわいいデザインのものが多いのでしょう。
老若男女関係ないアイテムだったなら、私も迷うことなく導入できたのに。
どこかのコピーライターよ、世の中に説いてくれ。
日傘はこれからのスタンダード。大人も子供もレッツバイ日傘。

大人しく自分に似合う帽子を見つけようかな。と妥協点を探してしまいます。
まあ、傘は片手が塞がるし強風の時の抵抗が好きじゃないので、心から望むアイテムでもないのです。

しかしながら、日傘をさす側の人間と、ささない側の人間の間の溝が(私の中で)埋まらないことに、若干の無念が残るのであります。
また、馬鹿馬鹿しいなと声が聞こえてきます。スミマセン。

実際問題、
周りからどう思われようが自分のことだけ考えよう!
自分のしたいようにすればいい、買いたいなら買いなよ、日傘!
それに尽きます。

いちいちこんなこと気にして、
日傘をさす女の人を「ほえ〜日焼けしたくないんだなあ、どれどれ」と品定めする私が悪いに決まってます。
ああ、ゴメンナサイ。懺悔します。

文字にしたことで少しでも浄化されますように。
いつかの私がこんなこと気にせずに、馬鹿みたいな顔で日傘をさしてますように。

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