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はじめに

【新しいアストロロジーの時代】

「ホロスコープの愉しみ」をご紹介してまいります。

占星術には占星術なりに「当たるも八卦、当たらぬも八卦」といった当てもの占いの面白さがあります。

そのような神秘的な占いにひかれて、西洋占星術を学んだのですが、社会人になって久しいころ、現実的でない占いは自分には向いていないと思いはじめました。

論拠のないオカルトチックなものではなく、仕事や実生活に適応できる現実に根づいた実学として役に立つものを本当は求めていたことに気づいたのです。

【宇宙のつらぬく根幹法則】

そんなこんなで社会人になって、しばらく占星術から離れていたのですが、ひょんなことからホロスコープを用いた解説をする必要に迫られました。

そうなると、自分で納得のできる現実的で実際的なホロスコープ解釈を見出さなければなりません。

ない知恵を絞って考えました。

宇宙太陽系の星の動きを写しとった「ホロスコープ」です。

それを解釈していくのです。

遠近のある星を地上からの見て人間が勝手につなげた夜空の星座や本当っぽく創られたギリシャ神話やローマ神話の中ではなく、結局、宇宙法則の中にあるのではないか。

過去の納得のいく解釈も参考にしながら、人間本意の解釈ではなく、宇宙やこの世界はどのような法則によって成り立ち動いていくのかを、一生懸命に追究してみました。

ありました。

12サイン(宮)や12ハウス(室)などによって構成されるホロスコープと宇宙この世界との成り立ちの共通性を見つけたのです。

それが12数(13数)「数理法則」です。

それは、根本の光の三原色(色の三原色)に見られるような3数(4数)「基本三数」といった宇宙の根幹法則の展開だったのです。

そこから展開された「数理法則」の12数が宇宙森羅の最小象徴数になっていて、ホロスコープの占星要素の12サイン(宮)や12ハウス(室)にとどまらず、12種類のアスペクトや12個の代表的なプラネットや占星点(アストロロジカル・ポイント)を形成していたことがわかりました。

詳しくは、後日シェアすることになるでしょう。

そこに地上の現実に実際的に通じるホロスコープの本当の象意や基本の象意いわゆる「本意」を見つけたのです。

新しい宝瓶宮時代(ほうへいきゅう じだい)への変化と到来もあって、宇宙波動エネルギーの進展から、そういった理論的根拠を偶然にも見いだせたとき「宇宙森羅の最小象徴数」と「ホロスコープ」の12数がピッタリと重なったのです。

そのベースは根幹となる「基本三数」でした。

そうなると、そこから面白いようにホロスコープや占星術の謎が解けてみえはじめました。

続きはご期待ください。

次は、本来のアストロロジーと、占いに陥った現代占星術の違いについて、シェアしてまいりたいと存じます。

【アストロロジーと占星術は異なる】

今度は過去にさかのぼって占星術の歴史を調べてみました。

時間がかかったのですが、アストロロジーと占星術は、厳密にいえば異なることがわかりました。

現代の西洋占星術は、古代ギリシャのアストロロジーのことを「古典占星学」と呼んで紹介していたので、てっきり同じものだと思っていたのです。

ですが、違いました。

詳しいお話はともかく、当時は最先端の科学(学問)だったアストロロジーは、近世になって「疑似科学」いわば迷信とされます。

そのあおりを受けた占星術師であり著名な天文学者のケプラー(1571-1630)は、次のように述べています。

「この愚かな娘の占星術は、一般からは評判のよくない職業に従事して、その利益によって賢いが貧しい母の天文学を養っている」

近代科学の発祥によって、かつてのアストロロジーの理論が科学(学問)としては通用しなくなったため「占い稼業」に転向したのです。

ただし、古いなりに理論は維持していました。

【理論を捨てた星占い】

理論を完全に捨てて、占いに特化していったのは、占術師なら知らない人はいない、現代西洋占星術の父アラン・レオ(1860-1917)です。

海王星が発見された1846年以降の19世紀後半に、世界的な近代スピリチュアリズムと呼ばれる心霊ブームが巻き起こった真っ只中のことでした。

結局は、結果的に一部のアストロロジー用語は継続させたものの、ブームに便乗し、理論的な論拠をともなわない「ホロスコープ占い」に変わっていった経緯がわかりました。

アラン・レオは、ご自分のはじめた占いをオカルトチックな秘教占星術(神秘占星術)だと語っているのです。

ショックでした。

要するに現代の西洋占星術のはじまりは、客観的な論拠のないオカルトチック(心霊的、神秘的:スピリチュアル)な占いだという告白だったからです。

オカルトやスピリチュアルが悪いわけではありません。

ただホロスコープ・リーディングの場合、客観的な論拠がないと、どこまでが現実的で正しいのか、ご判断が曖昧模糊としてむずかしくなります。

それを極力避けたかったのです。

信じる信じないの前近代的な生き方はしたくないという思いがあったからでしょう。

【春分点歳差によるプラトン年】

なるほどと思いました。

それゆえ、現実的な論拠を求める自分には合わず、西洋占星術を学んでも満足ができなかったことに気がついたのです。

さらに面白いことがわかりました。

歴史を調べていく過程で、春分点歳差の妙に気づいたのです。

古代ギリシャの天文学者であり、数学者のヒッパルコス(BC190頃-BC120頃)は、プラトン年(グレート・イヤー)といった春分点歳差を発見したとされます。

それを12区分したプラトン月(グレート・マンス)が、双魚宮時代(そうぎょきゅう じだい)や宝瓶宮時代(ほうへいきゅう じだい)といった「占星学的な時代区分」を規定していることがわかりました。

そのことによって発見した歴史的事実は、占星学的な時代区分にともなって人類歴史のパラダイムもアストロロジーも、その時代の12サイン(宮)の象意に基づいて進化発展しているということです。

ちなみに、アストロロジー自体は、双魚宮時代の影響圏にあった古代ギリシャ時代に四角いホロスコープとともにはじまっています。

それ以前の白羊宮時代(はくようきゅう じだい)は、メソポタミアに住んでいた古代カルデア人による「天体観測」で、これがアストロロジー発祥のもとになっていました。

【希望の宝瓶宮時代】

そして、21世紀の今日。

昨今の宝瓶宮時代は、宇宙を空間域として象わす「天王星」の象意に基づいて、新しいアストロロジーの時代ともいうべき次元上昇ともいえる進化発展のときに至っていたことが、天体上の星の動きからも、ホロスコープからも、また幾多の社会の出来事からもリーディングできました。

宝瓶宮時代のはじまりです。

こうなると、希望が見えてきました。

すなわち、実学的な論拠のない占いとは一線を画した宝瓶宮時代の新しいアストロロジーと呼べる根幹に宇宙的な理論をともなったホロスコープ解釈がはじまる時代です。

ボチボチになりますが、そんな「ホロスコープの愉しみ」をシェアしてまいりたいと存じます。


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