魔境アラザルド8 砂漠の魔人③
第一部 五王君
二章 砂漠の魔人
3
「そんなに気を尖らすでない、黒炎の主。そなた同様、わたくしとてあの『幻影騎馬団』の凶行者の疑いをかけられ、迷惑しておるのだ」
一陣のつむじ風が突如として、エリンフィルトの眼前に出現し、周りの落ち葉や塵を吹き上げてまき散らしていく。
その風の渦巻く中心から、一人の女が風を掻き分けるように姿を見せる。
「サラウィーンか、なんだこの惨状は?」
「惨状? ああ…この村のがらくたどもを始末したことを言っておるのか」
「がらくた、ね…相変わらず自分以外の人間を蔑むことだけには長けているようだな」
「なにか問題か」
「ああ、今回だけは大問題だ」
エリンフィルトは身構えたまま、女が薄気味悪く笑う様に不快な目を向ける。
長く白い髪、紺碧の隻眼。
細長い体躯には銀光りする鱗のようなドレスを纏う。
全体的に鋭利な印象を受ける女の名はサラウィーン。
五王君の一人『風刃君』の呼び名も持つ女魔人だ。名前のとおり、風を操る術に優れ、彼女の操る風は万物を裂く刃となった。
また性格も穏やかとは言えず、五王君で最も残虐で容赦のない王君とも言う。
そんな彼女の配下に付く者たちを、彼は『被虐趣味者』と位置づけているが、手柄を立てた者には相応の褒美を与えるらしく、離れていく者は少ない。但し、不興をかえば即斬首も免れ得ない。
「わたくしが風魔を操り、あの黒き竜巻を生成し、各地を強襲しておるなどと云う、たわけ者も少なくないのだ。わたくしがあのような小細工をする意味があろうか。そこまで暇ではない」
サラウィーンは鼻息を荒らげる。
「あれを小細工…ね、じゃここのは何なんだよ。俺にはどっちも立派な虐殺に見えるけどな…あとなぁ、なんで、お前、ここにいるわけ? ここに『幻影騎馬団』の濡れ衣をお前に着せた人間でもいたのかよ? 俺が探しものする前にすっかり片付けてくれてんじゃねーよ。分かんなくなるだろうが」
エリンフィルトが文句を言うのを、白髪の女は不機嫌そうに聞き、紺碧の隻眼を光らせる。
「そなたの事情など、知ったことか! ここにはたまたま立ち寄って、目に付いた塵を拭き払っただけのこと。後から来たそなたにつべこべ云われる筋合いなどないわ!」
高く右手を挙げたかと思うと、サラウィーンは指先に風の刃を発し、エリンフィルトを目がけて振り下ろす。
彼は一歩だけ下がり、片手にひと塊の黒炎を浮かべるや、それを風の刃に投げつけた。
彼の特殊な黒炎は、風の刃を喰らうかのように吸収し、逆に威力を増して、敵を襲う。
風の刃は、彼の肉体を切り刻むことなく、ただその前髪をひと吹きさらりと揺らした。
一方で、黒炎は燃え上がりサラウィーンを襲うが、高圧の風の防御壁に遮られ、彼女の前髪をわずかに焦がして消えた。
「遊んでんじゃねーよ。ベレトンという男を探している。村人は皆殺しか?」
「さあな。数えてなどおらぬわ」
「殺戮バカが…ならもう用はない。俺が勝手に探すから、お前はもう帰れ」
エリンフィルトは言い放ち、辺りを見回したが、生存者がいるとは思えない血溜まりと千切れた四肢や臓物の血肉で染められた凄惨な現場に、さすがの彼も何度か眉間に皺を寄せて目を逸らした。
『幻影騎馬団』に比べてさえも、地獄を思わせる光景だ。
「ふん。では、そうさせてもらおう。わたくしとて、そなたばかりに構ってはおれぬわ」
風刃君はそう吐き捨てると、部下の女に告げる。
「戻るぞ、ウィランネ」
「は。我が君」
二人の残酷な女たちは、発生させたつむじ風の中に包まれるようにして姿を消した。
「…さて、どうするかな。この状態をマリュには見せらんねーよな」
彼が思案していると、サラウィーンの立っていたあたりの地面の土が、突然ボコッと音を立てて地割れし、何か黒い大きな塊が飛び出してきた。
「なんだ⁈」
エリンフィルトが叫ぶのとほぼ同時に、その何かは人間の形となり、土煙の中でもぞもぞと地に手をついて四つん這いになった。
それから、苦しそうに咳き込む。
「ゴホッ、ゴホッ。ようやく去ったか…かまいたちの女め…」
「誰だ!? お前ッ!」
漆黒の瞳を見開いて、エリンフィルトは大声で問うた。
「…我が名はベレトン、というようですな。助けの神よ」
「お前、ベレトンかよ!」
「そうですが、何か?」
焦げ茶色の髪に暗緑色の瞳…目鼻立ちの凛々しいこの顔は。
「血縁に間違いなさそうだな」
エリンフィルトは呟いた。
ベレトンもまた村の悲惨な有様を目の当たりにして、深く頭を下げ、長い黙祷を捧げた。
「なんと…世話になった方々の命をすべて奪ってしまうとは。なんと残忍な王君よ。私がいま少し強ければ、多少はお役に立てたやもしれませんが…」
頭を上げたベレトンは、大きく息を吐き出して、自分の非力さを嘆いた。
「いや、お前は賢明だ。あいつは存在するだけで災厄だからな。逃げ遅れたら終わりだ」
「黒炎の君…ですな? 噂のとおり何とも神々しいお姿で。お初にお目にかかります」
「挨拶はいい。それより、お前、記憶喪失らしいが、まだ記憶は戻らないのか?」
男の言葉を遮るように、漆黒の闇色の炎を操る王君は口早に訊ねる。
「…はあ、残念ながら」
エリンフィルトは少し思案して、とりあえず死んだ村人たちを弔うよう、ベレトンに指示をした。自分は破壊された住居や樹木などを修復および復元をし、土や草にこびりついた惨殺の血の臭いを消した。
「お前に会わせたい娘がいる」
すべての痕跡を洗いざらい抹消したところで、彼はベレトンに言う。
「はあ…いったいどのような」
「行方不明の母親を探しているんだが、どうもお前の魔境ダーシムにいたかもしれないって話なんだよ」
「なんと、因果な」
ベレトンは凛々しく太めの眉をひそめ、悩ましい表情を浮かべた。
「しかし…記憶が曖昧なので、お役に立てるかどうか自信がありません」
「構わねーよ。俺が何とかする」
エリンフィルトは答えると、マリュネーラを眠らせている小結界のほうへ、ベレトンを案内した。
「…この方ですか?」
「ああ。いま起こすから、待ってろ」
指をパチンと鳴らして、エリンフィルトはマリュネーラを起こし、結界を解く。まだ眠そうな目を瞬かせ、彼女は顔を上げた。
「…あれ? エリン? ここナバルだよね?」
「ああ、そうだ。居眠りしてんじゃねーよ。ベレトンを見つけたぞ」
「えっ、もう見つけたの?」
マリュネーラは自分がいつ眠ったのか思い出せなかったが、それよりも目の前の彼の背後に立つ焦げ茶の髪の男の顔をじっと見つめた。
「…お母さんに、似てる」
「そうだろうな。お前もこいつと、そっくりだからな」
エリンフィルトは言い、ベレトンに前に出るように視線を送る。
「あたしは、マリュネーラと言います。母の名はリュイネーラです、あたしは母親似で…あの、記憶にありますか?」
「…リュイネーラ…リュイネーラ…」
ベレトンは復唱し、マリュネーラの顔をじっと見つめ、また名を口にして、また顔をみる。それを何度か繰り返したかと思うと、不意にがばっと頭を抱え込み、うーんうーんと痛みを堪えるように唸った。
「大丈夫ですか⁈ ベレトンさん」
マリュネーラは、すかさずベレトンに寄り添い、苦しむ彼の身体を支える。
「…ああ、ありがとう。マリュネーラ」
様子を窺いながら、エリンフィルトも声をかける。
「なにか、思い出せそうか?」
「…そうなのかもしれません、私の頭の中で何か異変が起きていることは間違いないと思われます」
冷や汗を額に滲ませながら、ベレトンは苦笑いする。顔色が真っ青だ。
「すごい苦しそうだけど、大丈夫かな、エリン…」
心配な目で彼女はエリンフィルトに投げかけるも、漆黒の王君はあっさりと言う。
「大丈夫だろ。記憶が戻りかけてるだけだ」
何ひとつ心配などないという顔をして、彼はベレトンに軽く触れ、瞬間転移させると、マリュネーラに顎で示す。
「少し苦しむだろうが、そのうち収まる。いまそこの家の中に移して寝台に横にならせたから、しばらく様子を見て待つしかねーな」
「そうなんだ…。早く収まればいいけど」
彼女は呟いて、その家のほうに既に足を向けているエリンフィルトの後に続いた。
ダーシムへの訪問を始めて、5回目のこの日。
彼女は、前と同じようにただ荒れたままの村を練り歩き、自分を取り戻す記憶の欠片を探していた。
そんな記憶喪失の女、ダーフェナだったが、
急に目の前がぱーっと明るくなり、何も見えなくなった。
すると、その真っ白な光の中から軍馬の大群がこちらに向かってやってくるような音が聞こえてきた。
「…何か、来る」
不意に立ち止まり、小さな声で呟いた。
ジルヴィードは耳をそばだてながら、無言で傍らの女の、次の言葉を待つ。
「黒い嵐が、村を襲う…伯父様に伝えなければ」
女の薄緑色の両眼に光の「波紋」が浮かんだ。
それは幾重にも浮かび上がり、星のように発光し始め、翡翠色の輝きを放つ。そして「波紋」は輝き続けながら、その瞳孔の奥深く内へ内へと無限の渦を描いていく。
視えているな、と彼は感知する。
これまでの見聞で呼び起こされた記憶から元来持つ予知の能力が刺激を受け、その発現を再現し、過去直近の予知を彼女に見せているのだろう。
翡翠の緑光の渦をまだ瞳に宿しつつ、女は不意に我に返ったように、彼の方を向いた。
「私は、伯父様にそれを伝え、村の人たちを避難させる手助けをしに、この村を訪れた…ようです」
「…お前の、伯父の名は、ベレトンか?」
「はい…私は伯父のベレトンに会いました。伯父様は急いで、村人たちをザベルの町とセレガの町に移動させました。その後、まもなくあの悪夢の黒い嵐がやってきました」
「…それで、自分の名は、思い出したか?」
「私の、名…」
女は呟いたきり、声を閉ざした。
「まだなら、無理しなくていい。べつに急がなくてもいいのだから」
ジルヴィードはできるだけ穏やかな声音を作り、女を慰める。
「はい…」
少し悲しそうに、彼女は頷く。
「それよりほかに、何か思い出したことはないか?」
「ああ、そうですね…黒い嵐がやってきて、私は逃げきれずに巻き込まれた…ところまでは分かりました」
「そうか。上出来だ」
彼は彼女を褒めてやるのに、うっすらと微笑んだ。
…!
彼女の鼓動は高鳴り、波打つ。
そして、翡翠色の光を発していた両眼の渦が急速に収まり、いつもの自分の瞳に戻ったことを自覚した。彼女の目は「予知眼」ではなく、その美しい微笑みに見惚れるための「肉眼」を強制的に選択させられていたのだ。
琥珀色の瞳から、無数の星の欠片がこぼれ落ちてさらさらと砂金のように煌めく。
これは決して誇張ではない。
彼の瞳の持つオーラのせいだ。
わずかに上げた口角が作る笑みも、極上の慈愛しか感じられない。
「…そんなふうに、笑うんですね。初めて見ました。とても暖かで優美でいらっしゃる」
思わず口にしてしまってから、はっとして、彼女は自分の口に手をやる。
「失礼しました…」
咎められるかと思ったが、彼は微笑みを消して、ただ静かに彼女の仮の名を呼んだ。
「ダーフェナ」
「はい…」
「俺を、持ち上げなくていい」
「持ちあげてなどいません、思ったままの言葉が出てしまっただけです」
彼女は主張するが、ジルヴィードはかすかに首を横に振る。
「…俺は、デルアリーナの残り滓だ」
「デルアリーナさまは、そんなふうには思ってらっしゃらないと思いますが」
「そうだな。でもいいんだよ、それで」
彼は顔を陰らせ、苦笑する。
「なぜですか? 王君に引けを取らないお力をお持ちだとうかがっておりますのに」
「…もう、黙れ」
彼はダーフェナに暗示をかけ、少しの間話しができないようにした。
上を見上げると、一羽の鳶が彼方まで青い無限の天空を大きく旋回していた。
彼が指笛を吹くと、その鳶は迷うことなく一直線に飛んできて差し出した左腕にぴたりと止まった。
「レムラ、元気そうで何よりだ。コルフィンから何か言伝か?」
右手でよしよしと鳶の艶やかな白茶色の羽を撫でながら、ジルヴィードは訊ねる。
「へえ…そうか。ナバルにね、はは、面白いことになってきたな」
それだけ言って、彼は鳶を乗せた腕を大きく振るう。
鳶は大きな翼を広げ、瞬く間に、果てなき大空へと高く舞い上がっていった。
【文末コラム 8】
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
今回は新たな王君『風刃君』と、ダーシムの魔境主ベレトン(記憶喪失ですが)が登場いたしました。
これで、王君は三人ですね。
五王君ですので、あと二人もそのうち出てきますが、もう少し後になる予定です。
次回は、第一部 二章 砂漠の魔人 4 です。
すっかり寒くなって参りました。
さすがに師走ですね。
今年も残り少なくなりました。
2023年の私事ニュースのトップ10の中に、noteを始めたことも入るかな、と思います。まだ半年にも満たない新参ですが、今後とも、どうぞ宜しくお願いいたします。
みさとかりん