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魔境アラザルド5 幻影騎馬団④

第一部 五王君

 一章 幻影騎馬団

    4

幻影騎馬団に襲われた日、それはユスの町だけではなく、アルーウェン大樹海を囲む町すべてにおいて祝祭が執り行われていた。
それは、約800年前このアルーウェン大樹海を統べる魔境主が現れた日を祝う祭だった。
何故めでたいかと言えば、かつてアルーウェン大樹海には恐ろしい魔物が数多く跋扈していた。魔境主はそれを魅了して従えさせ、従わず反抗してくる魔物はすべて焼き殺してしまったそうで、それから周辺は平和になり、交易や商業が発展していった。それに感謝して、祭を毎年やるようになったという。
ドルトスの町もまた、祝祭を催していた。
商店街の入り口に『黒炎祭』と書かれた横断幕が張られ、黒い大きめの蝋燭が至る所に設置してある。日が暮れる頃に、明かりを灯すようだ。
「へー、それがエリンなんだ。なんか信じられない。だから、王君になれたんだろうけどさ、こんな口の悪い奴…いや、人でも」
「…口が悪いのは、お前だろうが」
彼を黒炎君だと知ってからも、その礼を失する話し方を全く変えようとしないマリュネーラに、少し呆れている。
「だって、あたしなんか最底辺の魔人だよ? ちゃんとした言葉なんて習ってないもん。お父さんは学校に行ってたらしいけど、あんまり教えてくれなかった」
「お前、自分の勉強嫌いを全部親のせいにしてんじゃねーのか?」
マリュネーラはそれには答えずに、そっぽを向きながら言う。
「…なんだ、あんたすごく感謝されてるじゃん。こんな祭まであってさ」
エリンフィルトはマントのフードを深くかぶり、顔を隠して歩く。ばれると面倒くさいのを恐れてのことらしい。
ただその強烈なオーラを完璧に抑えることは不可能と見え、彼に気づく魔人もいた。黙礼を捧げてくるのは、そういう魔人だとエリンフィルトは言った。
しかし、そんな礼を知らず、大声をあげる者は必ずいるものだ。
「あっ! 黒炎の君、黒炎の君じゃないですか?」
その声に、周囲が振り向いたときだ。

ぶううぉんん!

また、あの音だ。
マリュネーラは、体を震わせた。
幻影騎馬団。
あの災厄。

「去れ、雑音め!」
エリンフィルトが叫んだ。
強風でフードは脱げて、顔は丸見えになってしまった。
眉間に皺を寄せ、少し上を見上げ、マリュネーラを抱き寄せると、彼女が飛ばないようにぐっと腕に力を込める。
『黒炎祭』の横断幕が力無く飛ばされていく、そのすぐ側で、近くにいた町の少年たち数人がうずくまり、互いに肩を組んで踏ん張っていたが、今にも飛ばされそうにふらふら揺れて危うくなっていた。
エリンフィルトは、地面に足が張り付いたように動じぬ姿勢を保ち、弦楽器のような声を張り上げる。
「静まれ! 馬共。ここはお前たちの来ていい場所じゃねーんだ。もう白灰の森に帰れ! 二度と来るな!」
すると、蹄の音が止み、風が弱まっていくのが分かった。
馬たちの戸惑うような嘶きが聞こえる。
渦巻いていた黒い風は、やがて灰色になり、白になり、透明になって…止んだ。
巻き上がって飛んでいた雑多な物がふわふわと浮いて漂いながら、路上に降りてくる。
うずくまっていた少年たちも他の人々も、様子を窺うようにして、ゆっくりと立ち上がる。
「大丈夫か? マリュ」
彼の声に、つむっていた目を開いて、マリュネーラは辺りを見回す。
「あ…うん、もう行ったの?」
「ああ、今度は追っ払った」
「そうなんだ、ありがとう…」
普段は威勢の良い彼女だったが、父親を失ったあの悲しみの日から、まだ3日ほどしか経っていない。
記憶が鮮明に蘇ってきて、がたがたと震えた。顔色も悪い。
「ごめん、あたし、どうも…腰が抜けちゃってるみたいなんだ。どこかに座らせてくれる?」
彼女は力なく苦笑いを浮かべ、いつもより少し険しい顔をしたエリンフィルトに頼む。
「…分かった。ただこの町にはあまり長居ができない。面が割れちまったからな」
彼女を近くの噴水がある石段の端に座らせ、彼は立ち上がると、徐ろに周囲を見回すようにして声を張り上げた。
いつのまにか、人だかりができていた。
「分かっていると思うが、俺はアルーウェンの魔境主エリンフィルトだ。あの黒い厄災は、追い払った。二度とここを襲うことはない」

圧倒的な魔力。
誰もが心を奪われる魅了の力。
漆黒の艶やかな髪。
強い光を宿す闇色の双眸。
きめ細やかな白い肌。
とおりの良い鼻と整った形の唇。
すべてが、完璧なのだった。

それに加え、その強烈な存在感は。
彼自身が意識して抑えていない状態だと、息苦しさを覚える。

「やっぱり、すごいんだね……黒炎君、なんだね」
マリュネーラは小さな声で呟く。
でも、どうしてそんなすごい魔人が、自分なんかにこんなに構ってくれるのだろう。
あの時、不幸な目に遭ったのは彼女だけではなかったはずだ。たまたま彼女の父親の首を拾ってしまったからなのだろうか?
今思うと、本当に助かった。
彼がいてくれなかったら、父の死を受け止めきれずに、今でもまだあの場所で悲しみと絶望に暮れていたかもしれないのだ。
…私は、この人に助けてもらった。
今日の出来事でも、彼は私を守ってくれた。
私なんかを、なぜ?

《フードを目深にかぶるエリンフィルト》

「あれは、悪夢獣の仲間で『灰血嵐馬』っていう魔物だ。1頭だけなら大した魔獣じゃねーが、あんだけの数が揃うと、さっきみたいな猛烈な嵐を巻き起こして、荒れ狂ってな、お前もユスで経験したような殺戮や損害を被らせてくれるってわけよ。あれが進化したのが『黒血嵐馬』だ。獰猛で、1頭だけでも猛烈な嵐を生み出すんだ。でも、灰血の中で黒血に進化するのは、100万頭に1頭だけだって言われてる」
自分の愛馬の首を撫でながら、エリンフィルトは彼女に説く。
「なあ? アルトレスティン」
漆黒の馬は主人に撫でてもらい、嬉しそうに嘶く。
「…えーと、もしかして、その馬が? その黒血嵐馬?」
「おお。よく分かったな、お前にしては。そうだ、アルトレスティンもそうだが、お前に貸してるナイトラインもそうだぞ。可愛いだろう? あと5頭いるんだが、皆いい子だぞ、お前と違って」
「100万頭に1頭を、7頭持ってるんだ…」
「そりゃ、お前。俺は998年も生きてるんだからな。べつに普通だろ」
「そうだね…」
マリュネーラは、もう言い返す気も起きなかった。
二人は、その稀少な黒い馬に乗り、ドルトスの町を出る。よく手懐けられた賢い馬は、とても獰猛な魔獣とは思えないくらい穏やかで、優しい乗り心地だった。手入れされた毛並みも美しい。
「この間は、間に合わなくて悲惨な状態になっちまったからな。お前の親父の首が爆弾みたいな速さで飛んできて、危うく当たりそうになったけど、何とか受け止められた。…まあ、もう少し早く着いてれば良かったんだけどな」
舌打ちをしながら、エリンフィルトは言う。
「仕方ないよ、そんなの」
今反省したところで、父が復活するわけではないし、受け入れるしかないことだ。

ドルトスを出発する前に「黒炎君の御触れ」ということで、マリュネーラの母親に関することで何か知っていることはないかと募ったが、有力な手がかりは特に無かった。
ただ一人、片足を引き摺った老爺の風体の男が「それはベレトンさまの血筋の方か?」と問うてきた。ベレトンとは、ダーシムの魔境主だったそうだが、マリュネーラは知らなかった。
ベレトンは行方知れずになっていたが、昨今ダーシムよりかなり離れた小さな村で見つかった。記憶を失っているという。昔ダーシムで彼と話したことがあった旅人の証言で発覚したらしい。
「お母さん、どこにいるんだろう。その村に行ってみたほうがいいのかな?」
「どうだかな。その男、何も覚えてねーんだろ? 無駄足になると思うけどな」
「そうかぁ…」
「べつに気になるなら、寄ってもいいが。どうする」
「うん…」
「はっきりしねーなー」
「だって、無駄足だったらって思うと、あんたを付き合わせちゃ悪いじゃん」
「ハッ、今更遠慮してんじゃねーよ。馬鹿ガキのくせに…行くぞ」
エリンフィルトは吐き捨てるように言い、アルトレスティンの鞍に跨る。マリュネーラも倣うように黒馬の鐙に足を掛けて乗るが、次の彼の言葉を待っていた。
「この町の次はラクロンに行く。そこで数日滞在して調べてみよう。ベレトンが吹っ飛ばされた村は、ダーシムへの道筋から結構外れてやがるから、滞在中の1日を割り当てて、俺が瞬間転移で連れてってやるよ。それでベレトンに会ってみればいい。いいな?」
彼女のほうを振り向きもせず、勝手に一存で決めた内容を強い口調で話す。でもそのほうが右も左も分からない彼女には助かる。
彼がそう思って言っているのかは分からないが、マリュネーラは素直に頷く。
「うん、エリンに任せるよ。今のあたしにはあんただけが頼りだからさ」
「…へえ。殊勝なこと言うじゃねーか」
それから、二人はしばらく会話せず、馬の息の音だけ聞きながら、ドルトスの石畳の街路からラクロンの煉瓦道に入った。
街路樹が、針葉樹から広葉樹に変わる。北部からやや西南部の気候が混ざった為だろう。
それに、まだ暑かったが、かすかに秋の気配を風に感じる。枯れた向日葵と咲き始めの赤や白の秋桜が並んでいる。季節の変わり目だということもよく分かる。
「でも本当に、ドルトスの人たちは喜んでたね、あんたの到来を。『黒炎祭』なんてお祭りをやるくらいなんだから当然か。お祭りに御祭神が来てくれたようなものだもんね、そりゃ興奮しちゃうよね」
「いつまでも、過去の出来事に囚われてんじゃねーって思うけどな。面倒くせー」
「いいじゃん、お祭り楽しいんだよ、みんな。あんたのことも好きなんだよ」
「ふん、呼ばれてねーけどな、祭りには。俺、生きてんだけど」
「まあまあ。呼ばれたいの?」
「…ふん」
気持ちは、複雑なようだ。
「ところでさ、『幻影騎馬団』って、何だったの? 灰血嵐馬のただの暴走だったの?」
マリュネーラの素朴な疑問に、彼は溜息を吐きながら答える。
「この近辺の連中は俺の信者だから、信じちゃいねーが、地方に行くと、俺の仕業ってことになってる。俺が奴ら馬共を操って、町や村を襲わせてるんだってな。黒い風だろ? 俺の領分に見えるんだよ」
「本当は何なの?」
「レーリックって奴の仕業だ。ラウナの魔境主のな。『白灰の森』もそこにある。灰血嵐馬の故郷だ。ほかにはアルーウェン大樹海の一角『溶岩石の森』に少しいるが、『白灰の森』の5分の1以下だな」
「なんで、そんなことをしてるの? あんたに喧嘩売ってるの?」
「俺にもよく分かんねーよ。あの糞野郎はなんか取り憑かれててな、俺に焼き殺して欲しいんだってほざいてるんだよ。それで、嫌がらせしてくるんだ。狂ってるよな。いつ本当に焼き殺してやろうかと思ってる」
エリンフィルトは、憎々しげに手綱をぐっと握り、歯を食いしばる。
「でも、もう来ないんだよね?」
「さあな。ドルトスには来ないと思うけど、また俺の行く先々で送って寄越す可能性は皆無じゃねーよ。狂人の考えなんか予想できねーだろ。白灰の森には、まだあの馬がたくさんいるしな」
「そうか…また来るかもしれないんだ」
マリュネーラは不安そうに呟く。
「そのときは、また俺が何とかしてやるよ。俺にも面子がある。だから心配すんな」
「うん。分かってるよ。あんた、最強なんだもんね、信じるよ」
少女は頬を緩ませ、明るく笑って見せた。
エリンフィルトは何となく頷いて、前を向き、少し前に出て進む。
「当たり前だ、ついて来い」
朝日が力を増して、彼らの背を照らす。
二人はまだ静かなラクロンの煉瓦の道を、答えを求め、旅を続ける。



【文末コラム5】一章終了。

第一部 一章「幻影騎馬団」が終了しました。
次回から二章に入ります。
幻影騎馬団の正体が分かりました。
荒くれの魔獣、灰血嵐馬の大群を意図的に操る魔人レーリックの仕業でした。
この先は、更に魔人たちの世界を深掘りしていくのと、ほかの五王君たちを登場させていきます。
そして、マリュネーラの母親探しの旅は続きます。

ここまで、読んでいただきまして、有り難うございます。

これからも、頑張りますので、よろしくお願いします。

次回は、第一部 二章 砂漠の魔人 1  です。


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