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魔境アラザルド7 砂漠の魔人②


第一部 五王君


 ニ章 砂漠の魔人


    2

ダーシムはフェンベス砂漠の北東、ゼルギス山脈を越えた、その麓の小村だった。
多忙な五王君の一人、砂惑君に代わり、その双生の兄ジルヴィードは、記憶を失った女魔人ダーフェナを連れ、その寂れた村を訪れた。
このダーシムの村が『幻影騎馬団』と呼ばれる黒い竜巻のごとき厄災に襲われたのは、今から約3年前のことだという。
跡形もなく村の家々は破壊され、吹き飛ばされ、村民の生業であったであろう野菜畑や果樹林も無残な荒れ野と化し、家畜の牛馬の白骨が所々に転がったままだった。
だが、不思議なことに、人間の遺体らしき骨は見当たらず、血生臭い痕跡は殆どなかった。
「予知者がいたのか…?」
琥珀の瞳を静かに閃かせ、ジルヴィードは独り呟く。
人命を救うのを最優先にした結果が、ここにあるような気がした。
彼はチラリと、傍らの女を見やる。焦げ茶色のしなやかな髪を一つに結え、色白な肌と薄い緑色の瞳を持つ。それに彼は大柄な男ではないが、その肩先にも満たない上背だから、かなり小柄な女だ。

魔人の魔力の特色と体質の特徴の関係などについて書かれた古書『魔特性大全』の内容を思い出してみる。

【予知魔力 : 色素が薄い、または血の色をした瞳、痩せて小柄な体型、女に多い】

少なくとも「小柄で痩せた女」という部分は当てはまるが、だからといって、予知魔力の持ち主とは限らない。書物が示すのは、あくまでも傾向である。それに、瞳の色に関しては微妙な感じであった。

「ここが、ダーシム…?」
そして、女は目をカッと見開いて、何かを見つけようとしているのだろう、辺りを隈なく見回している。
しかし、感じてはいるものの、はっきりとしたものは映らないのか、すぐに頭を振る。
「なんでしょう…懐かしい気はするのですが、何も浮かんできません」
「そうか。まあ、すっかり廃墟だしな。でも懐かしさを覚えるということは、ここにいたことは確かと考えていいだろう…帰るぞ」
彼はマントを翻し、彼女に背を向ける。
「もう、帰るのですか?」
ダーフェナの声に、彼は首だけ振り返って答える。
「ああ。また3日後に来る、急ぐ必要はないだろう?」
女は薄緑色の瞳をほんの少し陰らせる。
自分の名前すら思い出せず不安なのだろう。
ゆえに「早く自分を知りたい」という焦りがあるのは、彼の理解の範疇だった。
彼は、そのまま続けて言う。
「それより、今の見た印象を忘れないようにしろ。一度に全部思い出そうとするな。炙り出すように、ゆっくり思い出したほうがいい。そうしないと、お前の頭が混乱してしまって、正しい記憶を抽出できなくなる」
「承知しました…」
彼女は納得したように頷いた。
だが、心は急いていた。
理屈は分かるのだが、感情がついてこない。
ダーフェナは、彼の怒りを買うのを覚悟で訊く。
「あの、ジルヴィードさま」
「なんだ?」
「あなたは…できるのですよね?」
「なにが」
いつもながら、短く鋭い返しだ。
「あの、その…力技で、私の記憶を引き出すことがです」
「…引き出されたいのか? 苦痛だぞ」
「苦痛、なのですか?」
「ああ、ひどい苦痛だ。頭を焼かれたほうがマシなくらいな」
「そうなのですか…分かりました、あなたの温情におまかせします」
ジルヴィードは答えず、そのまま前を向く。
彼女が彼の肩にそっと手を添えると、二人の影は瞬時にカルーンの彼の居城へと移動した。


彼の居城は、いつもは光のヴェールで覆われており、力の弱い魔人たちの目には映らない仕組みになっていた。
『黄砂光楼』とも呼ばれる所以だ。
ダーシムから戻った二人を出迎えるように、デルアリーナが応対する。
「お帰りなさい、ジル。ダーフェナさん」
愛嬌たっぷりの笑顔は、見る者を幸せにしてくれる。ダーフェナもまた例に漏れず、その微笑みのもたらす安心感に包まれる。
「デルアリーナさま、お待ちくださっていたのですか?」
ダーフェナは問う。
「ええ。勝手に居座わらせていただきましたわ、魔境主」
デルアリーナはにこやかに応じると、何も言わないもう一人の帰宅者に声をかける。
「…今日は何の用だ」
彼の声は冷たさを感じるほど無機質だ。
不機嫌さが滲み出ていた。
「つれないわねー。妹がちょっと遊びに立ち寄っただけなのに、そんな邪魔扱い?」
「お前の気まぐれに振り回される、俺の気持ちを逆撫でするな」
「ああ、怖い! ダーフェナさんの様子を見に来ただけなのに…お元気そうで良かったわ。どう? 兄は優しいでしょ?」
そんなジルヴィードにお構いなく、デルアリーナはダーフェナに問いかける。
「あ、はい。よくしていただいております」
「万が一、虐げられるようなことがあったら、すぐ私を呼んでね」
「ええ…ありがとうございます」
ジルヴィードのほうを横目でチラリと見やりながら、小柄な女魔人は苦笑いして頷く。
「…3年も放ったらかしにしておいて、どの口が言うんだかな」
女たちのやり取りに、王君の兄は唸るような低い声を出し、妹を批判する。
「もう、そのことは言わないでよ。反省してるんだから」
「ふん、適当過ぎるだろ。王君はそんなに忙しいのかよ」
「ジル…怒らないで。ごめんってば!」
デルアリーナは拝むように両手を合わせ、ジルヴィードに頭を下げる。
どちらが王君だろう、と思うような光景に、ダーフェナは思わず知らずあんぐりと口を開ける。
「……ダーシムに縁があることは間違いない。あとは地道に通いながら探っていく。一つでも確かな記憶を掘り起こせれば、あとは大して難しくないはずだ」
妹の謝罪を呆れた目で見つめると、兄はひとつ溜息を吐き、仕方なさそうに彼女たちに説明をした。
「そう。ありがとう、ジル。良かったわね、ダーフェナさん。じゃあ、私は戻るわね。帰りが遅いとフェレメアが心配するから」
「わざわざ、すみません」
「大丈夫よ」
何事もなかったように微笑みながら、デルアリーナはその場から光の花弁を舞い散らせ、姿を消した。
「…性格は、あまり似てないのですか?」
ダーフェナの問いかけに、彼は目を逸らす。
「陰と陽、なんだよ。俺とあいつは」
それだけ言って、口をつぐんだ。

《二人を出迎える砂惑君、デルアリーナ》


「あー、怖かった。いつものことだけど、不機嫌にもほどがあるわ」
自城『金砂雲楼』の中腹にある居室に戻ったデルアリーナは、到着するなり、クッション3つが並ぶ長椅子にドサっと身を投げ出し、お気に入りの赤い天鵞絨の丸座布団をギュッと抱え込んだ。
「なにかあったのですか?」
心配そうな様子で、彼女に近づいてきた女性が、デルアリーナに訊ねる。
「聞いてよ、フェレメア。さっき、ジルのところに寄ってきたんだけどね…もう、本当に怖いの!」
「なにかしたのですか、砂惑さま」
「なにもしてないわよ。ただダーフェナさんの様子を見に行っただけよ」
「左様ですか。では、なぜ夢漠さまはお怒りに?」
「…きっと私が鬱陶しいのよ」
両の桃色の頬をぷくりと膨らませ、口を山形に歪め、彼女は不貞腐れる。
「…それは捨て置けません。わたくしが態度を改めるようご注意して参りましょう!」
亜麻色の髪に碧い瞳、端正な顔立ちをしたフェレメアは大真面目な顔をして、すぐにもカルーンへ転移しようとする。
王君はそれを慌てて引き止める。
「待って、フェレメア。いつものことだって言ったでしょ!」
「ですが…」
「大丈夫よ。ちょっと愚痴を言いたかっただけなの、ごめんなさいね。心配かけて」
申し訳なさそうに微笑み、デルアリーナは謝る。
「ならば、よろしいのですが…夢漠さまが、砂惑さまが王君であられることをお妬みになってのことかと…」
「妬んでなんかいないわよ、初めから。ただ私が王君の立場を利用して、ジルを使い走りのように扱ってるように見えるのを気にしてるのよ。ほら、兄にも狂信者がいるから…彼らが私に報復する可能性があるじゃない」
「そこまで分かってらっしゃるならば…」
「ええ、私たちは双子よ。同じ年月を生きてきたんだもの。お互いよく分かってるわ」
「はあ…」
何とも言えず、フェレメアは亜麻色の前髪を耳にかけ、ただ主人を見つめる。
「だからってね! 私に冷たくするのはやめてほしいのよ。私も嬉しくないし、怖いし、私の臣下が誤解して、ジルを憎むってことにもなりかねないでしょ?」
デルアリーナは熱弁し、目をしばたたかせて返答に困っている側近の女魔人に問いかける。
「知ってる? あなたの前の私の側近だったエメルシス」
「はい。なんでも、砂惑さまに逆らったとのことで追放されたと…」
「逆らったんじゃないの。ジルを見下した態度を取ったから、私が激怒して、追放にしたのよ」
両手をぐっと握って、そのときの感情を抑えるように砂惑君は話す。
「ジルは大丈夫だって言ったけど、私が許せなかったの。どうしても!」
フェレメアはごくりと喉を鳴らした。
少しわがままなところはあるけれども、普段は明るく穏やかで愛らしいこの主人が激怒したとは、俄かには信じられなかった。

「…あの子は、ジルが私の最愛の兄であることを忘れてしまっていたのでしょうね」

そう悲しげに呟いて、デルアリーナはそのときのことを語った。


エメルシスは黒髪に褐色に近い肌色をした溌剌とした女魔人で、王君の側近としても優秀だった。
彼女自身もそう自負しており、自分の立ち居振る舞いにも自信があったようだ。
だが、ある日、砂惑君に呼び出されて嫌々やってきた兄のカルーン魔境主に、彼女は傲然とこう言い放ったという。
『私は王君の臣下です。王君でもない貴方を敬う心は持ち合わせておりません』
ジルヴィードが彼女に別段偉ぶった態度をとったわけでもないのにである。
そして、挨拶の礼もしない。

更に彼の帰り際には、

『あなたの存在は、砂惑さまの恥です。いないほうがよかったのに』

などという、大暴言を吐いたのだ。

己が主君に素っ気なく不機嫌な彼の様子が気に入らなかったのだろうと、デルアリーナは補足するも、側近のそのあまりに無礼で傲慢な言葉を聞き、怒り狂った。
反射的にその自信家の女を磁力の魔法で部屋の大きな鉄扉に容赦のない勢いで、びたんっと磔にして制裁を加えた。
『私の兄を侮辱しないでいただけますか、侍女さま』
目を見開き、鼻血を流して驚く側近に、そう、つけ置いて…。


「それは、確かにひどい暴言ですね…夢漠さまはご立腹ではなかったのですか」
「…暗い目をしてたわ。傷ついたと思う。何も言えなくなるほどにね」
デルアリーナは俯く。
「皆んな誤解してるけど、ジルは本当に優しいのよ! ただ感情を表に出すのが苦手なだけ…だから、フェレメアは間違えないでね。兄を傷つけたら、たとえあなたであっても、私は許さないってこと」
「はい、肝に銘じます」
「そう。いい子ね」
デルアリーナは大輪の薔薇のような笑みを浮かべ、彼女を魅了する。この笑顔が一変し、修羅がごとき顔になることなどまったく想像できない。
自分の命を狙う者にすら、微笑みを向けるような人だと、フェレメアは知っている。

その笑顔を奪い得る唯一の存在。
『肉親』と思えば当然なのかもしれないが。

フェレメアは、主人の言葉を胸に刻み、深々と頭を下げた。


ラクロンの町に逗留して3日目。

エリンフィルトはマリュネーラを、ダーシムの魔境主ベレトンがいるという小村ナバルへ連れて行くことにした。
昨日一昨日と、何の成果も上がらなかったこともあり、とりあえず調べておくことにしたのだ。
「ちっ、ナバルか…」
舌打ちをしたエリンフィルトに、マリュネーラは声をかける。
「ナバルがどうかしたの?」
「いや、前に行ったとき、ヤツに会ったことを思い出してさ」
「ヤツ?」
「砂漠の魔人。ユスで会ったあの嫌味たらしい男だ」
「ああ、あの琥珀色の…」
彼女が言い終わらないうちに、エリンフィルトは再び舌打ちをした。余程嫌な思い出があるらしい。
「べつに行きたくないなら、無理しなくてもいいけど?」
「いや、行く。ベレトンの顔くらい見ておきたい。お前と血縁かどうかくらい分かるだろ」
「あたしが、魔境主の血縁? 違うでしょ、絶対。ダーシムの村人の誰かだと思うよ」
マリュネーラが自嘲気味に言うのを、エリンフィルトは横目で見る。
「…お前。魔力持ってる自覚、本当に無いのか?」
「え? どういうこと?」
「ベレトンの血縁かどうかは分かんねーけどな、前にも言ったとおり、お前、魔力あるほうの魔人だと思うぞ」
「嘘でしょ」
マリュネーラは、冗談はやめて、とけらけら笑った。
エリンフィルトはもう言い返しはしなかった。ただ、もう行くぞとばかりに彼女の手を掴むと「ナバル」と息を吐くような小声で呟き、すっと目を閉じた。

一瞬、軽い耳鳴りを感じた。

同時に二人は別の場所に立っていた。
ラクロンの宿屋の一室から、気づけばナバル村集落の水車小屋の前へと移っていた。

のどかな小川のせせらぎと水車が軽快に回る音。

その狭間に、かすれた人の声が混じった。
「どちらさまで、いらっしゃるか」
声のほうを見れば、マリュネーラの肩先ほどしかないような背むしの老人が杖をついて立っている。
皺が弛んで目蓋が下がり、眠そうに見えた。
「えーと、村の方ですか? 村長はおられますか? わたしはマリュネーラといいます」
マリュネーラは訊ねてみるが、老人は面白くもなさそうな顔をして言った。
「村長は出かけられておる、ゆえ私がお相手させていただく。私の名はアラク。村長クレストの弟じゃ」
「嘘だな」
漆黒の瞳を光らせたエリンフィルトは、瞬時に老人の眼前に詰め寄り、垂れ目蓋の下に埋まった両の眼を覗き込んだ。
「…ベレトンは、どこだ?」
「ベレトン? はて? どなたのことか」
「とぼけんじゃねーよ。ダーシムから飛ばされてきた男がいるだろう? 会わせろ」
「…そのようなお方はおらぬ。勘違いではありませぬか?」
「調べはついてんだよ。俺を誤魔化せると思うな。さっさとしろ。今ならまだ穏便にすませてやる」
既に脅しているように見えるが、彼の中ではまだ穏便なのだろう。その威圧に耐えかねた老人はブルブルと震えると「仕方ありませぬな」と呟き、のろのろとした足取りで道案内のため先に歩き出した。
「お前、誰なんだよ。アラクじゃねーだろ。
あと、クレストはどこ行きやがったんだ。ベレトンは生きてんだろうな?」
続けざまに、彼は老人の背に投げかけるも、返答はない。

「…なんだ、ここは?」

集落の中心へ向かうため、川沿いに造られた柘植の生垣と生垣の間に建つ木戸を押し開け、老人に続いて中に入ったエリンフィルトは顔を顰めた。

まだそんなに時間は経っていない。

「どうしたの? エリン」

エリンフィルトは背後のマリュネーラに即座に「眠れ」と暗示をかけて眠らせた。
そして、その場に結界を張り、彼女を防護する。

そこには、血塗れになって倒れている、いくつもの村人たちの死体が横たわっていた。
その中には、本物のアラク、村長クレストの姿もあった。

「お久しぶりですね、黒炎さま」
振り返った女が、毒々しい紅色の唇を不気味に吊り上げてにやりと笑った。
「お前、サラウィーンの…」
「ぞくぞくしましたわ。ふふふ、我が君があなたにお目通りを許されました。どうぞ」

女の言葉に、彼は形の良い眉を鋭い角度に上げると、空気が逆立つほどの殺気を孕んだ眼光をぐるりと巡らせた。



【文末コラム 7】秋です。

ここまで読んでいただきまして、ありがとうございます。

今回は少々長くなってしまいました💦
お楽しみいただけたでしょうか?

もう11月ですね🍂
あれだけ暑かった今夏でしたが、少しずつ涼しくなって、もう半袖の方も殆ど見かけなくなりました。

風邪などひかぬよう🤧、注意しましょう😷


次回は、第一部 ニ章 砂漠の魔人 3 です。









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