【凸凹考察】逃れられない

やらない善よりやる偽善、でしたっけ。
考えるな、感じろじゃないですけど、その手に動く力があるならと思いつつ、脳内ループから抜けられないまま7月26日を終えてしまいました。

そう、通称相模原事件と呼ばれる、津久井やまゆり園で発生した戦後最悪と呼ばれた殺人事件の発生日。今年でもう8年だそうです。
私が出入りしているコミュニティでは、複数名の方が献花や慰霊に現地へ赴いており、その様子を伝えてくださいました。

その間というか、その前からずっと考えていたことを少しだけ夜に言語化したものをこちらにも書き込みます。

色々考えてるところとか疑問に思うところとかあるんだけど、最大のひっかかりは「人権尊重を肯定する一方で、自分の資本主義社会的価値を盾に生きてきたじゃないか」ってところ。エイブリズムという言葉を初めて知った時のショックというか

万希のわぷでいより

偏見を持とうしてないけど持ってるというか逆説的に偏見やろそれというか、マイクロアグレッションしてなかった?という回顧というか…
それはそれとして、子供の発達障害がわかった時はやっぱり「この子も社会に疎まれる日が来るんやろうか」と薄寒くなったのも確かでして

万希のわぷでいより

…みたいなところをぐるぐるしている今でした。当地への想いはみなさんと同じです。
考えておしまいにならないようにしないとね

万希のわぷでいより

なんていうか、差別反対!人権と生産性は関係ない!!って言っているその口で発達障害と仕事の生産性にフックしたマッチングとか話してた自分がどうしてもさ…なんか違うというか、偽善的を超えて二枚舌じゃんって思ってしまって、それを帳消しにするために献花や募金をするって何?から抜け出せなかった。
結構その辺、専門家でも悩むんだなって思ったのが以下の記事

私は「エイブリズムからの脱却」に悩んでいるわけで、この方はもう少し先を行っていると言える。
資本主義社会自体が割と優勢思想と相性がいいのも問題。
相性いいから仕方ないって話でもないが。

あとは考えるとしたらノーブレスオブリージュってやつなんだろうか。
事業として手を出すにしろ、ライフワークにするにしろ避けて通れない構造課題だと思った昨日でした。

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