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アイドルマスターミリオンライブにハマった話

まず初めに

この文章は
アイドルマスターミリオンライブ(アニメ)と、
Act4 day1 Million Theaterの大雑把な感想兼、
今までこのコンテンツを知らなかった男の顛末を綴るものである。
写真ないし絵の類は登場しない、勝手な備忘録であることにご留意願いたい。

きっかけ

私には知り合っておよそ5年ほどになるSNS上の友人がいた。二人いるため、便宜上それぞれを「T」、「H」と呼ぶ。

きっかけ、という言葉はどうも「それを始まりとする」ニュアンスがあり、思い返してその始まりの曖昧な事と言えばもはやこの言葉のふさわしさはないように思えるが、ここではそう呼ばざるを得ないということにしておこう。

私とHはよく通話(広義であるから言葉通りではない)をしつつ、互いに趣味にしている創作に当たる機会を設けていた。色々と縁があり仲良くしていたのだが、そのHはよく後ろで、マイクが拾う形で様々な曲を聴いていた。今になればタイトルのわかる物ばかりだが、当時は「いわゆるアイドルコンテンツの曲が掛かっている」としか思わなかった。(余談だが私は基本邦ロックを摂取している。フレデリックが好みだ。)

そのHだが、人の好みを掌握するのが上手いのだ。奴は私の曲の好みないしセンスを読み取り、「お前はこれが好きそうだ」と曲を布教してくる。最初は「私も邦ロックを勧めたのだから」とある種返礼の社交辞令的にその曲に触れ、琴線に真に響いたものに関してのみ関心を向け、誰が歌っているなんて事には興味が無かった。

ある日。
Hは私に「パンとフィルム」という楽曲を勧めて来た。
Hは所恵美が担当(当時はこの言い回しも聞き慣れず、推しであるとだけの認識)のPであることは何となく聴いていた。これの少し前からそれこそ聞く機会に恵まれ、声質も曲調も何となく把握していた私は、同時に勧められた「DIAMOND JOKER」という楽曲と共に聴いてみることにした。

過去最高に、琴線に触れた。
いや、心の奥底に激しく定着したといっても良いかもしれない。
「ひとつのアイドルコンテンツだと思っていた作品の1曲に」「普段別のコンテンツで生活をする人間が」「感動を覚えた」。この事実は、緩やかに覗いていた私の「ミリオンライブ」への興味関心を大きく認識したきっかけと言って過言でないだろう。

のちにHには、Act4 day1の連番をしてもらうことになる。この場を借りて今一度感謝を伝えたい。

もうひとつのきっかけ

大学生である私は、経済的にも時間的にも自由が生まれ、ハッキリ言ってそれを持て余していた。

そんなある日、Hと私の共通の友人であるTが、ふと「今度でらますというのに行かないか」と誘いを持ちかけて来た。

でらますというのは(ご存知の方も多いかもしれないが、私のミリオンライブに詳しくない知り合いもまた読む文であるから一応)、名古屋市を中心に名鉄観光の主催で行われていたコラボイベントである。筆者とTはそれぞれ名古屋近郊の住まいであるから、またTも立派な中谷育担当であるから、誘われて巡ったというわけである。

彼が私を誘った理由は、大変個人的なTとHと私の間の事情(端的に言えばオフ会というやつである)もあるのだが、やはりもうひとつ、迫るアニメアイドルマスターミリオンライブ(以下ミリアニとする)の先行上映の足音を聞かせる為だったのだろう。

某日、Tと共にミリアニの先行上映に。アニメとしての出来がどうであるとか、教えてもらった中で好みに寄っていた七尾百合子(今更だが敬称や渾名は基本避ける)が可愛かったとかという感想も勿論抱いたのだが、どうしても心の底で感じたものがあった。

疎外感である。

私は知らない、あのキャラが行った行動に潜むファンサービスを、美術に潜むイースターエッグを、感動出来る場面を、脚本とその作品で描かれる事象でしか知り得なかったのだ。

当然の話である。私はあくまでにわかである、知らない曲ばかり、まだ誰が何という名前なのかもはっきりと覚えていない状態であった。知識と言えば友人の推しと、気になっていたキャラ数人ほど。

以降私は、実にAct4 day1を鑑賞するまでその感情に縛られることになる。

勿論、アニメを批判する意図はない。大変楽しめて、かつ丁寧に作られた作品だったと思う。

疎外感からの脱却


会場の中は肌寒かった。キャラのTシャツなど持ち合わせないが故、パーカーを着て、コートを羽織っている一般の学生が、人の波に飲まれた。

幸運が重なり、Hと共にたどり着いた先はかなり前方の席。いわゆるアリーナ席だった。ステージを目の前に左側だ、仮に周囲の方がいらっしゃればご迷惑おかけしたかもしれませんと、ひとつ謝罪しておこう。

色々と初めてだった。

まさか私が、アイドルマスターという老舗ともいえようコンテンツにこの時代にハマり、熱意のままにここまで来ようとは、と。

セットリストなんかの感想を見たいのであれば、正しく論じた方が大勢いらっしゃるだろう。故にそちらを参照願う。

私は、おそらく巻き込まれたのだろう。

協賛企業を呼び上げ、耳を貫く程の声量をやけに仕事量の多そうな事務員の彼女から受け取り、徐々に始まる「起動」の波が、そこに存在した私を巻き込み離さなかった。

一瞬のような「掌握」が続く。歌声に、アリーナの音響に身体の細胞を掻き乱され、私を手放さない。いや、私がむしろしがみついていたのかもしれない。初めはあの疎外感から集団に溶け込まんとする人間的心理から、途中から「転じて」、元よりそのつもりだったように声とライトが会場のボルテージと合致していくよう、自然に。

「結果」、私はあくまで「ミリアニを見ただけ」の曖昧な立ち位置から解放され、
「ただそこに一人立つ紛れもない一員」としての自信と自身に、着地することが出来たのだと思う。

その頃の私は既に、隣で百喜一憂くらいの心象に焼き殺されたと思しきHと、ただステージに立つ各々の推しの形容の難しい「良さ」に悶えるように肩を組んでしまっていた。
そしてHはその後すぐに、膝から崩れ落ちるのだった。言っておくが体調不良ではない。

翌日、Act4 day2はT,Hと共にモニターを囲み、配信で参加・鑑賞させて頂いた。千秋楽、という大きな節目に間接的であれど立ち会えた事は、前日を経験していない私が聞けば微妙な顔をしただろう。尤も、もうこの世にそんな奴はいなくて、いたのはただ、アニメをなぞるように披露されるTeam○thの楽曲に心躍らせ、大声を出し咳き込むだけの私だった。

手放さない、ということ。

あれからしばらく経ってしまったが、熱量はというと流石に現実の生活もあり、元からしていた創作や他のコンテンツもあり、で、程々の落ち着きは見せている。

が、
だからといって興味関心が潰えた訳では無い。

時間があればアプリのシアターデイズを触ってみたり、ガチャを回したり、元から曲を聴くのが大変好きであるから、教えてもらったもの、聞いたものから順にいろいろと聴いたり、衝動に負けてアクスタを買ってみたり…………。

つまり、私が手を繋ぐ相手が一人増えた。
友人が増えたようなものだ。

繋いだ手を手放すのは、我々コンテンツの消費者の自由である。今まで、大小様々な物事に関わっては手放してきた。こういった経験は私だけのものではないだろう。

けれど、このコンテンツは、ミリオンライブというコンテンツは、どうも向こうから手を繋ぎに来てくれているようだった。

誰かに勧められる、どこかで触れ合う機会がある、そういったきっかけはあくまで確率論的で、因果の世界には居ない。たまたま知るとはそういうものだ。故に我々は何時でも手放す心積りができるし、多くのコンテンツは故に引き止めない。(これは企業努力という意味合いでのサービスの質の話ではなく、コンテンツの持つ雰囲気と熱量という私の持ちうる地平の基準である、批判の意図はない。)

けれど、私はどうもこのコンテンツでの経験が、ただ差し出された手ではなく、偶然の確率で触れた手を、繋いでいてくれるような、そんな気がしてしまうのだ。


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