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医師になってから苦労したこと~研修医編①~

こんにちは。精神科女医のyumeです。

前回までは、医者になるまでの道のりということで、生い立ちから医学部受験、医学生生活まで書いてみました。
今回は、研修医時代について書いていきたいと思います。

研修先選びを間違えた話

医学部を卒業し、医師国家試験に合格したら、初期臨床研修を2年間行うことが必須となっています。いわゆる”研修医”の身分の2年間です。

研修先は、全国どこでも志願することができ、複数応募もできます。希望順位を登録し各病院にて面接試験を受け、病院側も採用したい人から希望順位をつけ、機械的にマッチングが行われます。

だいたいの人は医学生のうちから複数の病院に見学に行き、雰囲気や先輩研修医の働き方、希望する科の業務内容などを見て、希望先を選びます。

私も医学部高学年になって病院見学にたくさん行きました。

今思えば、見るべきところを見れてなかったなと思っています。
でもそれは仕方ないことでもありました。

というのも、まず私には志望科がなかったのです。
ぼんやりと小児科・産婦人科には興味がありましたがそこまでの熱はなく、志望科がないと”やる気のない人”と思われてしまうので、それが嫌で「産婦・小児に興味がある」と言っていただけでした。

以前記事で書きましたが、私は医者になりたくて医学部に入ったわけではないのです。こういうところに、内的動機の希薄さが影響し、その後の医者生活に暗雲が立ち込めることになるのですが。

なので各科の業務内容については見たところでさっぱり参考にもなりませんでした。

また自分は学業成績も悪い方ではなかったので、先輩たちの働き方についても、多少大変と聞いてもなぜか”自分ならできる”と思い込んでおり、聞いているようで全然情報を集められていませんでした。
ハイポな病院に行くのはプライド的に嫌だったのもありました。

だから結局は、そこそこ人気で、科が揃っていて総合的に学べるとか、雰囲気が良くて先輩研修医が優しそうとか、そういう表面的なところでしか判断していませんでした。

結局、悩んだ結果、地元から1時間以内の地域中核病院を第一志望にし、見事マッチングも合格しました。

国家試験合格後の春休みは、春からの研修医生活が楽しみでウキウキしていました。
研修病院を間違えたことには気づかずに。


研修医生活スタート、だんだん現実を知り始める

4月から研修医生活がはじまり、各大学から集まった同期と2年間苦楽を共にしていくこととなりました。

始めは、みんなできないのが当たり前と思っていたのでそんなにストレスは感じませんでした。
むしろ先輩とも上手くやれているし、当直もなんとか先輩に聞きながらこなしていて、自分研修医やれてるじゃん!って思ったり。

でもだんだん、各科をローテーションするなかで、自分のできなさが露呈してきました。

特にきつかったのが内科全般と外科。
私は一つのことについて詳しく調べたり、それを一問一答的に繰り返して覚えたり、紙面に書いて熟考して答えを導いたりするのは比較的得意なのですが、様々な情報のなかから総合的に判断したり、頭の中で計算したり、反射的に答えたりするのは苦手でした。

だから一つの臓器だけではなく複数の臓器を考慮して状態を把握しなければいけない内科系や、瞬発的な応答力を要する循環器や外科系は全くできないことに気づかされました。

とにかく理解するのが遅い。上級医に言われた指示に疑問があると、不安で動けない。恐る恐る質問すると、自分で調べてみてと言われ、そこから調べだすと別の疑問も出てきて、全く答えにたどりつかない・・・。そのうち指示が遅いと看護師にイライラされて当たられる・・・。

上級医にも、他のスタッフや仲間が見てる前で質問攻めにされたり、「学生ちゃんとやってきたの?」と言われたり、しんどい思いをたくさんしました。

そういわれて勉強してみるものの、さっぱり続かない。
なぜなら興味がないから。
これが一番つらい。

そこまで頭がよくなくても、手先が器用で瞬発力があれば外科系では気に入られる。しかしそこも苦手分野。手技を覚えるのに人の数倍かかり、とにかく手技一つに緊張と不安が募る。
上級医に確認しながらやると、できないと判断され、交代指示。
症例もなかなか回ってこず。結局、気管挿管は何度やってもコツを掴めませんでした。AラインやCVも全く上達しませんでした。

ああ、自分何やってるんだろう。
1年目の終わりには、同期との差も歴然としていました。皆の話にもついていけない。
”できない研修医”という烙印を押されているのが本当につらかった。


体力的にも限界だった。
医学生時代と違い、勉強しようと思っても続かなかったのはここに最大の理由がある。
月に5回ほどの当直に加え、各科のオンコールは研修医がファーストコール。科によるが、だいたい月の3分の1~半分がオンコールだった。科によっては毎日オンコールなんてこともあった。だから家に帰れても深夜の電話、救急外来への呼び出しは日常茶飯事。
残業は当たり前。科によっては20~21時まで終わらないこともあった。
当直は上級医は必要時以外ほとんど降りてこず、研修医2人で頻繁に来る救急車+2時間待ちのウォークインを診ていた。

上級医との関係が良好なら、まだそれでも何とかやれるんだと思う。
私はとにかく気に入られなかった。
むしろストレス発散のはけ口にされた。(多分パワハラだと思う)
知識がないのを正当な指導と称していびり倒す。
こちらは反論できない。だって知識がないのだから。
相手の弱みを利用する卑怯なやり口だなと今は思う。
でもその時はできない自分が悪いんだと思っていた。そして自分を責めた。

まとめると、わたしが”できない研修医”になった理由は、
①そもそも興味がある科がなかったので勉強する動機がなかった
②医学に興味がないので上級医から目をかけてもらえなかった
③理解が遅く、物覚えが悪く、瞬発力がなかった
④上司からのパワハラ、睡眠不足でメンタル不調になった
⑤研修先を間違えた

この5つかなあと思います。

今思えば、ちゃんと自分の能力を知った上で研修先を選ぶべきでした。
もっと余裕がある病院でできていたら、もう少し実りのある研修医生活になったのかもしれません。

それでも研修医を続けた理由

正直、1年目の時、研修医をいったんお休みしたほうがいいのではないか、と上の人に言われたこともあった。
私の精神状態が限界であることは、他のスタッフや同期にも知れ渡っていて、心配した仲間が上に相談してくれたのだと思う。

でも私はやめなかった。
なぜか。

一つは同期が助けてくれたから。
私のことを心配してたくさんご飯や遊びに誘ってくれた。
今思うと、私に辞められると当直や当番回数が増えるから、それを阻止したかったのだと思うけど(笑)
それでも、その時の私にとってはうれしかった。今でも同期に感謝している。

もう一つは奨学金があったから。

臨床研修を終えなければ、その先は進めない。
その先に進めなければ、莫大な奨学金の返済が求められる。
親のことを考えるとそれだけは避けなければならなかった。

あと、途中で離脱した人というレッテルを貼られるのも嫌だった。


そんなこんなで、なんとか2年目までたどり着くことができた。

長くなったので、2年目については次回の記事へ。
読んでくれてありがとうございました。

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