遠い日に見た夢の色。

これは私の、一番古い夢の記憶である。


真っ白だった。光の中にいるかのように。
あたり一面真っ白な部屋で、真っ白な服を着た人間たちが立っている。
その中央には小さな箱があり、縋って泣いている人物がいた。……母だ。
声を上げ、顔を歪め、そんなふうに泣いている母を見たことがない。
そんな母を見て、私も悲しくなる。何故泣いているのかも解らないのに。
しばらくして、誰かに支えられて母が立ち上がった。
このままではいけないのだと、その人が言う。
涙に濡れた箱はキラキラと輝いていた。

かたり、と音がした。ひとりでに箱の蓋が開いていく。ゆっくりと。
私は箱の中を覗き込んだ。
その中には白く丸い石のようなものと、柔らかな虹色をした貝が敷き詰められていた。



この夢を見た翌朝、私は庭の砂場へ向かった。
そこには、少し黒ずんだ貝殻が、砂場の縁に沿って綺麗に並べられている。
私はその中の一つをひっくり返した。外側と違い、内側は乳白色を帯びたような、柔らかい虹色に煌めいている。夢の中と同じ色だ。
やっぱりそうだ、見たことあると思った!見つけた!
私は手に取った一枚を綺麗に水ですすぎ、家の中へ持っていった。


夢の中で貝と共に入れられていた白いものが真珠ではないかと気付くのは、もう少し後になる。


幼稚園へ通う前に見た夢であったはずだ。
幼すぎる頃、しかも夢のことなので曖昧ではあるが。
ただこの夢の美しさと、母の泣く姿が印象的で、今でも時折思い出す。
葬式に真珠、二枚貝の持つ真珠層、幼少期には知り得ないと思うのだが何故そんなものを夢に見たのか。

私はずっと、小さな箱の中身は妹だと思っている。
産声一つ上げただけで、天へと帰ってしまった妹。

何年か前までは、妹の火葬というものがショッキングで、その場面を夢に見たのだろう、と思っていた。
だが夢の話を母にしたとき、どうやらそれは違っていたようだと知った。妹の火葬時、私と母は立ち会って居ないらしいのだ。
子供が成仏できなくなるとの理由で母は立ち会えず。私の方は「可哀相で、ひとりあんなところに置いておけなかった」と、母方の祖父母が連れ帰ってしまったのだそうだ。
親戚の葬儀等で子供の面倒をよく見るタイプは父だけだった。その父が忙しく動き回ると子供を見る大人は居ない。ある意味仕方のない話だ。

私は妹を知らない。生まれたのが早すぎて、産声一つ上げだったということしか知らない。
終わりのときも居なかった。だから「はじめまして」も「さようなら」もしていない。



この年になって、ぼんやりと思う。
出来なかった「さようなら」を、あの夢がさせてくれたのではないか、と。
そういう夢だからこそ、今も忘れず覚えているのではないか、と。


私の部屋には、名前から連想したのだと贈られた真珠と、その真珠が入っていた阿古屋貝が飾られている。
それを見るたび、思い出すのだ。遠い日に見た夢の色を。


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