Fairfield Four

横綱稀勢の里の引退に際しての記述を枕に書いているということは、3年半ほど前、平成から令和に移る年明けに書いたものであろう。


30年来の友人がいるということもあり、読売新聞を好んで読む。
とはいえ、政治やら経済やら、小難しい面は斜め読みして、毎日欠かさず熟読するのは、浅田次郎の連載小説「流人道中記」と一面コラムの「編集手帳」である。

浅田次郎は、競馬の指南書を認めていた頃から好んで読んでいた。まぁその作風の幅広さったら、ゴーストがいるのではないかと思えるくらいだが、その作品にハズレを引いた試しがなく、大笑いさせてもらったかと思えば、号泣させられたりと、作風の幅に比例して、感情の振り幅も大きくなる。その作家が連載をするとなれば、毎日楽しみに紙面も開こう。

「編集手帳」は、ある意味、俺的に目指しているところ。次元ははるかに違うのは言うに及ばずだが…。
今朝のそれでは、まず「期」という字の解説から起こし、稀勢の里に向けた期待へと承ける。寺山修司の詩へ転じ、「最後まで、つらい孤独には負けなかった土俵人生だろう。忘れまい」と結んでいる。この限られた字数の中で、これほど起承転結が確立され、今今、人々の耳目を集める話題を論じており、これを今日のみならず、毎日継続しているという、これこそ複数の筆者が交代制でやっているのかと思えば、論説委員の清水純一氏がお一人で筆を振るっているという…驚異以外のなにものでもない。

さて、そんな観点を与えてしまって先を読んでいただくのは憚られるが、時間つぶしの駄文を。

今朝も例のごとく、「流人道中記」と「編集手帳」を読んだ後に、紙面をペラペラとめくっていたら目に止まった記事があった。

ボクシング元世界チャンピオンの内藤大助さんがいじめられていた中学時代に、恩師の放った言葉で救われた…というエピソードを紹介し、その恩師にも登場いただいてその当時を振り返ってもらってるという組み合わせ記事。

この恩師の名前を見て「おやっ!」と思った。恩師の名は「佐々木秀俊さん」。
おそらく、音楽関係友人知人の中で、この名前を見てピンと来た方もいたかと思うが、ゴスペル通として名の通った方で、かつては「Blues & Soul Records」にもコラムをもっていたし、何より思い起こされるのは1999年、あの伝説のゴスペルグループFairfield Fourの来日に関わった方でも
ある。

Fairfield Four…最初で最後の来日。東京は九段会館での公演を観に行ったが、これがこれまでに経験したことのない高揚感。音楽を超えた旋律、耳ではない内面的なところに触れるような声の響き、今も覚えている。まだまだ30代前半の青二才であったが、目に見えない奥行、深さといったものは確かにあるんだなぁなどと認識できた機会でもあった。

このFairfield Four来日には後日談がある。 
当初、来日を打診した時点で、リーダーのJames Hillさんが高齢で、健康にも不安があったため断られていたらしい。でも、熱心にお声がけをしたところ、日本にもこんなに熱心なゴスペルファンがいるのならということでの来日だったらしい。
公演は東京のみならず、札幌をはじめ何都市かで複数回行われたと記憶している。単に本物のゴスペルミュージックを堪能したいと集まったファンはもちろん、キリスト教を信心する方々も音楽を楽しむ以前の本来の目的から集まった方々もいて、そんな方々との触れ合いの時間を設けたりするような、単なる興行とは違った温かい雰囲気の中でのライヴであった。また、公演後はメンバーが会場の出口に立って、お客さんをお見送りするなど、それまで体験したブルースやソウルなどのブラックミュージックのライヴにはない雰囲気であった。
せっかくの機会だから、ライヴ以外にもできることはやろうといった気概というか、それを当たり前と位置付けて取り組む意識があったんだろうね。
さて、そのような中で日本公演を終え、帰国した一行であるが、当初訪日を断った理由が現実のものになる。
帰国して程なく、リーダーのJames Hillさんが体調を崩し亡くなったと。
日本行きが寿命を縮めたのか、日本に行かなければその後も生き長らえたのか…それは誰にもわからないけど、その後の死を想定していなくても、命を削って海を渡り、命を削って歌うって覚悟で発した声であったろう。

正直言って、命を削るほどの覚悟はありませんが、人様の前で歌う機会を得ている端くれとして、聴き手の方に何か汲んでいただけるものがあればとの思い入れで、やってるつもりではあるが…。

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