パジェロの思い出

かつては、あの「パリダカ」で有名なラリードライバーとして名を馳せた篠塚建次郎さん。
かつて、読売新聞の連載コラム「時代の証言者」に取り上げられたことがあった。

篠塚建次郎さんと言えば、日本におけるラリードライバーの草分け的存在である。三菱自動車の「ランサー」そして「パジェロ」は、このラリーでの活躍があって売れ筋にのし上がっていったのだが、その過程で篠塚建次郎さんが果たした役割は大きく、「時代の証言者」では、生い立ちから始まり、三菱入社から社内でどのようにラリーに携わることになるのかを経て、いかようにしてパリダカに挑戦したかと続いていた。 

1989年、年明け早々に昭和から平成へと移った年は、俺が大学を卒業し、就職する年であった。前年から就職活動をするわけだが、当時の俺は、なんせ大学に行ってなかったため、ボロボロ単位を落としており、就職どころか、卒業もやばいといった状況であった。

それでも一応、就職活動を実施するにあたり、履歴書とともに様々な書類を添付しなければならなかったのだが、その中に「卒業見込書」というのが含まれていた。うちの大学の場合、卒業するには120単位必要で、3年生終了時点での取得単位数が「100」に満たないと見込書は発行しませんという決まりがあり、俺の3年生終了時点での取得単位数は「98」。決まりは決まり、温情など通用するはずもなく、「卒業見込書」とはどんな様式の書類なのか、終ぞ見ることはなかった。

当時はまさしくバブル!就職戦線は完全なる売り手市場で、同級生の多くは、何社も内定をもらっては、その中から条件の良いところを選ぶって感じであった。条件の良いところ…当時で言うと、銀行やら証券会社など金融関連やゼネコンなどバブルに踊った企業であった。逆に遅れを取ったのは営業系企業であった。社会を知らない俺等学生にも、毎日毎日歩き回って、いつもノルマに迫られてモノを売るなんて、そんな苦痛を伴わずして金は稼げるという意識が醸成されるほど世の中が踊っていた。だから、必然的に営業系は敬遠される。ましてや車の営業に対する当時のイメージは、それこそ毎日飛び込みの連続で、車を売り歩く…それが延々と続くといった、それこそ靴底を擦り減らす、3Kに近い、絵に描いたような営業といったもので、売り手市場の金の卵にとって、一番最初に選択肢から外れていた業種でもあった。だから、会社説明会を開いても想定している頭数が集まらないなんてこともままあったようで、「卒業見込書が準備できないんですが…」なんて学生だってウェルカム。説明会に参加すれば、後日形式的に入社試験は受けてもらうが…として、実質「内定」を出していたような状況であった。
そんな時代の波に乗れなかった学生であった俺は、時代の流れに助けられた形で自動車会社の内定を早々にもらった。

その自動車会社は三菱であったのだが、先方も内定を出しても他の企業に流れていく学生がたくさん出ることを想定しての内定乱発であったとともに、なんとか引き留めようと内定後から様々な企画で参加を要請する。

全営業所の代表を集めたミーティングへの参加を要請されたことがあった。全くのオブザーバーで、表向き「来春から一緒に仕事をする仲間です」と紹介の機会と位置付けられていたが、何のために呼ばれたことやらと思うほどであったが、これが各営業所の綺麗どころを集めたような絢爛さで、なるほど、こういう引き留め工作もありかと、俄然来春から車を売りまくるぞ!と術中に見事にはまったかと思えば、芋煮会などレクレーション企画もあり、その中には単身赴任中の部長さんやらお偉いさんも参加する中で、もうすでに「部長!」などと擦り寄る同期内定者がいて、こいつとは絶対一緒に仕事はできんと思ったり、やはり社会の構図は一筋縄ではいかないなと思わされた時期でもあった。

そんな中、営業所見学の企画があった。
当時、某高速道インター近くにあった営業所は、飛ぶ鳥も落とす勢いで売れていたパジェロをメインに据え、パジェロ専用のオフロード試乗コースを設えていた営業所であった。そのオフロードコースは、あの篠塚建次郎さんが設計したもので、それを売りにもしていた。

早速新車のパジェロでコースを試乗させられたのだが、これが絵に描いたような悪路。デコボコは当たり前、30度はあろう坂路、大きな水たまりなどが次から次へと繰り出すコースで、篠塚建次郎さんは実際にこんなところを走ってたのかと驚くより、信じ難いといった印象のコースであった。それに輪をかけるように、担当の方が、
「落成式の時、篠塚さんが来てデモンストレーション走行したんだけど、こんなコースで4速まで入れてたからねぇ」と。こちとら2速にさえ入れられないのに、絶対嘘だと思った。と同時に、やはり何事もプロは別次元にいる人のことを言うんだなぁと思わされた記憶。
そのパジェロも数年前に生産を終了した。時代は流れていることを実感する。

で、かく言う俺も、大学では卒業見込書も発行してもらえず、結果的に留年確定になったのだが、イレギュラー卒業を果たし、件の自動車会社にお世話になることもなく、紆余曲折を経て現在に至るのであるが、これまた時代の流れを実感することではあります。

しかし、あのまま自動車会社にお世話になっていたらどんな人生を送っていたやら…あの綺麗どころの中で華やかな営業人生を送っていたか…。はたまた…。
一応、人並み程度に義理は果たそうとするタイプ。内定を蹴った自動車会社に義理立てして、社会人一年生で買った車は三菱。さすがに高価なパジェロは無理であったのでギャランを。それもグレード低めのを…。

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