明けました。
21歳就活生、大学を入学した時にはコメ粒くらいの景色だった本格的な就職活動期間が、もうつま先の辺りまでやってきていた。
漠然としたやりたいことの「なにか」を見つけるために入った大学。
大学生の飲み方を覚えるところから始まり、出席を友達に頼む、ピ逃げ(学生証をタッチして出席したことにする)、バイト先へ二日酔い出勤、積極的な落単受講 などなど、大学生が思いつく怠惰は一通りこなしてきた。(こんな生活をして両親に頭が上がらない)
そんなこんなで遊び呆けていると、あっという間に就活期間&大学3年生の期末テストの季節になり、どこかの誰かに言われたわけでもないが大学生活終わりの余命宣告をされた気がしている。
そんな大学生に「大学生活でやり遂げたことは何か」と聞かれるともちろん「何もない」。
ナニも。。
サークル活動を一貫して行っていたわけでもなく、学びたいことを受講したわけでもない自分にとって「大学生活で学んできたこと」を他人に聞かれることは、それだけで冷や汗をかくほどのコンプレックスになっていた。
就活期間になると「まだインターン行ってないの?」や「そろそろ業種だけでも絞った方がいいでしょw」などの煽りの乱打に見舞われた。
まともな大学生からの軽い発砲で穴だらけの身体(重体)では、行動するよりも先に頭で「どうせ無理だ」と妄想して何をするにも、兎にも角にも「イヤだ」という感情が先行した。
怠惰してる自分が嫌だ。
何か没頭できるものが欲しい。
すぐに現実逃避したい。
そんな自分には最近出来た趣味がある、
noteを読むことだ。
もともと雑誌の端に掲載されている有名人のインタビューや、お笑い芸人のエッセイやnoteは好んで拝読していたが、知らない人、所謂一般人のnoteを見ることは殆どなかった。
理由は単純明快。
知らない人の背景まで知る必要が無いと思っていたからだ。
お笑い芸人や好きな芸能人の話は面白く、それ以上に生い立ちや感情、背景が気になっていた。
けど実際に一般人のnoteを見るとその人の今までの人生体験や後悔したこと、そこで得た知見や喜んでもらえたデートプランまで知ることが出来て、その出来事を反面教師にしたり真似してみたりなど自分で取捨選択できることから、考えがyoungな自分にとってはもってこいなツールだと知った。
それと同時に、情報を自ら遮断していたことに後悔した。
このままではセンスが正月太りし、言葉の引き出しが錆びると思った。自分が面白いと思う人は引き出しの棚の分母が多い、且つその引き出しのどこにその言葉を閉まっているか透視しているように自在に引き出し、その言葉の出し入れが早い、速い、疾い。そんな人がここnoteには溢れている。テンポ良く記事を更新している。憧れの的が多い。
今では一般人の書くnoteは私にとってセンスのダイエットサプリであり引き出しの金具を潤すオイル差しになっていた。
皆様。
挨拶が遅れましたが、2022年、新年が明けました。
1月早々にこの投稿しようとしたのですがこんな時期になってしまいました。すっかり立春。暦の上では春です。2月も2月で日が短く、危うく3月、卒業のシーズンになるところでした。
私の投稿頻度は「うさぎと亀」の亀ほどノロマなテンポで綴りますが、皆様の最近あった出来事や知見をnoteを通して拝読する事を楽しみに今日もまたnoteを開いています。
日頃、顔も性格も分からない方達への行き場のない感謝をここで述べさせていただきます。
ありがとうございます。
これからもお世話になります。
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