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2003年特例法(性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律)について

「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」(以下「特例法」)が制定・施行されてから、20年が経過しようとしています。もうずいぶんと昔のことになってしまいましたから、「特例法」がどんな法律であり、それに私たちがどのような想いを抱いてきたか、ということが、最近この問題について関心を持たれた方々には、なかなか伝わっていないようです。
また「特例法」を巡って、現在「手術要件をなくすべき」との主張、あるいは「特例法自体を廃止すべき」とする主張など、この法律を巡って意見の複雑な対立が起きている状況です。
ですので、この法律の当事者である「性同一性障害者」のグループである当会として、この「特例法」についての歴史的な経緯や、当事者がこの「特例法」についてどのような想いを持ち、どういう法律であると捉えているか、ということを改めて説明しつつ、私たちの立場・主張を提起していきたいと思います。

「特例法」の制定の経緯

性別適合手術(SRS、いわゆる「性転換手術」)自体は、第二次大戦後に海外で術式が確立された手術なのですが、日本では1964年に起きた「ブルーボーイ事件」の刑事裁判の結果、優生保護法に違反する判決が出たことで、医学界ではタブー視されることになりました。
もちろん海外で禁止されていたわけではなく、止むにやまれず海外で手術を受けたカルーセル麻紀さんの例、あるいは自分でルートを開発してアメリカでの手術にこぎつけた虎井まさ衛さんの例など、海外での合法的な手術をしてきた人たちがいました。また「闇手術」と誹られながらも信念をもって性別適合手術を行っていた和田耕治先生の施術によるものなど、数百人といわれる規模で日本国内で暮らす手術済の当事者が、手術が「非合法・タブー」とされる状況下でも存在していたのです。
この状況下で、埼玉医大の原科孝雄医師による性別適合手術が1998年に行われました。「ブルーボーイ事件」でタブー視されたことに正面から向き合い、どうすれば社会の理解が得られるものであるかという課題に取り組み、埼玉医大の「倫理委員会」にかけ、「手術ガイドライン」を策定してそれに則った手術である、という形式を整えた上での手術でした。これによって「合法で正当な医療行為としての性別適合手術」が初めて日本で行われたことになります。
この「合法で正当な医療行為としての性別適合手術」が社会に認知されたことにより、「手術を受けた人」の社会的な立場の問題が浮上してくることになります。それまでも稀な例としては戸籍の性別を容認する判決が出たことがありますが、大多数の戸籍の性別変更要求の訴訟は却下され続けてきました。2001年に虎井まさ衛さんをはじめとする6人の手術済当事者が、戸籍の性別変更を求めて裁判を一斉に申し立てましたが、これをきっかけにして「手術した性同一性障害者の戸籍変更を認めないのは、人権上の問題があるのでは?」という世論が広がっていきます。
こんな中で、与党を中心に「性同一性障害で手術済の人を対象に、戸籍の性別を特例として変更可能にする法律」を作ろうという動きが出ます。それに当事者団体も協力して制定されたのが、「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」(「特例法」)なのです。
つまり、

手術を受けて生活上の性別を変えて、社会に適合して安定して暮らしている人が多数いる。その人たちにとっては公的書類の性別が食い違っていること、法的には同性同士となるために結婚できないことなど、大きな生活上の支障がある。それをどうにかしよう。

という意図で作られた法律なのです。

「特例法」制定と当事者

この「特例法」が制定されたことにより

  • ガイドラインに沿った診断と治療

  • 合法的な性別適合手術

  • 特例法による戸籍の性別の変更

の3点セットでの、性同一性障害者に対する医療と法律での対応が完成したことになるです。この結果、現在に至るまでの約20年間で、1万人以上の人がこの法律を使って戸籍の性別を変更することができました。この事実が、すでに制度として定着していることを証明しています。
改めてこの特例法による「性同一性障害とはどういう人か」の定義を見てみれば

この法律において、「性同一性障害者」とは、生物的には性別が明らかであるにもかかわらず、心理的にはそれとは別の性別であるとの持続的な確信を持ち、かつ、自己を身体的及び社会的に他の性別に適合させようとする意志を有する者であって、そのことについてその診断を的確に行うために必要な知識及び経験を有する二人以上の意志の一般に認められている医学的知見に基づき行う診断が一致しているものをいう。

性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律 第二条

と「自己を身体的及び社会的に他の性別に適合させようとする意志を有する者」がこの法律の対象である「性同一性障害者」となるわけです。そもそも自ら手術を望まない者・移行後の性別で社会に適合しようと思わない者は、この法律でいう「性同一性障害者」ではありません。社会ではさまざまな場面での「性別による区別」が存在します。だからこそ、社会的に見て「性別が安定して、社会に適合させようとする人」には、法律的な保護を加えようという趣旨なのです。この趣旨のどこにも「差別」と言われる要素がありません。

もちろん、この他にも「戸籍の性別」を変えるための「条件」があります。

一 十八歳以上であること
二 現に婚姻していないこと
三 現に未成年の子がいないこと
四 生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること
五 その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること

性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律 第三条①

とくに四、五が「手術要件」と呼ばれるものですが、もとよりこの法律の対象者は「自己を身体的及び社会的に他の性別に適合させようとする意志を有する者」ですから、更にの制限を加えたものというべきではなくて、具体的な条件として詳しく述べたものであると捉えるべきでしょう。
実際私たち「性同一性障害者」は、自ら望んで手術を受ける人々です。自分の性器に対する違和、嫌悪から、進んでそれを手術という手段によって解消しようとする者です。けして「戸籍の性別を変えたいから、手術する」というようなものではありませんし、戸籍変更が「手術のご褒美」であるかのような言説には「当事者の心を侮辱するもの」だと反論・抗議したいです。

しかし、いわゆる「トランスジェンダー」は、自らを「医療を求めない・医療化されない性別移行者」である、と自らを定義しますから、当然手術を求めることはありません。ですから、そもそも「トランスジェンダー」には「自己を身体的及び社会的に他の性別に適合させようとする意志」がありません。またその「性別移行の意志」を医学的に確認することも困難で、かつ「性別移行の意志」が不安定であってさえも十分「トランスジェンダー」でありえるわけです。
つまり「特例法」は、私たち「性同一性障害者」のための法律であり、けして「トランスジェンダー」のための法律ではないのです。

なぜ「トランスジェンダー」がこの「特例法」を自分たちのために勝手に変えたがるのか?

この振舞いに私たち本来の「特例法」の対象者である性同一性障害者は、懸念と不安ばかりを感じます。「トランスジェンダー」に必要なのは、「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」の改正ではなくて、新しく「トランスジェンダー差別解消法」を作ることでしょう。

「特例法」は私たちの法律です。

「特例法」が当事者にとっての差別解消法

このところ「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律」、いわゆる「LGBT理解増進法」の制定を巡って、国民世論真っ二つ、というような状況になりました。野党案ではもともと「LGBT差別禁止法」と呼ばれていたわけですが、逆に性同一性障害当事者にとって「差別禁止」とは何なのか?ということを問いましょう。

「特例法」ができる前は、私たちが性別移行しようとしても、「性的に変態」と非難される、あるいは「個人の性癖だから医学の対象外」だから、または特殊な「夜のお仕事」の従事者だから、法的な保護を受ける資格がない、とされてきました。ですから、社会に私たちの性別移行が承認されるようなことはありませんでした。

これを変えたのが実は「特例法」です。

「特例法」の最大の手柄は、まさに「性別を変えて生活する人がいること」これを世間に知らしめたことです。性別を変えて生活する人は、「性的なヘンタイ」でも「個人の特殊な性癖」でも「夜のお仕事」でもなくて、普通の市民であり、移行後の性別に適応して普通に暮らす人々だ、ということが周知されたのです。

ですから、特例法ができてからは、役所などの行政機関、銀行などの金融機関、病院などの医療機関で、公的書類の性別と見かけの性別が食い違っている場合であってさえも、「性同一性障害です」と一言いうだけで誰もが理解してくれる状況が生まれたのです。このことがまさに「差別解消」ではありませんか?

公的な場面での「差別」を解消したのはまさに「特例法」なのです。実際に戸籍変更の恩恵を受けなくてさえ、このような大きな効果が生まれたのでした。この「特例法」によって、私たち性同一性障害者に対する、社会からの「信用」がまさに築かれたと言っても過言ではないでしょう。性同一性障害当事者は、手術を真面目に求め、社会との融和を目指し、新しい性別に満足して静かに暮らす人々である、そういう「社会的信用」がこの20年間に築かれてきたわけです。

もちろん、すべての差別が解消された、と主張するわけではありません。とくに就職などの職業生活の場面では、移行期にさまざまな問題に当たることもあるでしょう。しかし、これは性同一性障害当事者の社会進出によって解消していくしか、本当の解決はないのではないか、とも感じられます。若い世代では、大学生時代に性別移行してしまえば、とくに過去を持ち出すまでもない、という感覚の方が普通なのでしょう。
また、個人の力量がすべてで、性別なんて関係がない、とする業界も増えてきています。履歴書から「性別欄」が消えるご時世です。着実に性同一性障害当事者の「生き方」の選択肢は増えています。

このような社会変化の側に、私たちの「生きやすさ」は懸っています。もちろん不当な差別は許すべきではありませんが、すでにさまざまな「差別禁止」の法制が現状でもあり、それらを使って有効に戦うことができます。
決して「社会運動」としての「差別解消運動」や包括的な「LGBT差別禁止」運動の側に、私たちの「生きやすさ」は懸っているのではないのです。

このところの「LGBT差別禁止法」側の運動によって、逆に私たち「社会に溶け込んで平穏に性別移行して暮らす当事者」が、過激な活動家と間違って同一化されて迷惑を感じることがずっと多くありました。この意味でも「トランスジェンダー」と私たち性同一性障害当事者との利害には、共通するものがないことを、改めて実感します。社会問題として騒ぐことで逆に私たちが「暮らしにくくなる」、そんな懸念さえ感じる状況でした。
性同一性障害者と「トランスジェンダー」は別物であり、その目的も運動もまったく共通するものはありません。

結論:「特例法」の維持を当事者は求める

この「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」は、私たち性同一性障害当事者のための法律、まさは「私たちの法律」なのです。この法律を議論する際には、「私たち」、性同一性障害当事者であり、手術を受けて社会に適応している当事者、最大の受益者である私たちの利害と主張が、ややもすると無視されてきました。

なぜでしょうか?

私たち性同一性障害者、手術を受けた人々への社会的な注目がなおざりにされてきたのは、私たちが「社会に埋没して平穏に暮らす」というまさにその特性によって、発言の機会が奪われてきたということでもあります。私たちはいわゆる「活動家」ではないのです。「自分は性同一性障害当事者だ」と広言して、その利害を社会に向けて主張すれば、今まで築いてきた新しい性別での生活が崩壊する、と懸念するのは不思議でしょうか?

性同一性障害者は怒ってます。トランスジェンダー活動家の我田引水に乗せられることなく、本来の対象者である私たち性同一性障害者の意見が最初に尊重されるべきであると考えます。

私たちは私たちの利害を主張します。私たちのための医療とその改善を要求します。また、私たちに絞った調査研究がなおざりにされてきたことの改善も、社会に要求します。手術を受けて戸籍を変えた人々が、現状はどうなのか、何が問題なのか、何を求めているのか、についてのまともな追跡調査さえないのです。

私たちは手術を自ら求める「性同一性障害者」というアイデンティティの元に、私たちの立場の改善を求めていきます。そのために「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」とその手術要件を維持することを、当事者として主張し続けます。

2023年7月

補足:「経産省トイレ制限訴訟」の最高裁判決

2023年7月11日に「経産省トイレ制限訴訟」の最高裁判決が出ました。判決内容の是非は別稿に譲りますが、最高裁においてもとくに宇賀克也裁判官の補足意見に見られるように、

現行の性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律の下では、上告人が戸籍上の性別を変更するためには、性別適合手術を行う必要がある。これに関する規定の合憲性について議論があることは周知のとおりであるが、その点は措くとして、性別適合手術は、身体への侵襲が避けられず、生命及び健康への危険を伴うものであり、経済的負担も大きく、また、体質等により受けることができない者もいるので、これを受けていない場合であっても、可能な限り、本人の性自認を尊重する対応をとるべきといえる

宇賀克也裁判官の補足意見

と性別適合手術の意義を軽視する補足意見も出ていることについて、未手術当事者への配慮は当然のことながら、手術要件廃止の方向に結び付かないように、私たちは監視していきます。

またこの秋にあるとされる、最高裁での「特例法の手術要件」についての司法判断にも、悪い影響が出るのではないかと、私たちは懸念しています。なしくずしの特例法改悪に結び付かないように、大いに世論を喚起し、当事者の手術要件維持の想いを最高裁に伝える活動も、当会はしていきます。


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