性同一性障害特例法の対案

前回、「性同一性障害特例法を廃止にできる余地はあるのか」というタイトルで探ってみましたが、
実際にその「対案」を考えてみることにしました。


前提として、当事者はその性同一性と反した生得的な身体を嫌悪しており、そのような身体を持っている/持っていたことを他人に知られることを最も恐れます。

当事者の承諾を得ず、第三者にそれを暴露することはアウティングと呼ばれ、人権侵害行為にあたります。
つまり、「生得的な身体を他人に知られることを徹底的に防ぐ」システムが必要ということになります。

極端ですが、一つの方法を考えてみましょう

①いっそ、性別という区別・概念そのものをなくしてしまう

というものです。つまり、性別という分類を社会から消滅させるのです。
そこでは、人間の身体は単なる「個人的な身体のあり方」に矮小化されます。
「子宮のある人」「ペニスのある人」などという大まかなボディタイプに二分されることになりますが、そこに名前はつきません。

誰がペニスを持っていようが子宮を持っていようが、誰も気にしないし、第三者が確認する方法はありません。

このような社会では、性別違和は単なる個人の身体違和となり、治療は単なる整形手術になります。アイデンティティの概念は身体から完全に切り離されることになり、誰もが自由にそれを表明することができるでしょう。

と、ここまで書いて、セルフIDと同じだということが判明してしまいました(汗)当事者にとっても、多くの女性にとっても全くメリットがありません。

なので、この方法は却下です。
というか、現実離れしすぎており、実現不可能でしょう。

ということで、、一応、男女の区別を残す前提で考えてみましょう。それは

②性別を徹底的に秘密にする


ということです。
たとえば就労の際に住民票を提出を求められることがありますが、住民票には性別の情報が書かれているので、アウティングのリスクがある行為として、就労の現場で提出を求めることは禁止されます。

もちろん、履歴書はじめあらゆる書類に性別欄はありません。
医療現場など、身体が関わってくる場合は、医療を行なう医師やごく限られた人にのみ知られることになるでしょうが、社会生活で、自らの性別を他人に知られることはまずありません。

ここまで読んで、これも実は「性別変更要件から手術要件を廃止した状態」に近いものだと気づくでしょうか?
このような社会では、特に性別適合手術をしていない当事者が生きやすくなることは間違いないでしょう。

一見当事者に優しいシステムには思えます。

しかし、結婚制度はどうするでしょうか?誰が女で誰が男かわからないのであれば、少なくとも伝統的な結婚制度は成り立たず、家族制度なども、全て見直されざるを得なくなります。
また、女性スペースはどうなるでしょうか?どのような人が女性スペースを使用できるのでしょうか?
書類上で男女の区別が必要な場合はどのように分けますか?
社会で男女の区別を行う以上、法律で明確な線引きがなされていないと、逆に社会に混乱をもたらすことになります。本当にこれでよいのでしょうか?

先程、性別適合手術をしていない当事者には生きやすいだろうと述べましたが、性別適合手術を終えた当事者や生得的な男性・女性にとっても生きやすいかどうかは疑問です。

このように考察してみて、特例法が廃止される社会は、必然的に手術要件廃止やら、更にセルフIDに向かうということがわかります。

この社会では、男女の区別が厳然と存在しています。そしてあらゆる場面で性別は個人を識別する重要な情報となります。
男でないものは女であり、女でないものは男です。
このようなあり方のことを「性別二元論」と言います。
そして、それぞれの性別には大まかな傾向性というものがありますが、それも身体の違いに由来するものであれ、社会的に発生したものであれ、厳然と存在します。それをジェンダーと言いますが、社会が男と女に分かれている以上、ジェンダーは必ず発生し、人間社会が存続する以上、それから逃れることはできません。

これらを含めて、「性別二元論」は社会や個人の意識レベルにおいても強固に根付いており、そこから逃れることは困難です。

よって、現実的には、この現状の強固な社会システムに則って諸制度を考えるほかなく、性同一性障害を持つ人を救済するには現状、「一定の基準を設けて、それによって法律上の性別を書き換える」という方法以外にないのです。もちろん、それは論理的な整合性を持っています。
現行法では「元の身体の生殖機能がなく、移行先の性別の身体の形状に近似」していることが条件となっていますが、この社会で男女が身体の機能や形状で分類されている以上、それに合わせることは理にかなったもの です。

性別に第三の枠組みなどありませんし、何より当事者がそれを望んでいません。仮にそれを作ったとしても「男でも女でもない者」として新たな差別を受けるだけです。
社会生活のあらゆる場面において性別という情報がつきまとっている以上、厳格な条件において法的な性別を書き換えることが当事者救済の最適解であると言わざるを得ませんし、マジョリティにとっても最も影響の少ない方法であることは言うまでもないでしょう。



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