「GIDの権利と女性の安全を守る会」設立しました
この度、GID当事者有志で、「GIDの権利と女性の安全を守る会」を設立しました。
設立にあたっての趣意は、次の通りです。
①
性同一性障害(Gender Identity Disorder)は世界保健機関(WHO)の定めるICD10にて定義された疾患であり、この疾患は我が国の「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」(以下、特例法)の根拠となっており、GID当事者の人権を守るための重要な法律となっています。
ところが、今年ICD11に性別不合(Gender Incongruence)という名称に改められ、カテゴリーも精神疾患から「性の健康」という分類に改められたことで、我が国の特例法は法律名に留まらず内容の見直しや改訂が行われることが予想されます。
また今、世界的に「GIDの症状とされていたものはそもそも疾患ではなく、多様な性の一つであり、トランスジェンダーとして人権を尊重されるべきである」という考え方が広まってきています。
このような考え方が広まると、私たちGID当事者の権利が守られなくなる恐れがあると危機感を覚え、会の設立に至りました。
現行の性別不合に改められる前の疾患名を使用する経緯については、多くの当事者がGIDの疾患名やその概念を根強く支持し続けていることや、現行の特例法を守るという会の目的に相応しいと判断したからです。
②
私たちは、旧・性同一性障害(GID)は疾患であると考えます。
よって、今流行りのLGBTやトランスジェンダーの枠組みには入らないと考えます。
同性愛者の問題と一緒くたにされてしまう恐れがあることはもちろんですが、「性別違和は疾患ではなく、多様な性の一つであり、個性である」というような考え方を押し付けられることを危惧し、LGBTの枠組みに入ることはデメリットしかないと考えます。
もう一つに、そもそもトランスジェンダーとGIDは全く異なる存在であるということです。
そもそもトランスジェンダーは、ヴァージニア・プリンスという人がトランスセクシャル(今のGIDに相当する古い疾患名)に対抗して作った造語です。
プリンスは「私は常に女装をしているが身体的な違和感はなく、治療をするつもりもない。でも、女として生きていく」という生き方をもって「トランスジェンダー」と名乗りました。
トランスジェンダーとは、元々、このような意味であり、身体的な治療をする人は含まれていません。
トランスジェンダーの人達は、身体ではなく「ジェンダー」つまり社会的な性差を乗り越えていく、その境界を解体することで救済されると考えています。
それはつまり「どのような身体でも自由に男や女を名乗れるようにするべきだ」ということに繋がり、GID当事者含め、一般の人達特に女性にとって脅威となります。
言うまでもなく身体的な移行を求めるGID当事者は、そのような考え方で救済されることはなく、疾患として身体の治療をする権利を後退させてしまう恐れがある危険なものであるといえます。
ところが近年になり、「セックスもまたジェンダーである」というバトラーを始めとする現代フェミニズムの影響により、身体の治療を求めるトランスセクシャル・GIDまでをも、「トランスジェンダー」に含めようという動きが広まり、それは今や国連も採用し、日本のGID学会でも「トランス女性」という用語が頻出するなど、医学界をも席巻するような大きな流れに発展してしまいました。
③
このような流れを強く危惧し、私たちGID当事者の権利を守るために
・診断や医療行為の厳格化
・特例法やその運用の厳格化
・性自認主義(所謂「トランスジェンダリズム」)の否定
をまず第一に掲げ、活動することにしました。
真っ当に身体の治療を受けて、本当に本来あるべき性別で生きていきたい当事者の権利を第一に守るために、トランスジェンダーとGIDは区別される必要があります。
診断や治療の厳格化に際しては、治療に先立って徹底的なRLEを重視する初期ガイドラインに戻すことを提案します。
RLEを厳しく実施することで、非常識な行いをして社会に、特に女性に迷惑を掛けるような当事者はふるいにかけられるでしょう。
もちろん身体違和はあるかもしれませんが、その性別での社会生活を真っ当に送ることができない状態で身体の治療だけをしてもかえって生きづらくなるだけで、当事者のためになりません。
そして私達は、厳格な医療行為がなされることを前提にクリニックや専門医の増加や、ホルモン療法の保険適用など、当事者が医療にアクセスしやすい環境が整うことを望んでいます。
特例法に関しては、現行の所謂「手術要件」は当然堅持した上で、理想は所謂「子なし要件」も「未成年の子がいない」を成立当初の「子がいない」に戻すことであると考えます。少なくとも要件撤廃には賛同できません。
夫や父親が突然女になったり、またその逆もありますが、これは配偶者や子供への影響があまりに大きく、一方的に当事者側の権利だけを押し通すことの正当性に疑問を感じざるを得ません。
そもそも、「男」として結婚して子まで作った人を「女性」と言えるのでしょうか?
男らしさ、女らしさという偏見を押し付けるのはよくありませんが、結婚や子を授かるということは、相応の責任が伴います。
その責任を投げ捨てることを正当化してまで、当事者の一方的な主張を認めるべきなのでしょうか?
是非、考えていただきたいと思います。
性自認という用語についてですが、本来は医学用語であり、その文脈において適用されてきたものを、トランスジェンダーが拡大解釈し、「性自認が女なら身体に関わらず女であり、それを持って女としての権利がある!」という極端な主張に利用されてしまいました。
私達は、性自認を本来の医学用語に戻し、粛々と運用されることを望みます。
一部に、性自認という概念そのものを否定する論調などが見られますが、性自認は確かに医学用語として存在するということは強調したいと思います。