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フェティッシュバーのソファに置いて行かれ気付いたら9年経っていた話


もう約15年前にもなる話

20歳の頃
東京へ来て2年目になって
通っていた服飾の学校が辛過ぎて休学した

生意気にも当時の気持ちは色々マンネリモードで普段と違う刺激が欲しかった

気になっていたギャラリーバーで働かせてもらえることになって
そこは
"エログロ、アングラ、アバンギャルド、耽美…"
を扱っていた

過激であればあるほどカッコイイ!と思っていた

作家の作品が壁にかざられていて
実際に作家が飲みにくることがあったり…

当時お付き合いしていた人は
"そういうの"が嫌いな人で
内緒にして働いていたが
わたしにはドンピシャで、
刺激的な最高の場所!と思っていた


働いて少し経って3.11の東日本大震災がきて、
なんやかんやで恋人に働いていたのがバレて
半ば強制的に辞めさせられた

(恋人の友人に黒服がいて
そこのバーは違法キャバクラ!反×!と言ってる!今すぐやめろ!と言われた

しかし私が働いていた場所は都内で、
友人は埼玉の黒服だった
田舎者で無知すぎるわたしは
「そうなんだ〜顔広〜い!⭐︎」
とバカみたいに信じた…)


その恋人と別れた後ギャラリーバーが楽しかったことが思い出され

”違法キャバクラ、反×…”

恋人の言うことは割と鵜呑みにしていた自分は
まだそのことが頭に残っていたけれど

「でも人生一度きりだし⭐︎
フーゾクに売られる…まではないっしょ⭐︎」

とやったれ精神でもう一度オーナーに連絡をしてみた

(※その昔色々あって母親と喧嘩して
「そんなんだと東京行ってフーゾクするのがオチだぞ!!」
と具体的なワードで怒鳴られ
恥ずかしく思った経験があったのだけど

言う通りになるかよ!!
という反骨精神からフーゾクでは働かない!
と決めていたのと
母親は昔の川崎に住んでいたので
なんとなく信ぴょう性があった)


オーナーはすんなり受け入れてくれて
再度ギャラリーバーで働けることになったけれど
系列のバーをなんとなく薦めてくる雰囲気を察し、やんわり断り続けていた

系列のバーを
「フェティッシュバー」と呼んでいて、
コスプレをするところだと思っていた
わたしはコスプレをそれまで一回もししたことがなかった

でもある日
「系列のバーはきっと君に合うと思うんだよ、
衣装もかっこよくてみんな楽しく働いている、
お試しでいくだけだから」

と言われ(今思うと悪い大人すぎる発言だ)
キラキラな飲屋街へ連れられ
怪しい路地を入り暗い階段を降りていくと

真っ黒な壁と真っ赤な絨毯、
コントラストがヤバいと思った店内で
縄で縛られた人が吊るされていた
初めて見る衝撃的な光景だったけれど
何よりびっくりしたのは

お尻ほぼ丸出しで接客しているお姉様方。
(みなさん私より年上で女王様かも分からなかったのでそう呼びます。)

「フーゾクだ!!!!!」

一瞬で頭に浮かんで母の顔や元恋人のこととか
一気に思い出された

その時は本気で
「売り飛ばされる!!」
と思った

さすがにフーゾクでは働けないと思って
「ちょっと私には合わないと思います…」
そう言ってしまおうとぐずぐずしていたら

「あとはこの子達がいるから任せた!じゃ!」

とソファの真ん中に私を残してオーナーがサッと立ち上がってしまった

「騙された!!!」と思った。

しかもまた深く座ると沈むタイプのソファで
すぐには動きにくかった

オーナーを追う目線の脇
フロアの真ん中で縄で縛られているだけに見えるのに喘いでいる女性が見えてカオスだった
照明の関係で照らされるようなセッティングだったのも
余計にヤバい雰囲気を感じた

お店の作り上退店する(逃げる)には
お姉様方が座っている椅子を突破しなくてはいけなくて

エナメル素材テカテカで
露出が多くて
高いヒールを履いている
"いかにも強そうな人たち"
を突っ切っていくことはできず
なるようになれ〜精神の自分でも

「終わった。。。」と思った。

感情が顔に出やすいので
とてもかわいそうな顔になっていたと思う

バーなんて一人で行ったことが無かったし、
ましてやキャバクラなんて知らなくて
お姉様方が名刺を自分にも丁寧に渡してくれたが心ここにあらずだった

ソファに座っていると立ち上がる度にほぼ丸出しのお尻が顔の近くにきて
こういうサービスを指導されるお店なんだ…!
と更に思った。

自分の中でもうフーゾク店として確定していて
周りの人は服を着ているし
談笑して和やかだったけれど
きっとどこかの時間で何か起こるんだ…!!
とも思っていた

何かが起こる度に一々
頭の中で真っ赤なびっくりマークが出てたと思う


風俗店の仕組み、種類もわからない年頃で
悪い人の映画が好きだったから
どんどん妄想は膨らんで
転落していく自分の姿を思い浮かべていた…


そんな時に小柄な姫カットの優しそうで不思議なお姉様が声をかけてくれた
真っ白なエナメルのロングドレスだったと思う。
ここのフェティッシュバーのママなのだと改めて話しをしてくれて

かわいらしくて、
ニカっと笑う笑顔が素敵で、
どこか少女な感じもあって、
でも独特の包容力もあって……

SMバー、フェティッシュバーという場所なのに?

と失礼ながら思ってしまった

その時の私は限界状態で
会話なんてほぼ覚えていないのに
なぜかとても気になって

「オーナーも断ったらなんだか怖そうだし、
体験入店でいいって言ったし、
なんだかこの方が気になるし、、、
嫌だったら何か理由をつけて辞めればいいや…」

・・・・・・
と思ってからなぜか9年間も居着くことに…。

ちなみに
フェティッシュバーの当時のママ
早乙女宏美さんは
切腹ショーをされる方で
そのショーにも惚れてしまって
見る度に号泣する女になりました

そして尻を出すことに造作なくステージに上がったり、
ショーをさせてもらったり
手作りした衣装の布が少なすぎて見え過ぎていて
マスターに怒られたり、
イベントのため看板を持ち
今のトー横辺りでほぼ尻丸出しで立っててマスターに怒られたり、

それなりに怒られて
それなりに歴の長い人になりました


なにより
ふわっと消えるつもりが早乙女宏美さんに惚れて
まさかそこでほぼ20代を終えるとは思いもしませんでした

「なんでフェティッシュバーで働こうと思ったの?」と今でもたまに聞かれるけれど

「早乙女宏美さんがママで惚れ込んで
その下で働いたら人生が変わる、と直感で思ったから。」

という理由につきます

SMが好きだった、アングラに触れたかった、
などが一番の理由ではなく
9年も働けたのは逆にそういうことがきっかけだったからかな

具体的に早乙女宏美さんから教えてもらった
当時のわたしに必要なテクや
20代前半の水商売が楽だと思った時代
20代半ばを過ぎて自分自身の価値がどこにあるのか悩んだ時代
そこまで書きたかったのですが

懐かしく思いだしながら書いたら長くなって
一晩じゃ書ききれませんでした
いつか書きたいので
また気が向いたら書き殴ります


言うまでもなく
わたしが働いていたところは全く
風俗店ではないし、
1番自由に仕事させてもらっていました

でもその時本当に風俗業というものを全然知らなくて
コンカフェも今みたいに無かったし
人前で露出する人はみんな身体を売っている
くらいに思っていました(無知が過ぎた)

もう10年以上も前のことで、令和の今は当時のお店の雰囲気とは異なるし
平成半ば、20代そこそこの無知な視点から思えたことを書いたので
今では使わないであろう表現があることを
ご容赦くださいませ…

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