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映画『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』

人気漫画家・浅野いにお先生の原作漫画(全12巻)を映画化し、前章・後章合わせて4時間で構成された作品。
わたしが最初に原作漫画を読むきっかけとなったのは、推しである諏訪部順一さんがX(当時Twitter)で呟かれていたからだ。
無論、浅野にいお先生の存在は知っていたし気になりつつも何となく食指が動かなかった(ご無礼をお許しください)
しかし、『デデデデ』のアニメ化のお知らせと、愛読されていたこと、オーディションを受けたい、おんたんのお兄さんを狙いてぇ〜という諏訪部さんの言葉に俄然読みたくなって本屋さんへ直行したのは言うまでもない。
よく、作品世界へ入り込んでしまうという表現があるがまさにそれ。
ページを開いた瞬間、くそやばい世界に来てしまったなというのが率直な感想だった。
日常とSF、なんでもありで突き抜けた面白さ。
そして、ぞわぞわする恐怖。
それは、わたしたちのいるこの世界にも十分起こり得る風景を突きつけられるからだった。
実際、わたしたちはそれを経験したり目の当たりにしてきた。
あからさまな侵略者(宇宙人やUFO)は目にしてないけど、理不尽な現実を幾度となく。
原作の結末は捉え方は人それぞれだけど、わたしにとってはネガティブなものではなかった。
そして、2023年10月『映画デデデデ』の公式さんから声優キャスト第1弾解禁の発表があり、そこには中川ひろし役を見事に射止められていた諏訪部順一さんがいた。
ご本人からも「アニメ『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』で、おんたんのお兄ちゃん 中川ひろしを担当いたします。よろしくお願いします!」というご報告があり、わたしは思わずその場で歓喜のジャンプをした。
おんたんのお兄ちゃんてどんなキャラクターかなとワクワクしながら読み進めたのを思い出す。
初手は、えっ、この人がお兄ちゃん…?
(勝手に都合良く思い描いていたわたしが悪いのです)
でも、知れば知るほどひろし君に惹かれて、生まれて初めて自分にもお兄ちゃんがいたらよかったと漫画で思えたのがひろし君だった。
2024年3月22日の映画公開日まで指折り数えて待ち続けた。
公開初日、わたしは運良く休日で朝イチ映画館へ向かった。
グラニフ×浅野いにお 『デデデデ』プリントカットソーに身を包んでね。
その頃の自分のポストを振り返ると自分の浮かれっぷりがわかる(笑)

映画館フードのチュリトスを片手に着席したが、ひと口も齧れないまま持ち帰ることになるほどスクリーンに釘付けだった。
構成や展開にも度肝を抜かれた。
映像化されることによって、門出とおんたんの日常はより生々しく浮かび上がった。
服装、部屋、学校、放課後。
空を見上げたら母艦がこんなふうに浮いているんだと。
8月31日に母艦が襲来すること自体、子どもの頃に9月1日が来なきゃいいのにと思っていたことを見透かされた気持ちになるのに。
いい大人になった今だって、明日からまた仕事かと休日の夜にため息をつくのに。
世界に色が付いたことでますます怖くなった。
門出の「大人の偉い人たちには、『あの日』から何もかもが変わってしまったと言っていたけれど、わたしはむしろ何も変わらない日常が少し不満であって、でも、それはそれでひとつの幸せだったんだと、今となってはそう思います」という言葉が原作を読んだ時から印象的だった。
かつて平和な日々しか知らなかったわたしもそうだった。
モラトリアムな休日の延長を望んでいたし、でもそれは叶わないことも、何も起こらない幸せがあることもどこかわかっていた。
年齢を経てそれはもっと確定的となり、毎日が来ることが当たり前じゃないんだと身につまされている。

映画館で会うことを待ち焦がれていたひろし君は、わたしにとってディストピアで出会えた絶対となった。
それは後章で揺るぎないものとなる。

正直ね、えー、嘘でしょ!?というラスト。
最高だったし、自分でもよくわからない涙が出て止まらなかった。
でも、原作で自分の気持ちに折り合いをつけていただけに映画館のロビーのソファに沈み込んでしまった。
そんな時に思い出したんだ。
ひろし君の「運命を変えろ」
自分をなだめて納得させましたよ。
声に出されたらわかるよ。
ひろし君にとっての絶対はおんたんで、世界がどうなってもいいくらい大切な存在なんだってこと。
あと、映画にはなかったけど原作にはほかにもひろし君の人となりがわかる場面がある。
諏訪部さんはその場面も含めて演じられていたように思う。
キャラクターに命を吹き込むという表現はよく言ったものだと痛感。
おんたんと門出を担当されたあのちゃんと幾田りらちゃんにも敬服。
少しネタバレになってしまうけど、タイムシフトによっておんたんも門出も性格がそれぞれの世界で違うのだが、その機微が本当に素晴らしい。
侵略者に繊細すぎると言われるほどだったおんたんが、はちゃめちゃな言動をするようになったのも門出を守るためであり、その変化を目にして耳にして泣いた。
門出もまた、おんたんを守っていたのだ。
お互いかけがえのない絶対だということを体現されていた。

おふたりがタッグを組んだ主題歌2曲、前章はano feat. 幾田りら「絶絶絶絶対聖域」、後章は幾田りら feat. ano「青春謳歌」とそれぞれ映画を彩っている。

後章の時、喉が渇いていたわたしはコーラを片手に着席した。
でも前章のチュリトス同様、飲めなかったんだ。
だから帰り道に口に含んだそれが『青春謳歌』の歌詞と重なってまた泣いた。
登場人物すべて愛しかった。
大葉君のこともまた別に書けたらと思う。

こんなつらつらと感想を好き勝手に書いていますが、わたしが作品世界の伝えたいことは何かだなんて言い当てようとするのは傲慢なので、大切な存在にありがとう、ごめんなさい、大好き、を惜しみなく伝えていこうと、これに尽きると思うわけです。
絶対って言葉も安易に使っちゃいけない気がして今まで敬遠してきた。
でも、絶対って思う時点でそれはもう安い気持ちじゃないんだよね。
時が移ろい、心も変わり果てることもあるかもしれない。
でも先のことなんて知るかよと。
忘れられたり嫌われることもあるけど、自分の好きは貫きたい。
終わらない夏休みは残酷なんだよ。
今日も今日とてと言いながら、自分を頑張る。
時間が与えられるかぎり。

はにゃにゃフワ〜ッ

#デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション
#映画デデデデ
#諏訪部順一

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