音楽朗読劇READING HIGH『ROAD to AVALON』
2024年5月12日、東京ガーデンシアターにてROAD to AVALONを観劇した。
リーディングハイの作品はいくつか拝見してきたが、生まれて初めて音楽朗読劇というものに触れたのは2020年2月のエルガレオンだった。
ハンカチが絞れるほどの涙を流したことは未だに忘れられない。
今作はアーサー王伝説をもとに創作されたという。
アーサー王
諏訪部順一さん。
魔法使いアンブローズン・マーリン
大塚明夫さん。
円卓の騎士たち
ランスロット
中村悠一さん。
ガウェイン
安元洋貴さん。
ガレス
梅原裕一さん。
幼馴染みモードレッド
杉田智和さん。
湖の乙女/幼少期のアーサー王
沢城みゆきさん。
絢爛豪華な面々だ。
少年時代に自分を認めてくれたはずの聖剣エクスカリバーから拒絶され、剣を握ることができなくなってしまったアーサー王の苦悩から物語は始まる。
自分を支えてきてくれた魔法使いマーリンもかつての能力はなくなり、幼い頃から苦楽を共にしてきた円卓の騎士達にも歪みが生じ始め…という流れなのだが、血の繋がりこそはないがひとつの家族のような集まりに胸を締め付けられることになる。
誰もが迎える老いや死。
愛を乞うからこその妬み。
信じていたからこその怒り。
いとおしい存在を守るための嘘。
それぞれの生い立ち。
壮大な物語に攫われたわたしの体中に響き渡る声、光、音楽。
まるで幼な子が絵本を開いた時のような興奮の中で感じたものは、自分がずっと捨てられずにいた寂しさへの肯定。
皆、自分の意思で生まれてくるものはいない。
気づいたらこの世に生み落とされ、少なからず孤独を抱えて生きていく。
それは、人ならざるものである湖の乙女もそうだったのではないだろうか。
沢城みゆきさんの湖の乙女ヴィヴィアンは浮世離れした演技がとても魅力的だった。
ただ、かつて一緒に過ごしていたアーサー王に対しては妙に人間くさい表情を見せるのだ。
ヒトと同じような容姿を持ちながら人智を超えた存在。
誰からも気づかれず長い時を過ごしているうちに、本人もそれを孤独と知らずに心に飼っていたのではないだろうか。
アーサーと出会えたことで、ヴィヴィアンの中に生まれた喜びと寂寥。
そして、我らが推しである諏訪部さんのアーサー王は圧巻だった。
彼ほど人生や運命に振り回された人物はいない。
エクスカリバーに認められた誉れと重責に、己の哀しみと苦しみはひた隠し、誰よりも優しくまわりを愛し守った人。
なぜエクスカリバーから拒まれるようになったのか、その真実は残酷でもあり慈愛に満ちたものであった。
ふと頭に浮かぶのは
“Adel sitzt im Gemut,nicht im Geblut.(高貴さは血筋にあらず、心にあり)
これは諏訪部さんが担当する、ある作品のわたしが愛してやまないキャラクターの座右の銘だ。
(ここで引用するのをご容赦ください)
血筋や肩書きが良いに越したことはないだろう。
でも、アーサー王の生き様から円卓の中心にふさわしいのはこの方をおいて他にいないのだ。
マーリンが幼い彼に光を見出し、運命に抗ったのも頷けると涙が溢れた。
背負わせるものの大きさをマーリンもわかっていたはず。
それでも尚、そうせずにはいられなかったのだ。
世のため、民のため、何より少年アーサーのためだと信じて。
気まぐれで非情な運命。
一方、この広い世界で巡り会えるのもまた運命なのだ。
少し前に、原作・脚本・演出の藤沢文翁さんがファンクラブ限定にオープニングの歌詞をメールマガジンにアップしてくださっていた。
配信のアーカイブでボーカルの稲泉りんさんの圧倒的歌唱力に再び耳を傾けながら歌詞をなぞる。
命への愛と願いを込めた叫びが胸に迫る。
誰かが生きた証。
語り継がれていく物語。
アーサー王のともしびは、それはまばゆく優しかった。
ヴィヴィアンの涙は雫となり湖へ滴るだろう。
ふたりに通っていたものはふたりにしかわからない。
この世界は寂しがりやばかりなのだ。
わたしも含めて。
雨をこの身に受けてできた涙は、今回もわたしからたくさん流れた。
大切なのは栄光や功績ばかりではなく、隣やまわりに誰がいてくれるかだ。
アヴァロンの道をいつか歩む時、ひとりじゃなかったと思えるように、失くしたものを嘆くのではなく得られたものを抱きしめて冥府に向かいたい。
一日一日、名前を呼び合えてそばにいてくれる存在を大切に過ごしたい。
油断しているとすぐ過去になるから。
でも戻れない時間も宝物だと教えてもらえた。
かけがえのない時間をありがとうございました。
#音楽朗読劇
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