見出し画像

社宅と新しい家


私の家族は全員B型である。

これを人に話すと、結構驚かれる。
B型という人種は、皆さんが思うように自由気ままで自己中人間だ。
私も、私の家族もそうだと思う。

でも、B型なりに家族としてやってきた。
私は、自分の家族が大好きだ。

昔、私たちは父の会社の社宅に住んでいた。
弟はまだ保育園生だったが、狭い家に大人2人、子供3人で暮らしていた。(動物は禁止だったけど、内緒で色々な動物とも一緒に住んでいた)
もちろん、一人っきりになれる場所なんてない。寝る時も、家族全員で同じ部屋で
布団を敷いて寝ていた。

そんな私たちの住まい(確か、1号館の3階だった)のお隣さんは、
お父さん、お母さん、娘2人の4人家族だった。

その家からは、毎日掃除機の音が聞こえていた。

そのお隣さんは、私たち家族よりも早く一軒家を建て、社宅から退去した。
お隣さんで、歳が近い娘たちがいたのにも関わらず、私たちはあまり親交がなかったため、そんなに悲しかった思い出はない。
ただ、掃除機の音がしなくなった、と感じただけだった。

今では、姉も私も社会人になり、弟は高校に近い場所で下宿をしている。
そして、あの社宅も私が中3の時に引越したので、今は新しい家に父と母とねこ2匹が住んでいる。

たまに家族で集まってご飯を食べに行くのだが、先日、社宅の頃のお隣さんの話になった。

「掃除機いつもかけてたよね」

お隣さんへの印象は、やはり家族全員一致だった。
毎日掃除機をかけることが、相当物珍しかったのだろう。

一人暮らしをして7年目になる私だが、そんな私もほぼ毎日掃除機をかけている。
だから、毎日掃除機をかけるお隣さんが特別潔癖なわけではなかったのだろう。

年後の娘2人と幼い弟を育てていたあの頃の父と母は、毎日掃除機をかける余裕なんてなかったのだろう。

同級生の中でも、父と母の年齢は特に若い方だった。

土日は、姉と2人で石掘りをしたり、暇を持て余すために公園に行き、通りかかった友だちと遊んでいた。年に2回ほど行く廃れたイオンモールは本当に楽しみだった。家族で都会に出たのは一度しかない。外食もほぼしたことがなかった。

今考えると、私たちではなく、父と母の方がずっとずっと我慢していたのだろうと思う。一度も両親の口から聞いたことはなかったけど、お金がなかったのだろう。

お金がなかったなりに、私の幼い頃の思い出は宝物だ。
いつも家族全員で夜ご飯を食べた。誕生日は、母と姉とケーキ作りをした。色塗りをしていたら、見かねた父が当時6歳の私を差し置いて、本気でプリキュアの色塗りをし始めた。大雨の日に、保育園から帰ると父が子猫を家に連れて帰ってきていた。台風の日に窓に※のようにガムテープを貼った。社宅の階段に大きな蜘蛛がいて、怖くて外に出れなかった時に、父が(なぜか怖がる私を連れて)退治してくれたこと。

当時はすごく退屈だったけど、今思うとすごく恋しい。しかし、あの生活をもう一度やれ、と言われても誰もできないと思う。みんなの年齢や生活水準が、あの社宅にあっていたんだろうな。
退屈で、質素で、汚いけど、私の大事な時期は確かにあの「社宅」にある。

だから、10年前に引っ越した家をいまだに私は「新しい家」と呼んでいる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?