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水無月の終わり

うっかり7月になってしまったが、振りかぶって振り返る。

今年の6月も去年と同様、梅雨とは思えないほどの快晴の日も多く、いよいよ四季とはなんぞやというところだろう。
雨ふりは屋内という絶対的安全圏から眺めるに限る。
しかしそういう時に限って外に出なければならない。世の中というのはそういうものだ。仕方がない。

職場の先輩とラウンドワンのスポッチャに行った。
3時間コースでバレーやらバトミントンやらバッティング等々をしたところ、翌日えげつないほどの筋肉痛。
いかに普段運動していないかを証明している。
特に最後のトランポリンが響いた。
トランポリンがこんな凄まじい全身運動になるとは思ってもいなかった。
これを毎日やれば確実に痩せるのだろう。絶対やらないけど。

6月はゆっくりする月になる予定だったが、気づけば毎週山に登ったり東京に行ったりしていた。
当然、家にいる時間が相対的に短くなる。
次引っ越す時はもっと家賃の安い物件を探さないとこりゃ大赤字だなと思った。

と、ここで恐ろしい事実に気づく。
来年4月でほぼ確で異動になるのだが、その引越費用が無い。
正確には、後日引越し費用は支給されるのだが、一旦は自分で立て替えなければならない。
近隣地域ならいざ知らず、北海道や沖縄だった場合は悲惨である。
関西東人は果たして引越しできるのか、乞うご期待。

ドラマ「だが、情熱はある」が終わってしまった。
本当に久しぶりに熱中したドラマだった。こんなに夢中になって見たのはリーガルハイ以来である。
天才を諦めた南海キャンディーズ山里亮太と、世界をナナメに見ていたオードリー若林正恭。
そんな2人の半生なんて面白くないわけが無い。

「たりないふたり」をリアルタイムで見た人たちが羨ましくなった。
これだけ「たりないふたり」かも愛されているのは、やはり皆同じ悩みを抱えているのだろう。

最終回は現在までを描いている。
ドラマは終わってしまうけれど、これからの2人の活躍、そして人生こそが「だが、情熱はある」の続きに他ならない。

ちょうどドラマが始まる前に、若林さんのエッセイ「ナナメの夕暮れ」を読んでいた。
ドラマにはそこから引用されている部分も多々あったので、「あ、これナナメのやつだ!」と興奮していた。
エッセイというものをきちんと読んだのは初めてだったが、体に電流が流れるほどの衝撃を受けた。
これは自分のことを書いてるのではないかと。
そんな陳腐で在り来りな感想が出てくるほどには共感しかない内容だった。
共感しすぎて共感性羞恥を感じるほど。

だが、それ程までに多くの人が抱え飲んでる悩みなのだ。
何となく感じていた生きづらさ、そして自意識過剰の源泉はこれだったのかと腑に落ちたのだった。
同じ生きづらさを抱えている人間が他にもいたんだと安心感さえ覚えた。

若林さんと自分を比べるなんて恐れ多くおこがましい行為だが、しかしそれでも自分と同じ姿を重ねざるを得なかった。

これからのお二人の活躍をこの目で見ることが出来るのが本当に楽しみだ。


PS:ドラマので特に好きなシーン↓

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