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Aqoursとのこれまでとこれから

今でも上手く言葉が纏まらない。
それほどまでにAqoursが紡いできたものは大きかったから。
それでも「今」感じたこの気持ちを言葉にすることに意味があると思う。そう思いたい。

AqoursFinaleライブが発表された時、心のどこかで妙に納得している自分がいた。
「この時」がいつか訪れることを覚悟していたんだと思う。
だけど、どれほど覚悟ができていても、実際に事実として受け取った時に冷静でいれるとは限らない。
冷静になれるわけがない。
どれだけ理性で押さえ込もうとしても、感情はとめどなく溢れ出てくる。
溢れ出た感情は堰を破り、涙となって流れていた。

Aqours5thライブで小宮有紗さんは仰った。
「アイドルは永遠じゃないからこそ輝ける」
それはスクールアイドル、さらにはラブライブの真髄そのもの。

そしてこうも続けた。
「だけど、この9人のAqoursは永遠であって欲しい」
理性と感情の間で溢れた言葉だったと思う。
それはAqoursみんなの、そしてファン全員の想いだった。

頭では理解している。
これはAqoursの「区切り」
Aqoursが次のステージに飛び立つ為の過程なんだと。
でも、心はそう簡単に納得してくれない。

寂しくて仕方がない。
永遠なんて存在しない、なんてことは分かりきっていたはずなのに。
でもこれは偽ることの出来ない本当の気持ち。
本気で追いかけてきたからこその感情。
だから寂しいと思うことも間違いじゃないって言い切れる。

高校生活後半において、Aqoursは本当に心の一部で、人生の一部だった。

Aqoursをきっかけに世界が広がった。
沢山の出逢いがあった。
たくさんの素敵なものに触れることができた。
Aqoursが紡いだラブライブがあったからこそ、虹ヶ咲に出逢えた、Liellaに出逢えた。

だから胸を張って言える。
今の自分にはAqoursの他にも大切なものがたくさんある。
それは優先順位が下がった、という話ではなくてもっとポジティブな意味合いで。

改めて考えてみる。
Aqoursは自分にとっての何なのだろうか。

自分の好きな小説「推し、燃ゆ」の表現を借りるなら、Aqoursは「背骨」なんだと思う。

今自分が立って歩けているのは「背骨」があるからこそ。
なんてことを言うとやっぱり大袈裟というか、重たい表現になってしまうけれど。

立ち上がって、初めて見える景色がある。
歩き回ることで、見つかる新たな出逢いがある。

背中を、そして全身を支えてくれる背骨の安心感で今日もこれからも歩いて行ける。

Aqoursはどこまでも進み続ける。
決して最後でもないし、解散でもない。
だからこそ、"Final"ではなく"Finale"なんだろう。

それでいい。それを理解していれば今は良い。
来る集大成のライブに向けて、精一杯向き合っていきたい。

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