アンノウウン・トラディション第一章【アンガスの墓地跡】 #9/30vampireday #ヴァンパイア文芸部

1.
私の一番古い記憶というものは、曖昧で、いつの時代か、自分が何歳の頃のものか、何をしていたのかもわからない。
明確なのは、私が目覚めたその場所は、“墓地”だったという一点だけだ。

そこは、仄昏く、湿った土の匂いと腐敗した匂いが充満した、冷たい石の感触のある場所だった。
冷たいぼんやりとした明かり、辺りを見渡すには頼りない月明かりが射し込んでくる場所だった。

その明かりで私の影が朽ちた壁に映っている。

 私はそこを感覚的に“墓地”だと認識した。
正確には“墓地跡”だと私は認識した。
人々の記憶からも忘れ去られた、かつて“墓地”であった場所。
周りには恐らく元は人間だったであろう残骸が散乱し、私は孤独だった。
この残骸の中には私の家族や友人だった者がいるかもしれない。
だが、それらが元の姿をしていても、誰かを思い出せないだろう。私は自分も誰かを知らない。どんなに思い出そうとしても、記憶は翳り、ぼんやりとした過去の輪郭すら浮かんでこない。
私は、自分が何者かを知ることは出来なかった。


私は孤独で、いつからか知れない空腹と渇きに悩まされた。
重い身体を引きずりながら、干からびた手の裂けて割れた爪で湿った土を掘り返し、蠢く細い虫をつまんでは次々に口に運んだ。

渇きは治まらない。いっそう喉が渇き、胃は食べ物を欲する。こんなものじゃない、もっと温かいものが欲しい。私は次に崩れた石壁の下にある汚い棒状のものを拾った。

 口にいれてしゃぶる。唾液は出てこない。齧ると劣化した骨は粉々になり、私はそれを噛んで飲み込んだ。

いくらか渇きが癒えた気がする。

私の目の前に小さな動くものが現れた。
チウチウと鳴くそれを鷲掴むと、頭から齧った。

嗚呼。

私は歓喜の声が漏れた。

嗚呼。

私が求めていたのはこれだ。

動かなくなった鼠の残りを口に頬張ると、ゆっくり噛み締めた。

じわりと温かいものが喉に流れ込む。

血。

嗚呼、私はこれが欲しかったのだ。温かい血。生命の温もりを感じることが出来る血液。
漸く渇きは癒え始めていた。

私は次々に鼠を掴むと口に運び、噛み千切り、噛み砕き、喉を鳴らしながら飲み込んだ。

私は怪物だと知ったのはその時だった。地虫を食べ、人間の骨を齧り、そして生きた鼠を捕らえて喰らう。

私は怪物なのだ。鏡がもしこの場にあったのなら、私は自分の姿を見て発狂したに違いない。

いや、私はすでに狂っていたのかもしれない。生きた鼠を食べ、満足した私は、声を聞いた。
今まで聞いた中でもそれは低い、地獄の底から響いてくるような低音。普通の人間の可聴領域にはない低く微細な声。

それは私がいるこの打ち捨てられた墓地跡の奥から聞こえてくるのだった。

2.

私はその声を何故だか“懐かしい”と感じた。
いつか聞いた声ではない。初めて聞く声だ。しかし、私は私の奥底でその声に聞き覚えがあった。

潜在意識というものかもしれないし、遺伝子に刻まれていたものかもしれない。そんな言葉は私はその時知りもしなかったが、知識を得た今はそんな風に思う。

その声は絶対な安心感と同時に威圧感、そして味わったことの無い恐怖を同時に感じる声だった。

その声の主に“会いたい”という気持ちと“会ってはいけない”という気持ちが沸き上がり、私は酷く混乱した。

孤独を感じていた私は声に安心したが、それは“絶対に会ってはいけない存在”だと、私の中に残っていた僅かな人間的な部分が警鐘を鳴らしていた。

既に人間らしさを失っていた私が、“さらに人間を捨てる覚悟があるか”という自問自答を強いられた。

 甘美で、それでいて震え上がるような強い怒りを含んだのような低い低い声。

“来なさい”

声はそう言っているようだった。言葉としては聞き取れない。

“来なさい”

声を発しているというより、その主の意思が私を呼んでいる。

“来なさい”

私はその声の方へ足を動かした。私の意志ではなかったかもしれない。何か抗いがたい力で引き寄せられていたのかもしれない。

結果的に私は墓場の奥へ、奥のさらに昏い闇の方へ向かって歩いた。

冷たいなどという感覚はすでになく、いや、むしろ人間の感覚すべてを失っていた私だったが、奥に通じる通路を歩くにつれ、身体が凍えるような感覚を覚えた。

同時に、燃えるような熱を感じた。

凍えそうな霊気、圧倒的な冷たいエネルギーを感じるのに、身体の内部から焼かれるようなエネルギーが私を襲い、朦朧とする意識と覚醒したはっきりとした現実の意識を持って歩を進める。

カタコンベと呼ばれる地下墓地なのか、地下の礼拝所なのか陽も射さない、月光の光りも入り込まない昏い闇の中を進んでいく。

ふと、急に視界が開けた。

洞窟の通路を抜けた先は、広間だった。

 一切の光を拒絶した地下の広大な空間。

ここは、地下の自然洞窟を利用した墓地だったのだろう。紀元前の昔からここに埋葬してきた膨大な数の人骨が山になっている。

その山が見えた訳ではない。私を呼んだ声の主から発せられるねっとりとねばつくようなエネルギーが人骨の山を照らしている。
視界には光は無いが、そのエネルギーはまるで太陽の下のように真の暗闇を照らしていた。

3.

人骨の山の人影は声を発してはなく、ただ立っていただけだったが、“そばに来なさい”という強い意思が私の身体を引き寄せた。

 一歩ずつ人骨の山を登る。崩れる骨に何度も足を取られながら黒いエネルギーを放つ人物に近づいていく。

 数時間経っただろうか、私は漸く人物に手が届く場所まで登っていた。

視界には昏い、真の闇が広がっているが、強いエネルギーは感じ取れた。身体の芯まで凍えるような冷気と同時に内部から焼き尽くす灼熱の熱風を浴びせられているような感覚だった。

 自我が崩壊していたかもしれない。私はこの黒いエネルギーと同一化したいというただその欲求しか無かった。

“受け入れなさい”

人物は今度は私にそう囁いた。囁きだったが、頭の中に轟音が響き渡り、私は意識を失いそうだった。

「はい……」

私は素直にそう答えた。それ以外選択肢は無かった。私はこの人と一緒になる。その魂からの欲求は、人間の性欲や食欲などを遥かに超えた根元の欲求に思えた。

【死の欲求】

その時の私の心境を端的に表す言葉はそうだった。
その【死の欲求】は命を投げ出すというような安易なものではない。

むしろ、

【永遠の生】

を得たいという強い欲求だ。

【不死への欲求】と言えばわかるだろうか。一度死んで、別の“何か”に生まれ変わる。そんな欲求だった。

この欲求は抗いがたく、寧ろこんな機会を与えられた私は選ばれた者だと意識した。神ではなく、悪魔に選ばれた者なんだと。

私は既に人間ではなかった。地虫を喰らいネズミを喰らい骨を喰らっても平気だった。自分の腕や脚を見ると枯れ果てて生気など無い。人間の姿をしてはいないだろうと思った。

実際に、私はこの時に怪物になっていた。“ノスフェラトゥ”という醜い姿の怪物だ。今の私には知識があるが当時は私がそんな姿をしているとは思ってもみなかった。

私が今の姿になってからたまにこの“ノスフェラトゥ”を見ることがあるが、実に醜い姿をしている。
さらに下級の怪物“グール”の方がまだましではないかとさえ思うほどだ。

私はこの醜い姿で生きたくは無かった。同じ不死の怪物になるなら、目の前にいるあの方のような姿になりたい。

私は吠えた。

 「あなたのようになりたい!」

私がなりたかった姿は、真の暗闇の中でも圧倒的なエネルギーを放つ存在。

不死の怪物の王、“ヴァンパイア”だ。



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