【Vampire.ID】その5

1.新しい王

長老と側近達の首を割り、汚い血をアスファルトに撒き散らした男は血で濡れた指を舐めた。

「さあて、これで僕と君だけになったね」

兵士に囲まれていることなど忘れているように言うと、男は這いつくばる加藤にしゃがみこんだ。

「ヴァンパイアはたくさんはいらないんだ」

パトリシアスの一斉発砲で全滅したヴァンパイア達の痕跡を眺めながら男は言う。

「これで、君を殺せば、僕がこの世界の王になるんだ」

 恍惚の表情で男は天を仰いだ。金髪碧眼で、男から見ても綺麗な男だ。加藤はこの男の名を知らない。ヴァンパイアは10年に一度顔合わせをしてきた。
新たなヴァンパイアを生み出す、ヴァンパイアの血を分ける伝統的な儀式が10年毎に行われ、ヴァンパイアに相応しい人物を選別してきた。
その会合での承認がなく、勝手にヴァンパイアを生み出すと、“私生児”とされて血を分けたヴァンパイアと共に、他のヴァンパイアから私刑を受けた後に太陽の元に晒される。それで死を与えられてきた。

それが、ヴァンパイアの掟だった。

しかし、この10年の間に太陽光への脆弱性の呪いが解け、そして不死身の身体を失ってからは“私生児”が増えたと聞いた。

狼狂の女で“最期のキス”をして息絶えたあの女のように、加藤が知らない最近になってヴァンパイアに名を連ねた新参者なのだろうか。

「ああ、そうさ。僕が“血の接吻”を受けてヴァンパイアになったのは7年前さ」

男が加藤の思考を読んで応える。

「この7年。永かったよ。ヴァンパイアの血を身体が受け付けなくて苦しんだからね」

ヴァンパイアの血を身体に流し込む“血の接吻”で命を落とす人間もいる。怪物の血を身体に入れることは人間に相当な負担がかかる。
しかし、それは真祖に近いヴァンパイアからの“接吻”でしか起こり得ない。

最近の、とは言っても百数年はそんな例は見当たらなかった。それだけ真祖に近いヴァンパイアからの“血の接吻”は珍しく、またヴァンパイアの世代が若い、真祖から離れた第4、第5世代のヴァンパイアからの接吻の方が一般的になって来たからだ。

「王……だと?人間に殺されるヴァンパイアに未来はないさ」

加藤は自分の死を意識した。不死の身体になってから初めての感覚だった。
痛みはもうない。さっきまでの生への執着は消え失せ、今は『早く楽になりたい』だけだった。

「人間に殺されるのはこれで終わりさ。僕は死なない。“僕だけが不死”なんだ。僕だけが真のヴァンパイアなのさ」

男はゆっくりと空中に浮遊していく。
飛行可能なヴァンパイアはとうの昔に当時のヴァンパイアの派閥争いで、氏族ごと滅びたはずだ。だから、今は、ヴァンパイアの真の能力を全て持つ真祖“リリス”しか飛べるヴァンパイアはいないはずだ。

「僕は王なんだ。“リリス”から血の接吻を受けた第2世代。そう、僕はリリスの“私生児”。そして、リリスを“殺して”王になった。僕の名前を覚えるがいい。僕の名は……」

カイン。

その名を男が言うと、辺りが一瞬にして暗くなり、雷鳴と共に雨が降りだした。

2.カインとアベル

創世記のアダムとイブの子、アベルとカインの兄弟のうち、カインの名を持つ男。兄のアベルを殺して世界最初の殺人者と言われるカインの名を持つ男は、ヴァンパイアの真祖リリスを“殺した”と話した。

リリスの“私生児”であるなら、そうであるならヴァンパイア12長老の首を取るのも簡単だろう。

長らくリリスは“子”を為さなかった。12長老のうちリリス直系の第2世代は一人しかいなかった。その一人から残りのヴァンパイアが“生まれた”。

その真祖に次ぐヴァンパイアをいとも簡単に首だけにして、その首も風船のように破壊した。

「僕は、リリス最後の子。そして、リリスを殺して王に、リリスに変わって“真祖”になったのさ」

土砂降りの中、パトリシアスの兵士は微動だにせずその場に待機している。カインの魅了の魔術の強力さを現していた。

土砂降りの雨がヴァンパイアの僅かな痕跡を洗い流していく。ヴァンパイアの首に埋められていたIDが排水溝に吸い込まれていった。

加藤は漸く事態が飲み込めてきた。
このカインが他のヴァンパイアを拿捕し、首にIDを埋め込み、人間に殺されるように世に放ち、殺され、数を減らした。

そして会合を開いて一ヶ所にヴァンパイアを集め、一気に滅ぼした。

「最後に俺にお前の名を覚えろと言ったのは何故だ?」

加藤は土砂降りの雨に掻き消されるくらいの細い声で呟いた。
名前を言わずに俺を殺すことも出来ただろう。しかし、カインは“俺の名前を覚えろ”と言った。それを聞いておきたかった。それによっては“今回の命”を失くしても良いと思った。

「決まっているだろう。お前に恐怖を与えて殺すからさ」

カインは狂った笑いを放つ。

「最後に残ったヴァンパイアに最大の恐怖を与えて、その血を啜る。それこそ最高じゃないか」

“くだらない”

加藤は口だけを動かした。“くだらない”。もう一度。何百年、いや千年か。自分の最後に聞ける言葉としては実にくだらない理由だ。

「俺を“納得させる言葉”ではないな。」

加藤は不自由な身体を震わせた。

「お前なら俺を殺せると思ったのにな」

加藤はカインを見上げた。

3.真の王

加藤はゆっくりと身体を起こした。不足した身体の部分を感じさせないくらい自然に立ち上がった。
片足片腕、顔も半分。しかし、その姿がどこか本来の姿のようにも見えた。

「くだらないな、カイン。そんな陳腐なことで俺を生かしたのか」

カインは不思議そうな顔をする。

「死に損ないが何を……」

「死に損ない?他のヴァンパイアが簡単に死んでいく中、俺は生きている。何故だと思う?」

「……」

カインが頭を働かせ始めた。そうだ、確かに他のヴァンパイアは死んだ。長老の首を取る間に全部殲滅していると思っていたがこいつだけは生きていた。何故だ?確かに回復力はあるだろう。身体が半分になっても簡単には死なない生命力もあるだろう。しかし、首をねてもしばらくは魔法で抵抗したあの第二世代の長老でも死んだ。何故だ?片足片腕でどうやって立ち上がった?不死ではなくなったヴァンパイアが何故あの姿で生きている?何故?むしろ……あの姿が“本来の姿”なのか?

加藤が片足片腕半分の顔でカインに向かってゆっくり片腕を動かし始めた。

カインは頭をさらに働かせた。何故こいつだけ生きている?何故あの姿で動ける?何故?何故だ?

「答えは出たか?カイン」

加藤が左手を振った。黒い雲が加藤の頭上だけ晴れ間になる。光が加藤の姿を射した。

 「俺が何故生きているのか答えが出たか?」

加藤の背中に翼が生える。それは片方の翼が折れていた。

「俺が何故生きているのか、答えは何だ?」

加藤の姿を見てカインが息を飲む。

「お前……お前は!?」

加藤は半分の顔で笑った。

「やっと気づいたか?」

加藤が左手を差し出すと、空中に浮かんでいるカインに向けて光の槍が飛んで行く。その槍はカインの心臓に刺さり、空中に釘付けにする。

うああああああ!

断末魔の叫びを残し、カインは空中で溶けた。光の粒子が地面に振りかかる。カインはヴァンパイアの汚れた血すらも残さず浄化されていた。

その後には黒い雲もゆっくりと移動し、ブエノスアイレスの美しい空が戻ってきた。

加藤は満足そうに翼を折り畳むと、バタリとその場に横になった。

「ふう。まずまず楽しかったな。また記憶を消して遊ぶとしようか。今回は俺の勝ちだったな、リリス」

晴れた空を見上げながら、加藤という記憶を消して、彼はまた千年遊べる新たな遊びを考え始めた。
彼は、彼こそは創世記でアダム最初の妻リリスが楽園を追放された後、同じく天界を追放されて“堕天使”と呼ばれた天使だった。

楽園を追放されたリリスと天界を追放された二人は後に結ばれたと言われる。
リリスがアダムの次に愛した者、彼の名をルシファーと人は呼んだ。

END




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