見出し画像

出逢いはMade In U.S.A.



アーカイブから(POEYEは再発本)

服の終活を始めると考えたとき、自分の服に関する歴史(大げさ💦)について、
ふと考えてみた。
小学生〜中学生('70年代)では、今とは違って、情報量が少ない中、ファッション情報は、近所の商店街かたまに出かける銀座のデパートでしかなかった。
何を着るのかは親任せ。
でも最初に着たいと思ったのは、今でも覚えているが、小学4年生の時、同級生が着ていた赤いセーター。
同じ物を近所で探したが、見つからず、悶々としていたのを今でも覚えている。

小学6年生の時、父親が購読していたMEN'S CLUBを読みあさって、情報を得ていたので、服と店を見る目を持っていた。(小生意気だったんだろうと思う)

当時はVANヂャケット全盛時代で、父親もファミリーセールで購入していた。
中学になり、サイズが合うようになると自分も着ていたが、当時の担任からは、
「ボタンダウンシャツを着る奴は不良だ!」と呼ばれ着用禁止となった。
10年後の同窓会で、この件について、問い合わせると、薄給の公立教員の給料では、高くて買えない物だったそう。

僕はファミリーセールで購入していたので、安価に手に入れていたことは、何故か、言えなかった。

Made in U.S.A.(1975)
POPEYE(1976) 写真は復刻版 2016

そんな時、ある本が出版された。
Made in U.S.A.というアメリカの現状を伝える本と翌年に発売になったPOPEYEという雑誌だ。
カルチャーショックというのを始めて体験した時だった。
高校の勉強について行けなくなった自分には格好の逃げ場で、
1ページも見逃すこと無く、何度も何度も読みました。
今ほど、物覚えが悪くないので、ほとんどの内容を覚えていました。
その上、週末には、巻末掲載のショップ巡りもして情報収集をしました。
当時、住んでいたのが、川崎市だったので、一気に行動範囲が拡がり、情報量も増えました。

先ず、頭に浮かんだのが、小さい頃、父親と連れて行ってもらった、アメ横でした。(アメ横とは上野と御徒町のJR高架線下にある商店街)
しかし、本物は高い。
そこで、バイト生活が始まります。
品川駅の立ち食いそばのスタンドで頑張りました。
その後、大学受験に失敗して、服飾専門学校に進学し、バイトをしながら、学生生活を送っていました。
バイトで稼いだお金で、専門学校に掛かる費用を捻出し、その上、服も買うことができました。
勿論、学生時代から、ディバッグの中にはPOPEYEとMade in U.S.A.を持参して、歩き回っていたのを今でも懐かしく思います。

そして、成人式用の服を買うのに、2ヵ月分のアルバイト料を全てつぎ込んで購入した一つが、BEAMS Fのブレザーでした。
(どこかにあるはずなんですが、見当たらず(T-T)

普通の成人式はスーツを着るのが一般的でしたが、自分は専門学校に行っていたので、当時流行っていたプレッピースタイルで揃えることにしました。
POPEYE情報でBEAMSにも良く、放課後に通いました。
そこで、ブレザーを購入することに決めました。


成人式再現コーディネート

こんな感じでした。
シューズが当時はコールハンのキャンプモックというビブラムソールのハードな物です。
ブレザーは50歳の時に記念に誂えた物ですが、デザインは同じです。
当時の商品の詳細は
ブレザー:Beams f (リングジャケット製)
シャツ:Brooks Brothers オックスフォードボタンダウンシャツ
パンツ:Barry Bricken Dress-Chino 2 pleats 
シューズ:COOL HAAN キャンプモカシン ビブラムソール
ベルト:トラファルガーリボンベルト(リボン部分がウールでした)
タイ:菱屋 ウールカシミアペイズリープリント
ポケットチーフ:菱屋 ウールカシミアペイズリープリント

当時は今より寒かったので、この上に、エディーバウワー社のダウンマッキーノクルーザーという物を着用していました(写真下)
着すぎで、汗だくでした(笑)

ダウンマッキノウクルーザー

当時の服が現存するのが、恐ろしいですが、この間の寒い日に着て見ましたが、違和感がありませんでした(恐ろしい)

名品とはそういう物なのでしょう。

ここまで、読んでいただき、ありがとうございました。

では、また。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?