2022年7月26日

 去年の記事を読むと去年の今日も外来の日だったようです。今の勤務先での外来は週に1回。同じ日付で2年連続外来をやるというのは、曜日が変わらないと無理です。そしてそう、2022年4月から外来の曜日が変わったのでした。
 外来の日は1日中緊張しっぱなしな気がします。あまりに人数が多いと、お待たせしてしまう時間のことも考えるので、時間との戦いになります。限られた時間で、どのような交流ができるだろうか。どれくらい対話的であることができるだろうか。時間を限ってしまって良いのだろうか。このせめぎ合いに追い詰められ続ける感覚があります。

 今日は比較的、1日にいらっしゃる人数が少なめの日でした。こういう日も当然時間は無限ではないので、緊張感はありますが、やはり少しずつだけど時間にゆとりを持って話ができる印象があります。そうしているうちに、人数は普段の3分の2程度だったのに、終わった時間はいつもより1時間半遅い時間でした。少しゆとりを持った雰囲気になってみると、これまで語られなかった語りの蓋があくことが多くあります。あけようとしてもあかない蓋が、あく。これは、雰囲気がそうさせたのかもしれないし、相手の人がたまたま語りたい気分だったのかもしれません。でも、相手の人がそんな気分だったとしても、こちらに聴く姿勢がなければ蓋はあかないだろうから、やっぱり雰囲気は関係ありそうです。最近、自分が何をしたいのか、全くわからなくなっている気がしていましたが、こう書いてみると、まずはじっくり話をするということを大切にしたいみたいです。小さいこと、地味なことを、地道に続けることが自分と自分以外の人の安心につながるような気がします。

 2年連続で1日中外来をしていた7月26日。この日に考えたことを書いていってみようと思って開設したこのnoteでも、どうしても外来の話になってしまいます。今年も7月26日に対する思い、のようなものが主題にはならなさそうですが、2年連続で外来だったからこそ思うこともあります。2016年7月26日の事件は、自分にとって大きな衝撃でした。たくさんのことを考え続けています。 
 人にはたくさんの感受性があって、その転がり方のことを考えていた時期がありました。1つの感受性が、いろいろな出会いによって姿を変えていく物語を想像しました。あえて抽象的な表現にとどめたいと思っていますが、その想像が自分の中で広がったり強くなったりしないように、事件に関する論考をあまりみないようにしていました。
 一方で、事件の前後から今まで、直接かかわり続けている支援者の人たちがいます。その人たちの声は、事件と、正しさを追求する視線との間に埋もれてきたように思います。地道に支援に取り組む人たちの、どこにも届かない声があることを僕は知りました。
 2022年8月から、僕はまた園にかかわっていますが、利用者の人たちもそのご家族も、支援者の人たちも、思うことに誠実に日々を過ごしているように見えます。ガチンコです。時々、事件の話にもなります。非常勤の身で、そんな機会は多くは持てませんが、語り合う時間も大切だなと感じます。どこにも届かなかった声は、ああいう、ごく小さい場所で少しだけ蓋をあけることが大切なのかもしれません。
 想像に難くないと思いますが、新型コロナウイルス感染症の対策は、とても難しい課題です。イレギュラーがレギュラーに生じる現場で、徒手空拳、というか、なんとかかんとか対策を試行錯誤しています。

 外来後の今日1日ではうまく書ききれず、個人的で簡単な手記のようになっていますが、このように感じ続け、考え続けていることは、自分の日常生活や日々の臨床に影響を響かせている気がします。なるべくゆとりの雰囲気で、なるべく何かを感じ取れるように、そのためには地味に、地道に、という感覚を大切にしたいと思うのは、そんな流れがあるような気がします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?