2024年7月26日

 毎年、7月26日に何かしら書いています。自分の中のささやかな活動です。
7月26日にこうして書く文章のための連想には、2016年のことが起点になる部分があります。それがこのnoteの唯一の共通点かもしれません。

 こうして公開する文章で、しかも推敲せずアップロードするわけなので、なんというか、普段以上にまわりくどいというか、何層にも包んだようなというか、そんな文章になりがちです。

 臨床活動をしていると、いろいろな人や事象と出会い、いろいろなことを感じたり考えたりします。それらは、自分の日常生活とつながっていますが、臨床の現場に出向くとその濃度が濃くなる感覚があります。現場に出向かずとも、現場を想起すると濃くなります。

 臨床の現場、いや、あらゆる現場はきっとシンプルではありません。様々な立ち位置の人が出入りし、それぞれの気持ち、感情、希望のようなもの、絶望のようなもの、衝動、空虚、思いもよらないこと、思いつめたこと、思いついたこと、オモリのようなこと、他にも本当に多くのことが交錯します。

 物事は多面体のようなもので、どの側面から光をあてるのか、光をあてて光側からみるのか、影側からみるのか。見え方が全部違います。どうしてもある方向からの見方になってしまう時、無理矢理別の方向から眺めてみてもしっくりこなかったりして、いろいろな目線があることを忘れてしまう。誰しもにそんなことがあるんだろうと感じます。

 気持ちを、十分にでなくとも共有できる仲間、仲間とまでいかなくともそんな感じの人や場があるのとないとでは状況は全く異なりそうです。話してみればそんなに大きなことではなかったり、たまたま思いつめてしまうタイミングだったりするだけかもしれなくて、そう思えるきっかけが、気持ちを共有する時にやってくることは少なくない。

 そういう言葉をかけられればよかった、と思うタイミングがたくさんありました。あらゆる現場は、時折楽しく、時折過酷、時折酷。

 こうして、まとめないまま、出てくるままに言葉を置いていくと、文章としてはまとまりがないけど、今の自分としてはこんな感じなのだなって思います。

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