計は日々にあり
年が明けました。店は数日前から休みに入りましたが、連日シャッター半開きで製作。例年同様に張り詰めた年末でした。
大晦日にはフルオーダーの大きな鞄を納品させていただきました。大変喜んでくだり、感謝と達成感と作業の疲れにまどろみ、ふと目覚めると2021年でした。
元旦は誕生日より歳を重ねた感があります。皆で同時に一歩またぐからでしょうね。
年越しによく思い出すのは中学一年、親父との初詣。父はほとんど家に居らず、子とベタベタせず、信心深くも行事を重んじる訳でもないのですが、珍しくその年は紅白をだらだら観た流れで0時をまわり「まぁ行っとくかー?」と夜中に二人、自転車で近所の神社へ詣りました。何を話した訳でもないですがまだ子どものぼくはなんだか嬉しかった。翌年からはすっかり親離れしてしまいましたが良い思い出です。
昨年は世の中全体が揺さぶられました。
当たり前と思っていた社会の脆弱さ、そんな中でも御注文くださるお客様への感謝、いろいろなことを感じ、考えました。
以前ここにも書きましたが、日々の瞬間が全てだと気付きました。
鑑みるは姿勢だ|田岡亮祐|note
この考えは、見るべきは死ではなく生だということでもあります。要するに結果と過程と時間感覚の話で、これに照らせば「一年の計は元旦にあり」なんてナンセンス極まりない。計は日々にありです。
関連して変わったことが幾つかありました。
これまで、良い出会いも悪い出会いも今の自分を写す自然な流れとして受け止めていました。
それも間違いでなかったとは思いますが、昨年からは出来るだけ「良い出会いだったと思える結果に持っていこう」と心掛けて努力しました。前向きな変化だと思っていますがちょっと不自然さもあり、ここからどう考えが進むのか楽しみです。
我々は同じ一日を生きています。正しいも間違いも飲み込んで、やるべきことを見定めて貫くしかない。今年はどんなことが起きるのか、起こせるのか、わくわくしています。
2021年、元旦の夜明け前。もう一眠りして初詣に行きます。
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