さよならカプリス

長崎市内に、「カプリス」というカフェがあった。

カウンター席のみある小さなお店には、パンやクッキーの焼き菓子が並べられていた。
女性1人で経営されていて、大きな窓ガラスからよく店内が混雑している様子も伺えた。

カプリスの代名詞はなんといっても「カエル」だと思う。店のあちこちにカエルの小物やぬいぐるみ、絵本などがそれはもう数え切れないほど置かれている。

確か店主の女性もカエルの柄の三角巾を着けていた記憶がある。


つい先日、そのカプリスが閉店したと知った。
あまりに悲しい知らせだった。

カプリスは、家族でお世話になったお店だ。

ちょうど祖母が入院している病院が近かったこと、両親が結婚式を挙げた教会が近かったこともあり、私が年に1回長崎に行く時には必ず行っていた。
離婚して故郷に帰った母もよく行っていたそうだ。
夏休み、弟の誕生日にはケーキを頼んだこともある。

私が小学生の頃、4人兄弟全員で行ったこともある。母と合わせて5人、カウンター席に並んでお茶をした。
私が今でもカフェ好きなのは、カプリスの存在があったからなのかもしれない。

私たち兄弟が夏休みに長崎へ行くときは1ヶ月ほど滞在する。離れて暮らす母と会えるのはその夏休みの間だけ。母とお出かけすること、母の料理を食べること、母と一緒に生活すること、両方の祖父母と会うこと、いとこと会うことは1年の中で一番楽しくて、心地よくて、特別だった。

母方の祖父母の家からは、父親の運転する車で帰る。長崎らしく祖父母の家は坂の上にある。私たち兄弟は、父の車を待つために坂を下る。
後ろを振り返れば、母が涙を流しながら手を振っている。
私たち兄弟は「また泣いてるね」なんて話をしながら坂を下る。坂を下ったところに信号があって、渡ってから振り返ると祖父やいとこが見守る中、母の姿はなかった。きっと家で泣いているのだろう。
あのとき、他の兄弟がどんな気持ちだったのかは分からない。
私は、楽しかった長崎での生活がなくなってしまう寂しさと、また1年間母に会えない悲しみで胸がいっぱいになった。
父の運転する車の中で気づかれないようにこっそり泣いた。


3年前、大学2年生の時に母とカプリスを訪れると、「お久しぶりですね」と言われた。
私は1年ぶりだったのだが、母がよく行っていたから気づいたのだろう。とても嬉しかった。

大好きなシナモンロールとホットチャイ。
母といろんな話をしたり、窓の外を眺めながら道行く人をぼんやり眺めるのが好きだった。


昨年訪れた時は、混んでいたため泣く泣く諦めて帰った。あの時、暑い中待ってでもお茶したらよかったな。

長崎に行くことが特別なのは変わらない。けれどもう、長崎から帰る時も母と別れる時も泣いたりしない。

あのシナモンロールとホットチャイ、サービスのぶどうはもう食べられない。あの店主の女性は元気でいるだろうか。
最後に直接お礼が言いたかった。特別な長崎で、沢山の思い出が詰まったカプリス。
そこに行くたびに癒されていたこと、小学生だった私も特別な思いで行っていたこと。

ありがとうカプリス。


店主の女性とカエルたちといつか、またどこかで。

#長崎 #カフェカプリス #長崎カフェ #カプリス

(2015.08)

(2016.08)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?