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江戸和竿の経験 シーズン2 その10

いつもほとんど同じ場所で釣りをしている。
お気に入りのポイントで毎週あいさつするご老人が「少し上流」でいいサイズのヤマベが釣れるといっていた。彼は小鮒専門だが東京に越してくる前は関西に住み、当時主たるターゲットはハエ(ヤマベ)だったという。「橋の近く」「今は工事をしているので入れない」というキーワードを憶えていた。私と彼の数年にわたる関係によって築かれた紳士協定がある。お互い「静かなところでゆっくり釣りたい」ので、ポイントの共有は無闇にはしないことになっている。だから私は彼が鮒が不調なときにヤマベ釣りを楽しんでいると聞いても、それがどこなのか詳しく訊くことはあえて控えていたのだ。
気持ち的にゆとりがある週末の午後その場所を探してみようと自転車で遠出をすることにした。
気持ち的には探偵か刑事である。お年寄りだからアクセスが難しいところではないはずだ。手術をしたといっていたからな猶更だろう。しかし腹腔鏡のオペだったというから傷口は小さいので、ちょっとした無理はしたのかもしれない。釣師としては本当に釣れるのであれば多少の藪漕ぎは厭わないだろう。夕刻竿富のヤマベ竿を抱えながら自電車を走らせた。しかし、それらしいポイントは見つけることができなかった。そろそろ暗くなりそうになり、帰ろうかと思い虚しく川沿いを下ると道の方からは胡桃の木で影になっている場所で上半身裸の初老の男性がリールで何やら投げているのに気づいた。観察するとルアーを使っている。明らかにナマズ狙いである。浅くて、少し落ち込みになっており、上流に顔を向けて子魚を待ち構えるナマズを容易に想像することができた。本当にナマズが釣れるのであればナマズの目的でもある子魚が豊富にいなければならない。その子魚こそが私の対象である。つまりその日ナマズと私は競争相手の関係である。さて、邪魔にならないように水辺に立ちそのルアー師と周辺を観察する。沈みつつある太陽の光に反射して10cmに満たない魚がギラギラっと反射する。ギラギラの主はヤマベだろうか、あるいはカワムツだろうか。なかなか大きいサイズもいるようだ。その日は石の裏に張り付いている蛭を餌にすることにした。蛭は流れのある所を好むが一番強い流れではなく少し緩やかなところにいるようだ。しかし完全に流れがダランとしているところにはまずいない。蛭は餌持ちが良い。ミミズなどよりも身が硬く締まっており筋肉質である。だからお勤めいただく蛭には申し訳ないが数匹の蛭がいれば相当数の魚を釣ることができる。
釣れた魚はスゴモロコであった。髭が生えているとぼけたヤツである。釣れた魚はどれもこれも同じ種類の魚であった。普段は石の下に隠れている御馳走が奇跡的に上流からひと口サイズになってヒラヒラと流れてくる。彼らは奪い合うようにして蛭にむさぼるように食いついた。魚たちは竿富のヤマベ竿を小気味良く曲げ、1時間くらい楽しい釣りをさせてくれた。
 
6月、押上に顔を出す。今年は梅雨が遅れているようだ。
最近鮎のドブ釣りに興味がある。正確には鮎というよりはドブ釣りの手法に。重りが先にあって、少し上に毛ばりがついて、竿の長さに比べて仕掛けは短い。だから釣れたときにはブランブランとぶら下がる魚を取り込むために竿を短くする必要がある。提灯のような要領で深いところを狙う。いまは振り出し竿があるから竿を短くするのに分解する必要はない。しかし和竿でやる場合は、手もとをスポンと抜く必要がある。沢山入れ掛かりで釣れる場合には手返しは悪そうだ。実は東吉のドブ釣りの鮎竿を所有している。長さと太さの割には軽い。しかし普段細いヤマベや小鮒竿を好む私からすると突然長刀を渡されてこれで戦いなさいといわれるような感じである。だから私が通う川にも鮎はいるというのはわかっているがどうも二の足を踏んでしまう。
竿辰の親方は鮎もずいぶん楽しんだという。しかし親方の時代はすでに新素材の波が来ていて、鮎については竿師としての顔ではなく釣具屋竿辰本店店主として当時(今もかもしれないが)人気のあった「がまかつ」の鮎竿代理店として多くの顧客を持ち、電車やバスで日本各地にいっしょに遠征したという。時代は友釣である。ドブ釣ではない。
鮎の友釣りのエピソードでよく話してくれる話がある。友釣はまずは囮の鮎を入手しなければならないが、新潟かどこかの河川に遠征したときに現地に到着して鮎の大きさが想定よりだいぶ大きくて用意してきた囮鮎の仕掛けでは小さすぎるということが判明した。お客さんが宴会をして休んでいる間もずっと朝まで徹夜してお客さんの人数分の仕掛けをせっせと作り直さなければならなかったという。
江戸和竿で鮎といえば東吉、汀石が有名である。彼らは「名人」という冠がついて説明されることが多い。鮎の話しをした際に竿辰親方から「汀石さんという竿師がいたんだけどね」と初めて汀石の名称を聞いた。親方から他の竿師の名前を聞くのは珍しい。系統としては同じく釣音、竿忠系統なので、お互い存在は知っていたはずである。もっとも新素材の影響を受けたのは鮎だろう。新素材はその軽さにより劇的に鮎の友釣を快適にしたからだ。
竿辰にはオリジナルの「バット浮き」というものがある。バットとは野球のバットだと思われる。バルサ材でオレンジやピンクなどの蛍光塗料で簡易的に塗られている。これが釣場ではとても目立つ。漆塗りで見た目は美しいが視認性が悪くあたりが取れないようなものはどんな高価であっても機能性の観点で問題があるといえる。その点、シンプルな作り、素朴な作りを追求している点で、このバット浮きも竿辰メイドである。バットという名称は竿辰親方が考えたのかどうかわからないが、釣師はみんなバット浮きと読んでいる。親方はどのようなバッターを想像しながら形を作っていたのだろうか。やはり国民的に人気があった読売巨人の長嶋や王だろうか。
バット浮きを数個買い求め店を出た。

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