江戸和竿の経験 シーズン2 その2
カニ穴釣り
現代はインターネットで広く微に入り細に入り情報を検索することができるとても便利な世の中である。だから知られたくない情報はなるべくネットにはアップロードしないという警戒の心理が働く。いまでも秘境といっては言い過ぎだが、ほとんど誰も知らない釣場あるいは釣り方で人知れずこっそり楽しんでいる釣師、釣師のグループはいると思われる。
竿師の親方からそれとなく「ハゼ」の話しは聞いていた。しかしハゼは「船の釣り」だと決めつけていたこと、あとは何よりも釣場まで遠く時間がかかるという理由により避けていた。私は恥ずかしながら「道具から」入るタイプである。たまたま竿治の中通しのハゼ竿を入手して、この竿でハゼを釣ってみたいと思った。さてネットで検索するとハゼ釣りというテーマでも数多くの動画が出てきた。まずは家に近いということと、公共交通機関でのアクセスが良いという条件で岡釣りできるロケーションを探したところ、スズキ釣りでなじみのあるポイントでハゼの「穴釣り」を楽しんでいる御仁たちの動画を複数見つけた。そこは東京湾に流れ込む大河川の河口であり、護岸に敷石が埋められている。それらの岩の間にハゼたちは隠れているというのだ。昼前に家をでて、電車を乗り継ぎ、駅からはバスを使う。釣場の近くでゴカイを買い求めた。ゴカイは思っていたよりも狂暴で怖かったが餌としてはとても効果があった。それこそポイントは何百とある。偏向グラスは必要なかった。あらゆる隙間にハゼが隠れていそうな気がする。しかし時合の関係もあるだろうが、釣れたポイントではたいていその後何匹も続けて釣れて、むしろ全くハゼからの反応が得られない隙間の方がほとんどであった。2時間くらいツルツル滑る岩の間でアタフタしつつ釣りを楽しんだだろうか。
しかし収穫として経験的に学べたのはいまさらだが、「布袋がアタリを伝える」ということ、布袋竹の機能的役割だった。5センチにも満たないハゼ(マハゼではないものも含めて)のアタリまでも敏感に感知することができた。いつか船でハゼ釣りをしたときに、魚と竿先の距離は何倍にもなるがそれでも布袋は微かなハゼのアタリを伝えるだろうか。
ハゼの場合おそらく20センチを超えるようなサイズであっても竿がノサれるようなことはない。だから糸の長さはそこまで必要ではないので糸をストックできる伝統的ハゼ竿の「中通し構造」である必要はないと思われる。したがって2間ほどの鮒竿やヤマベ竿によるウキ釣りでも釣りは充分成立すると思う。次回は竿庄の総布袋の小物竿でチャレンジしてみよう。
「カニ穴釣」という表現は佐藤垢石と鈴木晃共著の「はぜ、ぼら釣(鶴書房昭和17年)」に登場する。「十一月末になると、越冬のハゼは好んでカニ穴に潜むので、よい穴が発見できれば二十三十のハゼが後から後から釣れるのである。(佐藤垢石・鈴木晃 「はぜ、ぼら釣」1942年 鶴書房)※この記事の写真はこの書籍の表紙のイラスト
単に「穴釣り」というよりは「カニ」という接頭語を付けた方がしっくりくる。なぜなら同日私もハゼと同じくらいの数のカニを釣ったからである。むしろカニの方が多いくらいだった。カニは全員逃がして、ハゼ類は持ち帰って唐揚げにした。
その昔江戸前のハゼは格段においしく、それはハゼが養殖の海苔を食べていたからだという。「秋口の早い自分のハゼと違って、十一月ごろから俗にシタツリになってからのハゼは、からだ全体がアメ色をして、油がのっている。寒さをしのぐためか、ノリヒビの中に入ってノリを食べるらしく、口のまわりが黒くなる。これを釣師は「おはぐろ」とつけたという。」(三遊亭金馬 江戸前つり師 1962年徳間書店)
その日唐揚げにした現代のハゼたちは料理人が味見する前に家族に食べられてしまったので味はわからない。